落ち着きましょう

 ――みそぎとは。

 殴っても、いくら殴っても罪がなくならなかったから。公園にいる人々を異形の存在にしたり、命を奪ったとこの世界では決めつけられた僕が、……今度は人々に屈辱的なかたちで従うことで、やがて罪がなくなりハッピーエンドを迎えられる――のだという、……司祭の説明することを、そのまま受け入れるのならば。



「かの者の罪をみそげば、犠牲となった人々は、浮かばれましょう! きっと――帰ってきましょう! かの者は正当なるサクリィゲームにて罪人と認められた存在。かの者こそが! すべての元凶なのです! われらの大事な、ひとびとを、無垢で哀れな獣と化し、命を奪い、なにもせず傍観し、――かの者がいるからこそわれらはこのような目に、あっているのです!」



 そうだそうだ、と人々は同意する。おまえのせいだ。……おまえのせいだ、と。



 そんなことできないけれども僕はこっそり笑いたくなる、影さん、……ずいぶん司祭が板についてきたじゃないか、って。


 そして、この世界は。化と真のつくった、この世界は。

 まさかとは思うが――異形となった者や命を奪われた者まで、再生できる世界なのか?

 それはもう、はたして人知を超えている――この世界がもともと異常な世界だと言われればまあ、……その通りなのだけれども。



 そもそも、なぜ土下座などしなければならないのだろう。土下座すれば罪とやらがなくなるというのか。

 服を脱がす必要はどこにある?



 まったく――南美川さんたちといい、このひとたちといい、僕が一応はひとのかたちの心を持っていることなど、……お構いなしだ。



「早くしろよ!」



 若い女性のだれかが、声を上げた。

 思考と心と相反して、身体がびくんと震える。ああ、怒鳴り声。この怒鳴り声。駄目だ、いやなことばかり思い出す。



 ――早くしろよ、シュンのくせに。



 南美川さんに幾度となく言われてきた。その言葉は、言葉のもつ意味以前に、それこそ犬に対する命令のように、ごくシンプルな意味をもった。――優秀者が劣等者に対して出す、上下関係のはっきりした、一方的な命令だ。

 言葉の、ほんとうの意味は教えてもらえない。ただ相手が苛ついていて、自分は上位者に従わねばならないと――そのことが、わかる。事実として。



 水晶でできた異世界じみた広場には人が集まり、文字通りの上から目線で、僕を見ている。各々、軽蔑や嫌悪、憎悪、……悲嘆を込めて。


 僕のせいではない――などと言ったところで、聞いてもらえるはずがない。彼らにとっては、僕は彼らの大事な人間を異形の存在にしたり、命を奪った、もっとも憎むべき、……罰するべき人間なのだ。


 ここは、化と真のつくった世界。

 いまはまだ、ぎりぎり、サクリィゲームという名が表すように、……ゲームのような世界だけれど。

 ……僕が思うに。



 賭けに負ければ、ほんとうになる。



 ……しかし、それにしても、まあ。

 予想外、というか――予想以上だったな。



 あのふたごはとことん、僕を辱めるつもりなのだ。必然的な意図があるのか、それとも、……いつもの、ただの悪趣味なのか。


 そういうところは、お姉さんに似てるね――などと言ったら、僕はいますぐ楽にしてもらえるのだろうか?



「黙って、俯いてんじゃねえよ!」

「早く罪を償いなさい、早く!」

「土下座しろ、さっさと土下座しろ、ほら、しろよお!」


 思考と心と、やはり完全には同期しない。

 僕の身体には。染みついている。けっして消えない痕として。

 暴力的な声に対して、頭でどれだけわかっていたところで、心でどれだけ拒否したところで、身体は勝手に、……反射を植えつけられた動物のように、情けなくびくつく。



「みなさん。すこし、落ち着きましょう。と、神の、思し召しです」



 影さん、いや司祭が急に、妙なことを言い出す。

 でも、司祭さま、と人々は口にするが、司祭は穏やかに、まあまあまあ、と彼らをなだめる。


 裸で正座させられたままの僕の背筋は、またたく間に、更に凍りつく――経験上、この展開はよろしくない。まったく、よろしくない。



 ――ねえ。みんなちょっと、落ち着きなよ。



 片手に腰を当てて、ぴかぴか輝く金髪と赤いネイルを煌めかせて、いかにも意地悪そうに言う記憶のなかのそのひとは――もちろん、南美川さんだ。かつての。……まだ手足も人権も、満足にあったころの。



 ――わたし、いいアイデアがあるの。



 高みから、遥か高みから南美川さんは僕を見下ろす。その言葉に、状況が少しはマシになるんじゃないかとわずかでも期待したのは、高校二年生のいじめられ始めたころだけ。その後はもう、この類の言葉に、恐怖しか覚えなくて――。



「かの者に、反省させねばなりません」



 司祭は、能面のような、穏やかというには薄っぺらすぎる、でも穏やかさに似た仮面のような表情で、ゆっくりと、僕を指さす。



 高校時代の南美川さんは、ある意味では明快だった。ともかく僕をいじめたかったのだ、僕がというのも傲慢で、要は身の程知らずな劣等者を。当然のこととして、正当なこととして、……劣等者を、ある意味ではほんとうに、ほんとうに正しく扱いたかっただけなのだ、……僕が彼女の気持ちを推し量るなど、それこそほんとうは傲慢極まりないのだけれど。


 だが、司祭は、いや――影さんはいま、どんな気持ちで僕に対して、そうしているのだろう。

 これこそ傲慢極まりない思考なのかもしれない……しかし。高校時代、南美川幸奈の壮絶な苛めを経験した僕は、知っている、……劣等な側は、いつでも優秀な側の顔色を、ご機嫌を伺わなくちゃならないんだ、って。



 涙ながらに、……高柱猫もびっくりのエモーショナリィな演説を、司祭は、繰り広げ続けるのだ。



「サクリィゲームを、この地獄を、終わらせるには。かの者に……自分で、望ませねばならないのです。どうか土下座させてくださいと。自身の罪を、みそがせてくださいませ、と」



 ――ああ。そうきたか。

 司祭、いや……南美川さん、あなたの弟と妹も、やっぱり、あなたに似て、……たいがい、悪趣味だね。

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