猫よ(4) 猫は、青春したかった

 それは、のちにはみんな知っている。僕ももちろん、知っている。そして、僕でさえも、あまりに残虐さにぞっとする――やられた彼らは、哀れだなどと、……僕がいちばん抱いてはいけないような感情さえも、かすめる。でも、それほどに、有名で、有名で、ほんとうに彼らは有名で……ある意味では、そう、「時代のいしずえ」となった、……彼らたちのこと。



 アンタは、……高柱猫は、そういうわけで意気揚々と、まだ当時はできたばっかりの国立学府に進学することになるんだ。


 とはいえ、その際にも、いろいろあったらしい。就職をしろと言ってくる担任教師。それも、不本意でもいいだれでもできる仕事でもいいから、あなたは高校を卒業してすぐに働くのが家族のためにいいんじゃないの、あとでだって勉強はできるんだから……そう言って、高柱猫が国立学府に行くことに、最後まで反対し続けたという。


『夢を見るなとアイツは言ったよ』


 アイツ、と高柱猫は、高校三年生のときのその担任教師のことを呼ぶ。


『国立学府なんて、新しくて、得体の知れない学校は、やめなさい、ってさ。学費免除も、給料が出るのも、アヤシイって言って、きかなかったよ。僕は優秀だから大丈夫なのにさ。そう伝えようとしたけどアイツはそれも、きかなかった。まあ、僕があんまり他人と話すのが好きじゃないのも、いけなかったのかもしれないけどさ……でも、いや、あいつはやっぱわかってなかったな。だって僕に言ったんだ。そんなのは宣伝文句だって。第一ウチの学校にいるような人間が、優秀なワケないって……アイツさ、僕が家族のためにフルでバイト掛け持ちしなくちゃいけないから、家からの最短距離で高校を選んだこと、けっきょく最後まで納得もしないし信用もしなかったな。私、学年一位なんですけど、って言ったってさ、こんな高校で学年一位でもねえ、あなたそれはねえ、とか言って笑うだけだ。いやらしく。アイツなんでじゃあそんなクズみたいな高校で教師やってたの? 俺のマジの学力だったら、来るわけないだろ、こんな高校。学校選びは単に本人の優劣だけではない、家のカネや環境が絡むってこと、どうしてアイツは最後まであそこまで否定したかね』


 いまの感覚からするともちろん、ありえないと思う。

 高柱猫ほどの、超優秀者だ。国立学府の最初期の学生として彼は、同期のだれよりも校内評価ポイントを稼ぎ、あっというまにとんでもない給料を得ることになった。いまの国立学府からしたって伝説的なその記録。……それだけで、彼がいかに優秀だったかなんて、僕みたいな劣等者だって、一発でわかる。

 なのに――旧時代は、そういう制度さえもきちんと整備されてはいなかったから。


『あと、家族のゴミどもも反対してきた。ゴミ。ゴミ。ゴミ。あいつらは、みーんなゴミ。俺の家族は二つに分類することができるよ。罪のまだないゴミと、罪のあるゴミ。前者もゴミはゴミだよ。もちろん。でもまだ幼いし、僕がいないとなーんにもできないからさ。まだ、罪はないって言ってやってんの。でも今後は知らんよ。たとえば成人したのに僕に寄生するようなゴミになったら、一瞬で社会的に棄ててやる。僕の国立学府進学のときのいちばんのネックは、なんと言っても罪のあるゴミのほうだった。あいつらは当時の基準では成人だったしとっくに働いて家族を養えるはずなのに、それをせず、僕の雀の涙ほどの労働に寄生していたんだ。労働というのはアルバイトだけではない、家事も、育児もだ』


 それを、想えば。……高柱猫の、生物学上の家族の、末路を想う。

 いまでは。有名な話、だけれども――。



『僕はまだ若かった。十七歳だったんだよ。そうやって、クズ担任と、ゴミ親とやりあってるときには。高校三年生だったんだよ。青春だって、したかったよ』



 ……青春。それは。

 あの、無敵で偉大な高柱猫にも――そんな時代があったんだと、むしろいまの時代の世のなかのひとたちを、うっとりさせるような、……ことば。



『おかげで僕はずっと青春ができなかった。遊べなかった。同年代が青春して遊び呆けてるときに……僕は、貧困家庭に生まれたというだけで、それらすべての権利を奪われたんだ。優秀だった。才能があった。努力した。それなのに、だよ。僕、やりたかったことがある』



 とりとめもなく思い出すこの、文章、高柱猫の自伝の文章を、通じてなのに。

 それはね、と冗談めかしたようでいて、真剣そのものの、……じっさいにはろくに目にしたこともない彼の顔が、浮かんだような気がした。



『恋を、したかった。男としてさ……かわいいカノジョを、つくりたかった。もうひとつは、友達が……ほしかった。男同士としてつるめる、気の置けない仲間が、ほしかったんだ。くだらない。要は、青春だろう。死んじまえ。甘ったれの、まわりも、僕も、馬鹿だらけだよ。こんなことを自伝に書かせている僕だって情けないよ』




 だから、だから、だからこそ。

 そのあとに続く、彼の国立学府の生活のいちばん最初に起こったもっとも大きな衝撃的なできごとは、その、できごとといえば――。








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