望んで

 ――余裕があれば笑ってやりたいところだ。口もとを歪めて、わざとらしく、気持ち悪く。

 そうくるんですね、と。卑屈に、相手を立てることだけに必死なおべんちゃらのように。


 でも、実際には僕の口もとは固まったまま、むしろ強張りを増した。懐かしい。この感覚。なにをされるか察知するとき。これからの自分の扱いを、優秀者を楽しませるための玩具となることを、いやでも予感してしまい、ありがたくも胸がいっぱいになるとき。

 思考は、軽やかに、軽すぎるほどに進むのに――身体は強張っている。そして、心も。……ばらばらになる。頭では、皮肉のひとつやふたつも言えるのに――心は完全に怯え、身体などは悲惨だ、縮こまって視線も固定されて自分の醜い脚の上半分を見ている、ほんとうに醜い、……きもちわるいから他人ひとさまに見せてはならないと、教えてくれたのは南美川さんだったのに。

 そして、それがほんとうに怯えているということなのかもしれないと、……理解することは、まだ回っている頭がいつも、いつも拒否する。ああ。だから。懐かしい。……この感覚。



 晒したくなど、なかった。心だって身体だって。いつか思考さえも晒されるんだ――そして僕は笑いものとなる。優秀者たちにとことん駄目出しをされて、やだ、と視線だけでも軽蔑されて笑われて、だからおまえは駄目なんだよ、と言われ続けて、とことん、駄目になる。そんな思考さえさらに笑われて、悪循環でしかないのだ。わかっている。……劣等な存在というのは、その程度のものだと。

 ……ありがとうございます、と。言わなくてはならないのか? そんな――世界一、くだらないことを。



 そもそも、晒されなければよかったのだ。

 南美川さん――だからやはり、僕はあなたに感謝をしなくてはならないのかもしれないね。

 ……ありがとうございます、と。僕の勘違いを、ありがたくもありがたくも打ち砕いてくださって、それも高校時代という人生のわりと早めのころに、気づかせてくださって、……晒されることにも慣らしてくださってほんとうに、ありがとうございました、と。



 ほんとうに。……ほんとうに。

 冗談じゃ、ないんだよな。



「……自分でしたくて土下座をしているんですよね?」



 司祭が。

 南美川幸奈の弟と妹の魂を直接注ぎ込まれているであろう、人間が。

 穏やかに、表面上はあくまでも穏やかに問うてきた。



 僕は、そんな彼を見上げる。

 そして、僕を見ている、……高みから見下ろしている人々の視線が、こちらから見なくともわかる、……うつむいたままの僕の全身に、あちこち、刺さっている、……こんな気持ちの悪い身体に。




 ……いちばん、もっとも、困るのは。

 言葉を、封じられることだ。

 それだけは、なんとしてでも避けなくてはならない。


 いま、僕にとってのプログラミング装置は生身の口しかない。この人工知能社会で、驚くべきことに。




 いやだ。ほんとうにいやだ。認めよう。僕は、いますごく、死にたくなるほどいやなんだ、と。死にたい、と思ったことなら何度もある。だから自分を畜肉処分にできないか、高校のころは調べた。でもけっきょくは、死ねなかった。母さんに止められて。

 ひきこもりのころなら死ねたかもしれない。死んでおけばよかったのかもしれないな。もう、そんなことを考える頭もなくなって、あのころはいじめの記憶に苛まれて叫ぶばかりの日々で――そして次に最低限まともな思考が戻ってきたころには僕は、まともな人権を得るために必死で、必死で、大学に入って社会人になって……気がつけば、決まりきったルーティーンの日々を送るだけの、からっぽの、抜け殻みたいな存在になっていた。



 なぜ、僕は死ななかったのだろうか。……本来、人間でいるべきではなかったのに。



 ああ、だからかもしれないな。けっきょく、逃してはくれないんだろう。僕は劣等で。間違って、人間でありつづけて。まるで一人前の人間のような顔をして、いつのまにか澄ました顔で、社会で生きて。

 でもけっきょくは、バレる。わかるひとにはわかるのだから。みんな、僕より優秀なのだから。




 僕は人間に値しないのだ。……人間に値する存在が、こんな仕打ちを受けるとは思えない。

 南美川さんからも、そう扱われた。

 そして今度は、彼女の弟と妹からも――。



 こんなの、慣れっこのはずなのに。

 屈辱的というのも厳密には間違っている、……下である人間が、その劣等な存在に相応の扱いを受けることは、屈辱ではない、正当なことの、はずなのに。



 ……いまさらすぎるだろう。そんなの。

 わかっていたはずだと――いくら、自分に言い聞かせても。



「……はい。お願いします。……土下座、させてください」



 口にした瞬間、電流が走るように全身が震えて。

 心の痛みは、なぜか消えない。

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