内部監視プログラム

 ふう、と寿仁亜が彼にしては珍しく、わざとらしく――息をいて、大きく伸びをして、立ち上がってモニターから離れた。


「……来栖くんのプログラムは放っておいても大丈夫そうですね。来栖くんが学生のときにも、僕は彼のプログラムを見る機会がたまにありましたが――」


 Necoプログラミング入門の、プログラムの暗記だけではない。春の自ら作り出したプログラムのチェックを寿仁亜に頼んだことは、一度や二度ではなかった。


「学生のころよりも、じょうずになっています。いまのところミスもなく」


 寿仁亜の言葉を裏づけするかのように、見槻と木太とジェシカは退屈そうだった。拍子抜けしている、と言ってもいいだろう。チェックしても特に問題のないプログラムを読んでいるだけなのだ。


 寿仁亜はソファのほう、他の分野の専門家たちに向き直った。


「みなさん、大変貴重なお話をありがとうございます。状況はおおむねわかりました。そして僕は、考えたことがあるのですが」


 そこで、たっぷりと、寿仁亜はをもたせる。

 話を聞いているほうが――焦れるくらいに。



「やはり――中の状況を見ないことには、話が始まらないかと存じます」



 ……中の状況。

 公園の内部、ということだろう。


 もちろん。

 もちろん、それを見ることができればもっと状況は違うはずだ。

 完全に黒く塗り潰されているかのような、公園の内部。

 なにが起こっているかわからないから、各分野の専門家たちが仮説を立て、勝手に踊る。


「来栖くんの要求としては、自身の送るプログラムをチェックして実行してほしい、というだけなんでしょうが……それだけでは、おそらく足りません。すくなくとも……各分野への被害を食い止めるためには」


 踊るのを、止めなければならない。

 各分野の専門家たちが。てんでばらばらに、勝手に。……的外れかもしれないのに、あとで責任を追及されるかもしれないのに、大規模な実験なり演算なりに公的な大義名分を持ってして取りかかれるという事態の興奮に、大騒ぎに、ストップをかけなければならない。


「公園事件で多くの理系の学問が倫理的責任を追及され、停滞する事態になれば、社会全体が停滞します。……犯人はそれを狙っているのか、もしくは、そんなのどうでもいいと考えているのかはわかりませんが。いずれにせよ、このまま放置するわけにはいかないかと」


 寿仁亜は視野が広い。

 自分の専門だけではなく、さまざまな分野に目を向けて――それはこの世の中では無駄で、非効率で、不合理だとされていたが、そのなかで寿仁亜はNecoという専門性もたしかにひとつ持って、確実に優秀者となっていった。


 そんな寿仁亜がさまざまな学問を守ろうとするのは、当然のことだった。……たとえここにいる多くが、ぴんときていなくとも。

 銀次郎も、ぴんとはこない。しかし一番弟子のやりたいことなら、月並みな言葉で言うなら個性なら――ひと通りは、わかっているつもりだった。


 だから銀次郎は言う。

 一番弟子への、贈り物のつもりで言う。



「そうだな。中の状況を監視できるように――プログラムを、組んだほうがいいな」



 寿仁亜は銀次郎に笑顔を向ける。

 それはいつもの、つくりものじみた王者の笑みだったが――そのなかに本音の嬉しさが溶けるのを、銀次郎は見た。



 とはいえ。

 虚無とやらに飛ばされているのか座標軸がずらされているのか、いまだ不明点が多い事件だ。


 中を見るプログラムなんて、そう簡単に作れるのか。


 他の分野の専門家たちは、言葉を選びながらも揃って、不安そうに、しかし優秀者らしく率直に懸念を示したが。


「Necoの可能性は無限大です」


 寿仁亜は微笑み、銀次郎は彼らのほうを見もせず、当たり前のこととして、言う。


「Necoにかかればできないことなんざ、何にもねえよ。人工知能ってのは文字通りに人工知能なんだよ。人工ではあるが、知能だ、……生命体みたいなもんだな。あとはそんな、得体の知れねえ高次的な生命体に、低次元なこっち側がどうお願いするか――人工知能プログラミングなんて、やってることはそんだけだよ」


 そう。

 それが、すべて。


 だからこそ――人工知能プログラミングは非常に難しく、そして、生涯を賭けるに値するのだが。




 そして、新時代情報大学の対策本部は。

 公園の内部を監視するためのプログラムを組むべく、動きはじめた。


「来栖くんのチェックはひとり誰かが担当していれば、充分かと思います。交代制で、僕か見槻か木太かジェシカか、見ていきましょう。……先生は内部監視プログラムを組むことに集中なさってください。来栖くんのチェックをしていない三人で、できる限りのサポートをさせていただきます」


 弟子四人がいてくれれば、心強い。彼らなら自身のプログラムを台無しになどけっしてせず、良い方向に進めてくれると、銀次郎は経験上信じていた。


「大変心苦しく判断が微妙なところではあるのですが、ここからは新時代情報大学の対策本部は出入り無しとしましょう。……もちろん、みなさまを疑うわけではないのです、ご理解いただきたいのですが」

「ああ。わかるよ。やってきた者がスパイである可能性もある」


 寧寧々の言葉は、あっさりとしていた。


 午前中や昼間には可那利亜に呼ばれて何人かの専門家が出入りしていたが、けっきょく夜のこの時間まで残ったのは、寧寧々、可那利亜、理、てるる、あえるの五人だけだった。

 彼らは彼ら自身の専門性――生物学、化学応用薬学、物理学、応用数学、純粋数学の見地から、事件の分析を進めて、有益な情報があれば提示していく。

 対策本部がつくられている、あるいはつくられようとしている分野のほとんどを、ソファに座る五人はカバーしていた。



 そうして、内部監視プログラムをつくるための態勢は整えられた。

 ……銀次郎は、久々に本気のプログラミングに取り組む。



 まずはNecoにどう頼むかだ――Necoの動いていない世界の映像なり音声なりを、データにして送らせる。……難問だった。こんなでかい難問にぶち当たることは、人工知能専門家の人生のなかでも、そうないだろうと思われた。


 アイデアを、出さなければいけない。銀次郎は手を動かしながらアイデアを出していくタイプだった。キーボードをひたすらに、叩く叩く叩く。別世界につなぐ――そのためにはいったいどんなアプローチがいいのか、……キーボードを叩く速度よりも速くしかし銀次郎にとってはゆっくりと、思考が動いていく。



 別世界に、そう、つなぐ。



 ……春が、できたんだ。

 師匠の自分に――できないわけがない。


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