二年

 しかし、瑠璃と咲良は、海の気持ちに反対しなかったようだった。

 ただ、高校は辞めないほうがいいと、おもに瑠璃が説得したらしい。


 高校を辞めなくても、アイドルを目指す道がある――そう言って瑠璃が持ってきたのは、イノベーションスペシャリスト学部というものが併設された高校のパンフレットだった。海には、そのやたらに長い名前の学部の、アイドル学科をすすめたという。

 ……うまいこと、できている高校だと寿仁亜は資料を見て思った。学部というが、そう名乗っているだけで、もちろん大学以上の機関ではない。べつに名乗るのは自由だ。

 あたかもアイドルの専門学校のような顔をしながら、その実態は、普通の高校とあまり変わりがなかった。一部の時間割や放課後の課外活動をアイドル志望の活動に変えているくらいなものだ。

 つまり、普通の学校で言えばアイドル部という部活を用意してくれているようなものという程度の違いで、それを大きな違いと見るか小さな違いと見るかの判断はあるが、根本的に普通の高校であることには、変わりがない。

 勉強の中身は多少レベルは落ちるのかもしれないが標準といって差し支えないカリキュラムだったし、当然、高校卒業資格も得られる。



 この社会にもそういう抜け道はある。脈々と受け継がれ、存在し続けている。あとはそれを見つけられるかどうかにかかっている。奇妙な言い方になるが、なにかに劣っていたとしてもその劣等性が問題にならないような、あるいは、補えるような、言い方は悪いが相対的に「レベルの低い」場所を見つけられるかどうかというのは、人権の保持に大きくかかわっている。

 自分が居てもいい場所、存在価値を感じられる場所、というのは現代ではきれいごとに留まらない。存在価値をその本人が感じている場合、よほどの勘違いや見当違いのケースを除いて、その集団においてなんらかの意味でほんとうに存在価値を発揮している場合というのがままある。

 構成員の存在価値があるというのは、文字通り存在する価値があるということで、その集団のなかに良い影響を及ぼしている場合がほとんどだ。

 集団のレベルを上げることができると、社会全体で見た際の生産性の上昇にもつながり、つまりは端的に言えば集団のレベルを上げる程度に存在価値があればひとまずは人権を保持するには足りるだろう、と判断されがちなのである。


 もっとも、新しい集団に移住したところで――馴染めなければ、さらなる地獄が待っているわけだが。



 高校の人間関係がうまくいっていなかったのもあるらしい。

 海は、瑠璃のすすめに従って、高校一年生の秋からイノベーションスペシャリスト学部のアイドル学科に編入した。


 そして。

 そこは大層、海の気質に合うところだったようで、ほとんど友達と遊ぶことのなかった海が、逆にほとんど毎日門限ぎりぎりに帰ってくるようになった。なにか危ないことをしていたわけではなく、学校公認のアイドル志望活動――その実態は「ごっこ」だったかもしれないが、ともかく、放課後にそういった楽しい時間を過ごしていたようだった。

 アイドル志望のほかの人間とぶつかるのではないかという懸念もあったが、結果的に海の場合はそれがうまく嵌まった。周囲の人間を嫌ったり馬鹿にするような発言は、やがて周囲の人間がすごいと、おもしろいんだと報告する発言に変わっていき、高校一年生の冬には「初めて親友ができた」と嬉しそうに語っていたという。

 そのあたりで、公的な相談支援も「社会性の上昇が見られる。成人の見込み充分にあり」として、ポジティブなかたちで打ち切られたという。


 その後の海の人生に、悪い意味での特筆事項はとくにない。

 結局アイドルになる夢を追うことはなかったようだが、高校で心許せる友人ができ、他人とうまくやれた経験は来栖海を大きく変えた。

 彼女の本来もっている、かわいらしいところや、ユニークなところが前面に出るようになってきた。

 高校時代の仲間のうちひとりはちょっとしたアイドルになったらしいが、いまも高校の仲良しグループで頻繁に集まり、アイドルになったその子を全力で応援しているのだという。


 海は、情報系の大学に進学。

 デバッカーとして就職し、その後は、最初に見た通りだ。今後、企画をやるのかもしれないが、どちらにしろ他人から好かれていてコミュニケーション能力の評価も高いらしいので、悪いようにはならないだろう。



 このようなパターン。

 一概に、来栖海のように対応していいものではない。……海はたまたまアイドル学科でうまくいったからよかったものの、諸刃の剣で、うまくいかなかった場合には社会性の低下をますます酷くしてしまうことにもなりかねない。


 しかし、もしかしたら、母親である瑠璃にはそのあたりがよく見えていたのかもしれない。

 海には、きっと合う――と。



 来栖春のひきこもりに対し、公的機関の対応は一切すべてを瑠璃だけで受け、春本人には決して会わせず、とにかく時間をくださいと頭を下げていた時期も――海を転校させていた、この時期に重なる。

 二年。海は転校した高校で楽しく過ごし、空はバスケットボールを趣味として続けながら技師の仕事を見つけて就職していった。



 そして、春も、その二年を経て二十歳の四月、新時代情報大学への入学を果たすことになる。

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