来栖空、そのデータ

 来栖空。

 来栖春、二歳年上の姉。


 先ほど会った印象通り、こうしてパーソナルデータで見てもやはり身長が高い。そして細身だ。しかし、ただそれだけだった。顔写真の下部をタップして全身の写真を見てみても、同じ印象を受ける。


 母親の瑠璃と同じく、普通の公立高校を卒業している。特記事項としては、小学校時代から中学、高校に至るまで、一貫してバスケットボールをやっていたこと。小学校では小学校のチームクラブで、中学と高校では部活で。

 けっこう本気でやっていたようで、何度かチームとともに首都大会まで進んでいる。そのプレイは、取り立てて目立ったものとして取り上げられたこともなかったが、かといってチームメイトの邪魔をしたこともなかったらしい。一発逆転や、状況を変えるほどの大きな流れはつくり出さなかったらしいが、堅実で、着実に、勝利に必要なプロセスをひとつひとつ押さえるような、そういうプレイスタイルであっただろうことがスポーツにも明るい寿仁亜には実際の光景としてもイメージされた。

 首都大会ではそれなりの結果を残しているが、惜しいところで全圏ぜんけん大会にまで進むことはついになかったらしい。

 当時のデータの記録を見ると、来栖空のチームメイトからの評価は良好。マイナス面としては、不愛想であったり多少言葉数が少ないというコミュニケーションの不得手さが挙げられていたが、それを補ってもなお有り余るプラス面の評価が、いくつもあった。いわく、努力家である、真面目である、きっちりしている、几帳面である、時間を必ず守る、約束を必ず守る、練習には必ず出てくる、人間関係で差別をしない、悪口を言わない、根が優しい……などなど、およそ美徳と思われる事柄が列挙されている。

 ……素晴らしいことには、違いないのだが、しかし同時にやはり地味な印象を受けるのも本当だった。たとえば来栖空のことを、とりわけすごいとか、突き抜けて秀でているとか、なにか優秀そうだとか、特別だとか、そういった類の記述は一切なかった。彼女のバスケットボールの能力を評価するのではなく、彼女はただただ、人柄がそれなりに評価されている――悪くはない、ものとして。


 どうしても、現代ではとくに、とりわけすごいとか、突き抜けて秀でているとか、なにか優秀そうだとか、特別だとか、そういった要素のほうが優秀性として評価される傾向にある――他人と比べて、という要素は非常に重要なのだ。

 他人と比べて秀でているから、優秀である。他人がふつうできないことができるから、優秀である。他人ができないことに対してすぐれた成果を挙げることができるから、その人間は社会を進歩させることができるし、だからその進歩の歩みの歩幅ぶんは、優秀者として特権を保障されるべきなのだ。


 そういったなにか優秀なものをもっていない人間は、次のプロセスとして美徳を目指す。つまり、真面目だとか、努力家だとか、悪いことをしないとかで、ひととしての第二の優秀性を発揮させようとする。

 それだけでもまあ、生きてゆけるようにはなっている。より能力の高い、本物の優秀者の下にいて優秀者たちに対して美徳を発揮する義務は負うけれど、それだけ呑み込めば、充分人間としての最低限豊かな生活が保障されることになっている――寿仁亜は自身も周囲も優秀であるからあまり実感がないが、頭ではもちろん、とりわけの能力がないからこそ美徳を発揮させるような人間のほうがこの世で大多数であると、わかっていた。


 来栖空自身も、それをわかっていたのだろうか。

 彼女は高校三年のときのバスケットボール部の引退試合を最後に、がっつりとバスケットボールに取り組む生活をすっぱりとやめたらしい。

 進学したのは、四年生の専門大学。父親の咲良と同じ種類の学校だ。そして咲良の学校と同じく、その専門大学は、取り立てて優秀というわけではない。技師を目指すという点も咲良と空は共通していたが、しかし、咲良と専門領域は違った。

 空の専門は、物体領域。一年生と二年生までは、物体領域を広く学んだらしい。三年生になるときにより詳細な専門分野を選択するカリキュラムだったらしいのだが、その際に空は不可視性領域という分野を選んでいる。

 空は二年生から、バスケットボールのサークルに入ったようだった。なぜ一年生のときには入らなかったのか。その一年、高校三年の受験生のころから数えればおよそ一年半のバスケットボールに対する沈黙が、来栖空という人間のバスケットボールへの想いを示しているのかもしれなかった。沈黙を、もってして。


 そしていまでは、不可視性領域調整師の仕事に就いているようだった。科学の実験をする際に、あるいは病院などで、どうしても不可視性の性質をもつ物体というものを操る必要が出てくる。空はその物質を操る――理論的、創造的というよりは、あくまで目の前にある不可視性の物質を、その場にいる科学者や医師や、より専門性の高い人間の指示を聞いてこまかく調整する、どちらかと言えば単純作業寄りの仕事だと言えた。もちろん、ある程度の基礎知識や専門性は必要なのだが――前提知識があればある意味では多くの人間ができる仕事、と思われている仕事ではあるだろう。


 とはいえ、不可視性領域の仕事は、ロボットではなかなか対応できない。専門性の高い人間の言葉を聞いて空気も読んで言語外の意味も必要に応じて汲み取って、微妙に調整しなければならない仕事は、ロボットには不向きだ。とはいえ、いずれはこの仕事もロボットにとって代わられるだろうと言われているが、現状では、人の手で行われることが多い。

 いまではあらゆる仕事がロボット化の対象だと言われているが、ひとまず、物体領域系の技師はその流れがすくなくとも後にくる仕事であると言えるだろう。


 賢く、生き延びられる道だ。そういう意味では、母親の――瑠璃の影響を、よくも悪くも、受けたのかもしれない。……空は幼いころからいまに至るまで一貫してトラブルも起こさず、とりわけの優秀性を残すこともなく、ただ淡々と生き、いまでもその暮らしは続いているのだろうと思わせるデータであることも――瑠璃、そして咲良との関連性を、なんとなく感じさせるのだった。……家族だ。

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