猫よ(10) 阿形教授

 ……国立学府の、大学一年生の、秋。

 猫は、ひとりになったという。


 このころの高柱猫にかんする有名な話を、僕もいくつも聞いたことがある。

 コートやズボンのポケットに両手を突っ込むようになった。その振る舞いは彼の特徴的なもののひとつで、公の場で話をする場合、猫はよくそうしていたという。だがそれは彼の生来のものではなくて、ちょうどこのころからのことらしい。

 やたらとおしゃれをするようになった。それまでの猫は、彼の言うことをそのまま信じるならだが、あまり服装にはかまわなかった。しかし、このころから彼はおしゃれをするようになった。男性としてのおしゃれではない――女性としてのおしゃれだ。そのセンスを買われて、猫はやがて、……アイドルとしてデビューする。

 自分のことを「私」と言うようになった。かわいらしく笑うことが増え、首をちょこんと傾げる印象的な動作も、このころからのことらしい。一見して彼は、それはそれは明るくてかわいらしい「女の子」になったと――いうことだった。


 だから彼はたぶん、その秋も、両方のポケットに手を突っ込んで、おしゃれをして、かわいらしいようすで、ちょっと微笑んだり首をかしげたりしながら、歩いていたのだろう。――ひとりで。


 犯されて、旅行から帰ってきたあと、彼の心境になにがあったのだろうか。それは諸説あったが、詳しいことはわからない。猫は、自分がどう変わったかはのちに語りたがったのに、どうして変わったかは、語りたがらなかったという。



 猫の容姿は大変魅力的なものであったらしく、国立学府の学生たちは猫と仲よくしたがった。でも猫はそのたびにそれらを愛想よく、しかしきっぱりと遠ざけたという。

 ひとから声をかけられたくなければ、おしゃれをしなかったらいいのに――しかしそれもまた、違うのだろう。猫の後の生涯を考えれば、個人的に親しくはしないけれどもひとから魅力的に映っておく、というのもまた、……必要な、ことだったのかもしれない。

 猫は、目立って、人気で、それでいて、ひとりだった。


 猫は学業に集中したという。国内の超優秀者だけが集められた国立学府においても、目を見張るほどの成績。夏までは遊んでいたこともあり、中間くらいだった成績は、その努力の甲斐があり。一年生の終わりには、主席となることができたという。


 主席となった者には、国立学府の教授や講師陣、同級生や先輩後輩の集会で、公に研究の希望を言うことが許される。

 そのときに猫が希望したことというのも、また有名な話だ。



 私を阿形あがた先生の研究室に配属してください。

 二年生に上がったらすぐに、研究を開始したいです。



 阿形教授――有名、とても有名なひとだ。

 僕だって、当たり前のように知っている。

 高柱猫の師匠的存在。彼が社会を変革する話を真剣に聞き、全面的に協力し、結果として旧時代と現代の架け橋となった、哲学を専門とする教授だ。

 猫の参謀役ともいわれる――まだ若かった猫にいろんなことを意見し、励まし、ともに戦い、ときには吹き込んだりもした、食えない人物。でも阿形教授がいなければ、もしかしたら猫は革命を成功させることができずに、だからある意味ではやっぱり現代をつくった決定的な人間の、ひとりだ。


 会場は、ざわめいたという。

 阿形教授というのは、ほんらいはとても優秀だけれども、当時はまだその優秀性が知られていなかったのだという。むしろ、劣等と見られがちだった。

 だから、どうしてあんな優秀な高柱さんが阿形教授に――という雰囲気に、なったのだろう。


 研究の内容は、猫は、その場では言わなかった。

 それは阿形教授と出会い、彼が信頼に足る人物であるかどうかを見極めたうえで、慎重に、打ち明けられたに違いない。


 そうして猫は、阿形教授の研究室に配属されることになり。

 阿形教授を見極めたうえで、猫は、打ち明けたのだろう。




 この社会を、革命したいんだ――と、いうことを。

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