ラッカーズ

 ……と、いうことなので、まあ。

 データ上は――あくまでデータ上は、来栖家は来栖海にかかりきりだったようにも見える。


 二年も、ひきこもっていた。春のそれも、もちろん、一大事だ。すくなくともご近所さまに堂々と言ってまわれるようなものではない。恥じるべきだし、一生の汚点になりうるし、人権が危うくなる危険行為だ。


 しかし、来栖家のデータは圧倒的に海のものが多い。

 ……あえて最後に回してた、というのもあるが。

 次に控えるのは、春のデータ。



 寿仁亜は指で画面をスライドさせていく。きっと、あと少しだ。素子が相手をしてくれているぶんには安心で、けれど、いつまでもデータの海で来栖家の記憶の残滓と戯れているわけにはいかない。素子は完璧に、ほとんど超越的と言えるほどの対応をいかなる来客に対してもおこなってくれるけれども、それだって、ずっと頼んでいいものではない。はやく行かなくてはならない。わかっているのに――来栖家の記憶の残滓でいま唯一見ていないもの、……来栖春のデータを、気がつけば寿仁亜は長いとよく言われた人差し指でスライドしていた。

 もちろん、いまのうちに闖入者のデータをチェックしておいたほうが後々楽だ、という事情はあるにしろ。あとでだって、いいのかもしれない、ほんとうは、そんなのは。

 なにかヴェールを剥がすかのような。片手で、そっと中身を見て、あとはそっと戻してなにごともなかったかのようにできるから、って――条件、留保、言い換えれば言い訳つきの好奇心を、久方ぶりにいま、依城寿仁亜は感じていた。



 ……来栖春。

 寿仁亜自身の人生とも、わずかには被っていた、彼の人生。

 客観的な、データに記録されていた、ひとりの少年の人生。

 さして目をひくものではない。どちらかといえば、劣等な部分は目を逸らしたくなる。でもそれだって特別ではない。特殊ではない。とはいえ、一般的ではないかもしれないが、それなりかもしれないそのレアリティに付加価値は決してつかない。つくとしたら、マイナスのそれだけ。

 まともで、平凡で、人生の一時いっときまともでも平凡でもいられなくなって、でもあとは、下降傾向を見せたり少し上昇したりしながらも、標準者の枠に収まり成人し人権を保持している、そんな人生。ただただ、そういうものだよね、それなりだよねと指をさされて笑う人間すらいるかもしれない、いや、そんな笑いの種になるにも足りないかもしれない。

 とりたてて、新しくもない、……言い切ってしまえば価値もそこまでなさそうな、データ上の、彼の人生。



 寿仁亜は思う。ひとの人生を、色とりどりの絵画や音楽のように想う。春に対してだけではない。出会うひとたちひとりひとりに対して、そうなのだ。同じ立場の者も、目上の相手も目下の相手も。寿仁亜はひとの人生を想像する。それはこの世の中でそんなに大勢が持っている能力ではない。多様性、と叫ばれた時代は過ぎ去った。より正確には、優秀で結果を残せる場合にのみ、多様性は尊ばれるようになった。多様性はいわば、優秀性の付加価値だ。優秀性がつねに優先する。多様性が優秀性に先行することは、決してない。



 寿仁亜は、ジェシカが以前教えてくれた、とある英語のフレーズを思い出す。


 ――Soソゥ, Ladyレイディ “ lackeysラッカーズmustマスト not ノットbeビィ, aren'tアレント theyゼイ?


 ――つまり、「欠落した淑女のみなさん」は生きていてはならない、ということになるわよね?


 それは、Mother-Boardの生みの親であるマザー・ルールの言葉だった。

 ラッカーズ、というのは元からあった言葉をマザー・ルールがアレンジして用いた新時代のはじまりの時代におけるオリジナルの言葉で、ラックしている、欠けている者、つまりNeco圏で言う人間未満の概念に近い、マザー・ルールの原初の概念によく見られる言葉だった。

 レイディ、淑女、などという言葉を使っているのがまたなんともオールディだが――マザー・ルールが性別の考え方を改めるのは、彼女の生涯のだいぶ後半であるから仕方がない。……高柱猫の存在が、彼女の考え方に大きな影響を及ぼしていたのも、まず間違いないことである。


 マザー・ルールと高柱猫の価値観は異なるところも多い。彼らはずいぶん衝突もしたようだ。



 寿仁亜はマザー・ルールも、もちろん高柱猫も、とびきり優秀だった人間として尊敬している。

 しかし、……しかし。



 人間未満、は常識的感覚としてわかる。劣った人間を、ひとのかたちに留めおいてもしょうがないから。

 だが、マザー・ルールの言った「ラッカーズ」がほぼイコール人間未満といまでは考えられていることに、寿仁亜は、若干の落胆を覚えなくもない。



 ひとりの人間の人生を。

 ひとりの人間の、価値を――活用しないままでいるのは、構造の側にも問題があるのではないだろうか?



 そんな目で、態度で、寿仁亜はいつも世界を見ているから、超優秀者たちは寿仁亜を可愛がり学生たちは寿仁亜を慕った。寿仁亜自身に、その自覚はあまりないのだが。



 つまるところ、自分が興味をもっているのは。あまねく、ひとびとの力を活用してどんなに世の中がよくなるのかと――月並みな、けれど、高柱猫が夢見たような高みとちょっとだけ被るのではないかなんて、そんな自信をもちたいような、ありきたりの、基本的な情熱であることを、依城寿仁亜というひとりの青年は確認する。


 自己を確認したうえで、ひとりの少年のデータに戻っていく。……その人生、そのものを、そこになにがあったかを、なにが起こってきたかを、そして、なにが起こりうるかを――想像する。

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