猫よ(12) 「人間の再定義の提案」
……アイドルになるという猫の試みは、成功した。
とんでもなく、成功したといっていいらしい。
『私はなにせとてもとてもとてもかわいかったから、にゃんっ』
猫は、彼は、そんなふうに……おどけたように、語っている。
そんなふうに振る舞うこと自体ほんとうは出血を伴わずにはいられないはずなのに――。
ともかく。
成功した。
猫は、アイドルとして人気が出た。
とても、とても、とてもとてもとても、人気が出た。
もともともっていた魅力的な、女の子、としての容姿に加えて、徹底して研究されたメイク、ファッション、立ち振る舞い。そうしてできあがった、天性のものと努力がマッチしたその容姿はもちろんのこと、猫は、そのトークでひとびとを惹きつけた。
……僕も、それは知っている。猫は――たいそう、しゃべりがうまい。会話とかのコミュニケーションというよりは、なんだろうあれは、演説とでもいうのだろうか。ふしぎな力があって、なかなかひとを――離さない。圧倒的な、パワーがある。だからいまでも、猫が自分でこれは残してよいと判断した、バーチャル・ネコの話す動画は――学校で教材として、用いられているくらいなのだから。
ただ、アイドル時代の猫のしゃべりは、かならずしもそういった、力強いものだけではなかった。あくまでアイドルとして活動していた以上、どこかひとの支えとなるような、わかるよ、という共感的なしゃべりかたも――猫は、得意としていたという。
……それも、なんとなくだけど、わかる。猫の演説はときになぜか――あなたのことはよくわかっているよ、とでもいうかのように、……語りかけてくる、心をわし掴みにされた感覚が、ある。それは僕だけではない。むしろ僕なんかはそういうものにはあまり捕らえられたりしないほうなのに、それでも、どこかはっとして、感じ入るところがあったのが、それがつまり、猫の力ということだったのだろう。もっと感じやすいひとは当然として――猫に、心酔した。いや。いまも。……している。この現代の、世のなかにおいて。
猫の最初の活動領域は、当時はまだテレビというメディアを主流として配信されていた、深夜番組だった。深夜、モニターに張りつくひとびとの、最初は若いひとたちの心を、猫はどんどん捕らえていった。しかし猫が若いひとびと中心のアイドルだった時代はほんの半年ほどだった――猫の人気は広がり、ある日国立学府の学年主席だということも世間に知られて、朝や昼間や夕方、いろんな時間帯の、いろんな番組、やがてテレビに限らず自主的につくった動画メディアや、書籍メディア、音声メディアなど、ありとあらゆるかたちで――猫は、いろんなことを、いろんなかたちで、いろんなひとに向けて、でも、いつもつねに、……そのありようを、崩さずに、語った。
語りまくった。
猫はたいそう配慮ができた。ひとの嫌がること、傷つくことを言わなかった。いつ、いかなるひとに対しても、そのつらさと、そのひと自身を尊重するというスタンスを取り続けた。それでいて、しっかりと自分の意見をもっていて、譲れないところはけっして譲れなかった。でもそれがよかった。それが当時の社会のひとびとを癒した、場合によっては救った。……癒してしまった、救ってしまった、のだ。
……猫の存在が、そうやって世間に確実に認知されはじめたころ。
彼はそんな非常に広範囲にわたるアイドル活動のなかでも、当たり前のように、二年生のときにも学年主席を取って。もちろん、その専門の哲学に限らない。すべての学習分野においての、総合的な、学年主席だ。三年生でも学年主席を取って。四年生、卒業時でも、学年主席を取って。そのあとには、引き続き阿形教授のもとで、国立学府の当時はまだ数少なかった、研究生となって。
アイドル活動も、もっともっと活発に、深く、おこなうようになって。
そして、やがて。
猫が無人島で友人だと思っていた人間たちに、犯されてから――五年の歳月が、流れたときだった。
猫は、ある日唐突に、彼を犯した彼らを告発した。
普段と同じ、アイドル衣装で。普段と同じ、しゃべりかたで。
でも後半になるにつれ――アイドルの猫ではなく、素の、彼として。
阿形教授の全面的サポートのもと、彼は、それをおこなった。
滞りなく、おこなった。
全面的に、告発した。彼を。彼を。彼を。何人もの人間を……特定的に。
彼らは人間に値しない。人権を奪え、と猫が生涯ではじめて、現代の社会に通じる価値観を唱えたその歴史的な演説は――「人間の再定義の提案」と題されている。
そのタイトルは、いまでは当たり前に、学校で教えられる。強調されて、これがいかに現代社会にとって大切かって、この社会が好きな教師や大人ほど、熱っぽく、語る、子どもたちに教える。だから僕だって当たり前に、いや、Neco人工知能圏で教育を受けた人間ならみんな……知っている。
……あんなに優しくひとの心がわかる癒しで救いのアイドル、猫が、そんなふうに激しく告発をおこなうことに、ショックを受けたひとも、いないでもなかったんだろう。
でも、それ以上に――世間はもう、猫に惚れてしまっていたんだと思う。ある種の、熱狂だったんだと思う、もはや、すでに、それは。
だから、彼の言うことを、同情的に、共感的に、……ときには涙さえ流して、そんな、かわいそう、わかる、自分だけは猫の味方だ、と思ってしまった。
猫の言うことを、全面的に受け入れてしまった。
「人間」の定義から除外するべき「ヒト」がいる、という理屈も入ったその提案を――全面的に、受け入れてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます