ピース

 寧寧々を中心に、寧寧々と可那利亜のふたりが話してくれたところによると。


 南美川家には、むかし南美川真の上に長女がいたはずだという。

 いたはずだ。この手の表現をするとき大抵の場合それはつまり、その人間――いや、元人間が人間未満処分になったであろうことを暗に確実に示す。


 予想通り、そうだった。

 ただ予想と異なったのは、南美川真の姉にあたる元人間は――いま寧寧々が依頼を受け可那利亜の開発する薬で、人間の身体を取り戻そうとしている最中なのだ、ということだった。


 人間未満処分をしたら、その身体は一生不可逆なのだと、世間一般同様てっきり思い込んでいた寿仁亜は――。


「……人間に戻す、そんなことが、可能なのですか」

「そうねえ、ほんとはあんまりおおっぴらには言えないんだけど……怒られちゃうしね?」


 ねえ、と可那利亜は整った顔を寧寧々に向けて苦笑した。寧寧々も、おなじく苦笑する。それは肯定の所作だった。

 寿仁亜は素直に感銘を受けていた――寿仁亜は教養としての他分野への関心が高く情報も収集しているほうではあるが、しかしあくまでも自身の専門が第一であり人工知能分野もつねに学ぶことが多く多忙な寿仁亜は、まだまだ知らないことがあると、自分を恥じて同時にそんなネガティブな気持ちよりもずっとポジティブに、まだまだ自分は成長していけると思った。……今回も、まだまだ知ることができるのだ、と。


 寿仁亜は寧寧々と可那利亜に質問し、人間に戻すとはどういうことなのか、理解を進めていった。寿仁亜が理解していく様子は丁寧でありながら簡潔かつ的確で、そう時間もかからないものだった。

 細胞の情報サンプルを多く欲している。その理由も、寧寧々は隠さず教えてくれた――無性者という新しい生き物をつくりたいんだ、と。プライベーティな苦悩の話も含まれていたが、寧寧々は見た目には淡々と話してくれた。内心はわからないが――。

 実は中学高校と一貫校の同級生であるという可那利亜も、寧寧々を応援したくてやっているの、と大きな大きな笑顔とともに、教えてくれた。


「……なるほど。人間未満への手術は、現在外科的手術ではなく細胞的技術なのですね。そして寧寧々さんと可那利亜さんは、倫理的に合法な理由を確保した上で、実験への協力を条件に、希望者に開発しているオリビタという名の薬を投与し人間の身体に戻すと」

「まあね、その確保っていうのが法律すれすれなんだけど」

「というより、どちらかというとアウトな気がするよな」


 寿仁亜はあえてコメントせず、微笑みで応えた――聞いた限りたしかに、……どちらかというと、アウトかもしれない。

 もともと人間未満にされた人間は人間未満に値しなかったと主張できるように準備した上で、人間未満処分など最初からなかった、社会評価ポイントの計算のミスだったと書類上見せかけるのだ。――危ない橋といえば危ない橋だが、いまのところはそれで回っているらしい。もともと、高柱第二研究所というと異端で危険な研究機関だと思われているから、木を隠すから森のなかだよ、なんてな、ははは、などと寧寧々はにこりともせず冗談を言っていた。

 寿仁亜も、高柱第二研究所の噂は何度も聞いたことがある。不穏な感じを受ける、という程度の印象にとどまっていたが――実際話してみないとわからないこともある、と改めて思ったのだった。思っていたより不穏なところではない。過激ではあるが――理念があり、感情があり、取引する互いに利益があるよう、フェアになるよう、独自の路線で研究を続けているだけのつまりは充分に研究機関と言うに値する研究所なのだと、寿仁亜はそう理解した。



 大きな情報を得られた――南美川真の姉だった人物、……人間だったころは、南美川幸奈という名前だった人犬のこと。



「いまは、どうしてるんですか。その……」


 その仔、と言うべきか、そのひと、と言うべきか迷いが生じる。普通、人犬と言えばその仔とかそのワンちゃんとか、そういう呼び方になる。人犬は、人間が材料なだけで犬なのだから。

 そのひと、と人犬を呼ぶのは近所でよく見かけるチワワや親戚の飼っているパグを、あのひと最近はどうしているのかな、と言うかのような抵抗感を覚える。

 しかしこの場合は――と、これまで培ってきた常識的感覚と戦いを始めようとしたところ、寧寧々が口を開いてくれたので、寿仁亜はさっと自分のなかでのささやかな価値観同士の戦いを停戦とした。


「……寿仁亜。ここまでぶっちゃけた私たちの仲だから言うぞ。いいな。だれにも言うなよ」

「もちろんです」


 まったくぶれない笑顔で応えながらも、顔をずいっと近づけてきて念を押す寧寧々に、寿仁亜はほんのすこしだけたじたじしていた。……幼いころ、小学校で同級生の乱暴な男子がよくこうやってだれにも言うなよと脅してきたことを思い出した。

 寿仁亜はもう、小さな子どもではないしあのころみたいに視野が狭くもないから、いまならなんら問題なく笑顔でこうして対応できるものの。


 寧寧々はすっと距離を取り、腕を組み足を組んで、窓の外を見上げた。……本日は快晴。外の明るい景色など、まるでモニター越しのバーチャルな別世界のようだけれど――。



「……幸奈はいま公園で春とともにいるはずなのだ」

「え――?」



 それは、あまりにも。

 あまりにも、偶然というには、決定的な関連性。


「南美川幸奈、さんは……来栖くんと、関係があるんですか?」


 戸惑いとともに、さん、と人犬につけてしまっていたが。

 そんな一瞬の戸惑いは、次の寧寧々の言葉で一瞬にして吹き飛ぶ。


「関係があるも、なにも。……幸奈を人間に戻したいと依頼してきたのは、春だよ。わざわざ私の知り合いまで伝ってきてね――その知り合いというのも簡単に、私を紹介するようなやつでもないのだよ。そいつの会社の後輩だったらしいな、春は。並大抵の感じではない、と。その知り合いは言っていたよ」


 ……パチン。パチン、と。

 ピースが集まってくる感覚に、まっしろだったところに嵌まっていく感覚に、寿仁亜は、ぞくぞくとする。


「ふたりは、どういう関係なんですか」

「わからない。ただ――恋人どうしに見えたな。私からすれば。……本人たちは、そうじゃないと否定していたがね、実際のところはわからんよ」



 それは。すくなくとも。

 どういったかたちで、どういった意味で、という検討は、しなくてはならないとしても。

 近しい関係であることは――確かだ。



 ……このピースがなにを意味するのかは、わからない。

 けれども――このピースこそがおそらく、いや、間違いなく、事件解決の、……それも犯人いや、犯人たちの動機そのものにぴったりと嵌まることは、このピースがなければ事件は本当の意味で全容を理解できないであろうことは――寿仁亜には、わかった。

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