猫よ(11) アイドル、ネコ誕生
阿形教授というのは、有名人だ。僕が知っているくらいなのだから。
彼は、猫が生涯「変人教授」と呼び続けた人物だ。でも、同時に、猫が「先生、先生」と慕ったのも――彼だけだったのだ、ということも。
旧時代の最後を生きて、新時代の礎となって。猫が国立学府の学生だったときにはすでにもうそれなりの年齢で、孫がたくさんいたのだという。銀髪に近い白髪で、温和で、身長が高くてひょろっとしていて、目をしかめるのが癖で、愛用の丸眼鏡はかけたりかけなかったり。一見、まったく目立たない人間だったらしい。
それでも、旧時代においての業績が確かなものだったから。国立学府の立ち上げのときに、声がかかり――それまで生涯のほとんどすべてを過ごした国立大学から、国立学府に移ってきた。それで研究を続けていたのだという。
その専門は、哲学――いまでこそ世界観の構築に有効とされる学問だが、当時は人気のない分野だった。そんな時代に阿形教授は、細々、ほんとうに細々と研究を続けていたらしい。いまでいう、人工知能
猫は阿形教授の口癖を、いつもからかっていた。……新時代のあけぼのになっても。
『あの変人教授は、僕はパンクチュアルな人間ですから、というのが口癖だったんだよ。僕も真似てやろうと思ってさ、それで私はコンテクチュアルな人間だよ、って言うようになったんだよ。もちろん、冗談だよ? 冗談に決まってんだろ。はー、馬鹿馬鹿しい』
などと言いつつ、でも猫アンタは――やはり、阿形教授のことを、……おおむね、かなりの好感をもって見ていた。自身の手でつくりあげた、新しい社会がかなった暁には――頼まれなくても阿形教授をその最も高い位置で優遇しよう、と思っていたらしい、……そんな話が、いまこの時代に実際に生きる僕の耳にだって、当たり前のように入ってくるくらいなのだから。
実際のところ。
阿形教授をそのように優遇することはそう難しいことではなかっただろう、……実際に、阿形教授は超優秀者だということが、その後にあきらかにされたのだから。
しかし、ともかく、そのころは、まだ。
猫は革命家ではなく一学生に過ぎなかったし、阿形教授は革命の礎ではなく、確実な実績はあるけれども地味で目立たない大学教授のひとりでしかなかった。
猫はさまざまなことを期待して、阿形教授の研究室に入ったということもまた有名だが、阿形教授はその期待をはるかに上回る人物だったらしい。もっともそのあたりのことは、……すこし専門的になってしまって、僕にはよくわからないし、だからだろうか、あまり世間で語られることもない。たとえば、哲学なんかを、それも国立学府なんかで修めていれば――わかることなのかも、しれないけれど。
そうして、まだ生まれたばかりの国立学府の片隅の、哲学科の阿形教授の研究室で。
猫は、阿形教授とともに、世界の革命をスタートした。
……その通りに、世界がつくりかえられていったのだ。
まず、猫がやったことといえば――アイドルを始めることだった。
これは阿形教授のアイデアだったという。阿形教授は、猫の性別にかかわることをすべて承知したうえで、アイドルだ、かならずあなたはアイドルをやるべきだ、と強く強く、すすめたのだという。あなたは一見非常にかわいらしい女の子ですし、いけます、だからやりましょう、と。
……もちろん、アイドルをやるためにやったのではない。世界を革命するために、なにが見えていたのか阿形教授は――そのように、提案したのだという。
そして猫にもなにが見えていたのか、その提案を受け入れて、アイドル活動を始めた。
もともと、ほんとうに一見非常にかわいらしい女の子の見た目をもっていたと言われる彼だ。ましてや、あの夏の無人島の事件があってからは、みずから女性として着飾ったり振る舞ったりも、していた――その時点でだから彼にはすでにもう多くのなにかが見えていたのかも、しれないけれど。
……もちろん。もちろんのこと。
男性としてのその心は、おなじだったはずだ。
猫が急に、自分が女性であると思いはじめたとか、ましてや受け入れたのだとか、そんなことはナンセンスだと、いまの時代のみんな、みんな言う。それは劣等者の理解だと。そうではなくて。……そうではなくて。
猫は、もっと大きな目的――つまりして現代のようなシステマチックで合理的で健全で福祉的で幸福な社会をつくるために、……旧時代のなかのいかにも旧時代的価値観のなかで、心のなかで血を流しながら、泣きながら、叫びながら、それでも世界を変える手段として、女性アイドルとして全力のパフォーマンスをおこなったのだ――ということは、ふつうに生きていればそこかしこで、……感動して、みんな語る。
だから、僕も知っている。
だから、僕も、……ずっと、アンタのことを、そう思ってきたよ。
猫はすごいことをしてきたんだ、って。
それこそ、もっと幼いころには、まったく、ぜんぜん、……まっさらに、馬鹿みたいになんにも疑わないで、さ。
そう思って、きたはずなんだけれども――。
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