まるで懺悔でもするかのように

「南美川さん。ここからは、しばらく僕とは別行動だ。あなたのことは葉隠さんに頼んでおいた。残りの日の歩行ノルマは、葉隠さんといっしょにこなしてほしい。……今日を入れて、あとまだ九日あるけど、それをすべてだ」

「……え……?」


 尻尾は、萎れなかった。耳も。

 どんぐりのような目は、起きたときよりもずっと、ずっと見開かれているように思えた。僕の言葉が理解できていない。なにを言われたのか、わからない、いや、……言われたことを、聞き取れなかったということにしたって拒否したい。そんな本能的な、……ある意味では幼稚な感情が、ああ、南美川幸奈のことなのにやはり、……いま僕は、こんなにも手に取るようにわかってしまうのか――それも、人犬だからなのだろうか。


「……どういうこと、それ、シュン……」

「どういうこともなにも、いま言った通りだよ。……僕には、ここでやらなきゃいけないことがあると思う。サクリィゲームの対象が、たぶんひとりはいなくては、……駄目なんだ。進まないんだ。その役割を僕が受けないと、この世界の根本が破滅、……というよりは、世界が確定して――僕たち自身が、破滅してしまうんだ」

「なにを言っているのか、わからないわ、シュン」

「ああ、そうだね。そんなことは、……いまあなたに説明しなくってもどうでもいいよね」


 僕は、後頭部に手をやって、くしゃりと髪の毛を掴んだ。

 南美川さんは一瞬で怯えた顔をした――そんな。僕なんかに。怯える必要なんか、ないのに。そんな気持ちがまた僕の心にまとわりつく。でもそれは僕のわがままでしかないのだろう。じっさい、僕は……いまのこのひとをそこまで心底恐怖に落とすことを、たしかに、しているのだから。


「南美川さん。いま、理屈を説明しているひまはないんだ。でも、とにかく、僕はここに残る。あなたは、葉隠さんに連れていってもらって、あなたのやることをする。……そうしないと目的が達成できないんだよ。僕はあなたを人間に戻す」

「……え、なんで、どうしてよ、やだ、……やだ。シュンと、別々になるってこと? そんなこと……ないわよね?」


 ……懇願、してくる、そんなふうに全身全霊で、……僕なんかに、懇願をされましても、ほんとは、ね。


「そういう、ことだよ。南美川さん。お願いだ。……いい子で、聞き入れてくれ」

「……どうして……シュンもいっしょに来ればいいじゃないの。どうして、別々にならないといけないの? わたし、いやよ。いやだよお……」

「あなたが嫌なのはわかっている。それでもやらなくてはいけないんだ」

「どうして。どうして、どうして、どうして」


 南美川さんは。

 その瞳から、ぼろぼろと――驚くほど大粒の涙を、次々に、ぼろぼろ、ぼろぼろと、流しはじめた。



 葉隠さんが、そんな南美川さんを一瞬冷たい視線で見据えた。でも南美川さんは泣くことに僕を見つめることに精一杯で、そのことに気づいてさえいないようだった。

 葉隠さんが、ちらりと僕を見た。……僕は、さりげなく、視線を逸らした。そしてそのままの勢いで南美川さんの両肩を掴む――。



「しっかりして、南美川さん。お願いだ。……お願いだから」

「どう、して、や、やあ、いやよお、わたしシュンといっしょにいる、シュンといっしょじゃないと、いや、……いやなの、殺されちゃうの、死んじゃうの、わたし、……わたしっ、なんにもできないの、できないのよお、シュン、シュンがいっしょにいるから、いるからね、できるの、わたし、わたしね、シュンがいるから、いるからよ、いるからがんばれたの、いるからとりかえせたの、なのに、……それなのにどうしてバラバラになるの、いや、いやよお、シュンはわたしを捨てるの――」

「だから南美川さんしっかりしてってば」


 僕は、その両肩をさらに揺さぶった。怯えきった顔で、南美川さんが見上げてくる。……僕はたしかにいま、このひとに対して苛立ちを隠しきれていない。疲れもある。迫る時間、事情もある。でも、それ以上に――僕は自分自身に、認めていることがある。



 ……わかっている。わかっているんだ。

 すべては、僕のエゴなんだって。

 南美川さんを、人間に戻す。そのためにはまず、南美川さんの身体を人間に戻さなくてはいけない。僕が、そうすること。僕が、そうしたいんだってこと。

 じっさいに苦しむのはこのひとなのに――。



 でも。……それでも。僕は。……僕は。



「南美川さん、お願い、お願いだ……」



 僕は、このひとの人間のときのままのつるつるで、でも傷や寒さで赤くなっている両肩を、あらためて、掴んで。

 ……痛いわシュン、って南美川さんは言ったけれど。

 でも。抑えられなかった。力を。自分でコントロールすることすらできなかった――僕自身のそんなどうしようもなさを僕自身はやっぱりこうやって思い知らされる、でも、……でも、だから、……だからなんだよ、南美川さん。



 どうしようもないことは、もうとっくにわかっている――あなたがつらいことも、僕の過去が動かないことも。だから。……だから。お願いだ。そんな気持ちを込めて僕は、……こんなにも小さい人犬の身体のこのひとの前で、うなだれたのだ、……まるで懺悔でもするかのように。

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