七日目、深夜、某所

ひとのこころ

 しん、と静まったモノクロのリビングの、やはりモノクロなカーペットの上で、彼らはぴこぴことレトロゲーム機のような公園内部の操作装置を動かしていた。

 青年は、カーペットにあぐらをかいて。双子の姉は、うつぶせに寝転がりながら。


「……ねえ、化」

「なあに? 真ちゃん」

「大丈夫なのかなあ、ほんとうに、大丈夫なのかなあ」

「大丈夫、だよ、大丈夫」

「あたしたち、ここまでのこと、したことないでしょ?」

「そう、だね。はじめて、だから。……すばらしい、挑戦、だよね」

「……化は将来、犯罪者になりたいの?」

「むずかしい、な」

「犯罪をしたいわけじゃないけど、犯罪を手段にするのは、しょうがないってこと?」


 沈黙と微笑みで、青年は双子の姉の言うことを肯定した。

 吐息のように身体をずらして、双子の姉はそのまま息を吐くかのように、つぶやく。


「……このまま、うまくいくのかなあ。気づかれたり、しないかなあ」

「みんな、自分の学問が、すきだから。夢中に、なってくれているから」


 自分たちの動機を、さまざまな学問の藪のなかに隠した――だからこそ、覗き込まれることはないと、青年は思っていた。


 青年は人間離れした優秀性をもっていたが、他人から自分がどう見られているかという客観性に関しては、弱かった。

 他人の能力を軽んじているわけではない。ポジティブに、各々の能力を、適切に、というよりはむしろ過剰に評価していく。


 だから、今回もさまざまな予防線を張った。国立学府で情報を周到に集めたうえで、各学問がいま何に興味を持っているかを正確に把握し、さまざまな学問の藪のなかに自分たち二人の動機を隠し、専門家たちの動きを止めて、自分たちの目的を着々と達成していく。


 だが、他人が自分たちのこころに興味があるかもしれないという、能力や専門性ではなく、いわばひとのこころに関する問題に関しては、この双子は、致命的に弱かった。


 より厳密には、双子の姉のほうがまだ他人の気持ちに思い至る――彼らの姉ほどではなかったが、しかし、あるいは双子が遺伝子をいじられなかったら発動していたかもしれない他人への気配りという個性が、双子の姉のほうにまだ、出ているのだった。

 しかしそれでも、たまに思い出す程度のことだった。操作され優秀になった遺伝子に、ひとのこころへの興味が覆われるように隠されているのかもしれない。ひとのこころに一瞬気がついてはすぐに、まぼろしだったかのように消えていく。

 青年に至っては、ひとのこころを夢見ることさえない。


 それでも、ふたりは生きてきた。楽しいことを見つけ、興味のもてることを見つけ、ほとんどのことに飽き飽きしながら、それでも自分たちのこころをひとのかたちに保ったまま生きてきた。


 彼らの姉は、彼らのこころをいちばん搔き乱す。だから、好きだった。だから、憎かった。だからこそ――とどめを刺して、あげたかった。



 ほかのなにを、差し置いても。それは。彼らのこころが、震えることだったから。



 双子の姉は、ひとのこころに気がついたことをもう忘れて寝返りを打つ。


「でも、あいつらがなにを話してるのか気になってきた。調子に乗ってるんだもん、むかつく、ゴミクズのくせに。もっかい、盗聴したほうが、いいのかなああ」

「……真ちゃんが。それで、いいなら、もちろんいいよ」

「でも、でもむかつく、盗聴しないとこっちが勝てないって思われてそう」


 ダイニングテーブルの上には、ショートケーキの残骸がある。上から食されたショートケーキは、下の部分だけを残して、どこかグロテスクに放置されている。

 いちごから食べていくのが双子の姉の癖で、しかもいちごをフォークでざしゅざしゅ、ざしゅざしゅざしゅと刺してぐちゃぐちゃにしてから食べていくのが好きなのだった。双子の姉は家でとる食事にやたらと時間をかける。スクランブルエッグもいちごも、好きなものほど、ぐしゃぐしゃに搔き回してから口にしないと気が済まないらしい。


 それを非効率などと、青年は責め立てない。そんな程度の非効率、双子の姉だったらあっというまに取り返せるから。双子の姉の能力は、自分たちの姉の能力とは違う。

 自身も実際、非効率であってもかわいい生き物をかわいいと言ってかわいがって、きもちよくなるのが、好きだ。

 だから。ぐしゃぐしゃにするのも、きもちよくなるのも、無意味だとも無価値だとも、思わない。


 それが自分たちの優秀な遺伝子との明暗のような副作用だとしても、自分たちの優秀な遺伝子を手放したいなんて、微塵も思わない。


 盗聴の話をしたら連想的に、双子の姉もショートケーキのことを思い出したらしい。……やっぱり、双子だ。


 彼らの話は、まわりから見ていると話題がころころ変わるように見える。だが、話題の変化を共有できる双子からすればそれは自然なことで、脈絡がないことでもない。……空気のように、当たり前に、彼らは話題の変化を共有している。


「むかむかしたから、ブランドのケーキ買ってこいって言ったのにさ。狩理くん、今日もつまんないショートケーキばっか買ってきてさ」


 夕方、双子の姉は荒れていた。仕事を切り上げてきたのだという双子の姉の婚約者が買ってきたケーキに、文句をつけ、さんざん当たり散らし、最後には土下座をさせてバールで背中を殴っていた。黙々と、淡々と。

 自分たちの姉が人犬として処分されて、自分たちの姉の婚約者だった彼が自分の婚約者となってから、双子の姉はサンドバッグのように彼を扱うことが増えてきた。

 双子の姉の、それは彼女なりの愛情なのだ。

 その風景を青年は微笑みながら見ていた。

 いつもの風景だと――微笑ましく。


 もちろん、今回の事件についても口止めをしている――従順な精神が骨の髄まで染みついた彼には言わなくてもわかるだろうが、でも言ってあげたほうが親切だと言って、双子の姉は言っちゃだめだよと彼に優しく、教え込んであげたのだ。


 夜は、彼は自分の小屋に帰る。犬小屋か馬小屋か、とにかく、家畜小屋に等しいボロアパートの小さな一室へ。


「狩理くんも従順なワンちゃんに育ったよねええ。……ううん、馬かな? 毎日、すずめの涙みたいなお金と社会評価ポイントを運んでくる」

「ブランドの、ケーキも」

「そうだね」


 くすっと、双子の姉は笑ってくれて、青年は嬉しい。

 双子の姉は、穏やかな微笑みを浮かべて青年の膝に頭を載せた。


「やっぱ、化に愚痴ったほうが、狩理くんにとってこいさせるよりずっと楽になるよお」

「そう、なの、えへへ、……ぼく、うれしい」


 すきな相手に頼られるのは、ほんとうに、嬉しいことで。


「……ねえ。化ええ。盗聴なんかしなくたって勝てるよねえ、あいつらなんかに」


 沈黙と微笑みで、青年は肯定する。


「気づかないよねええ、どうせ、ミジンコみたいなやつらに、あたしたちのレベルの思考がわかるわけないんだからあ。犬にはひとの思考がわかんないしねえ」

「犬は、ひとの気持ちにはちょっと気がつくよ、……人犬、も」

「気持ちに気づくレベルがせいぜいで、考えてることはわかんないんだからあ」

「……それは、そう、だね」


 青年は、ふしぎに思う。


 他者というのは。

 いつも、なにを考えているのだろうか。


 自分自身よりもむしろ犬や馬にひとしい知能と能力で――なにを、どこまで考えて、どういう生涯をおくっているのだろうか。彼らの目に――世界は、どう映っているのだろうか?


「ねえ」


 双子の妹の言葉が、ぽつりと宙に浮いた。


「化は……ほんとは、なにを考えてるの?」

「なにもかんがえてないよ」


 青年は、夜の明かりのなかで輪郭だけをぼやけさせて笑う。


「姉さんのことは、すき。真ちゃんのことも、すき。……姉さんをとったあのひとも、もっとかわいくしてあげたい」


 でも、という言葉を青年は呑み込む――それは、ネガティブな言葉だから。


「それ、以外は。なんにも、わかんない、……かも」

「……ふうん」


 双子の姉は、つまらなそうに言った。


「姉さんと、姉さんなんかに惚れちゃってる生意気なあいつをもっと犬らしくしてやりたいのは、あたしもおなじ」


 ぴこぴこぴこぴこ。

 ふたりきりのモノクロなリビングに、あとは電子音だけが響く。


 能力も予想も一般的な人間たちを凌駕して、しかし、ひとのこころだけはわからずに、彼らのこころに向けられている視線には目も向けようとせず、彼らの完璧な計画は進んでいく。


「……もっと、いじわる。しなきゃ、なのかな」


 青年の言葉は、双子のふたりきりの夜に、とけていく。

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