猫よ(5) ぐっちゃぐちゃのねっちゃねちゃの笑い話のバラバラの分断の混然一体
『……犯された』
猫は、端的に、そう言った。
『犯されたんだ。犯されたんだよ。ぐっちゃぐちゃの、ねっちゃねちゃだ、ねっちゃねちゃだってよ、笑えるだろ? そうさ笑えるんだよ笑い話だよ。笑っていいよ。いくらでも笑えよ。笑っていいんだよ? ほら笑えよ。笑えっつってんだろ!』
だれに向かって、彼は、……言っていたのだろう。
『ぜんぶぜんぶぜんぶバラバラだ分断されたんだ。私も僕も俺もだよ。いやすべてが混然一体になったともいえるのかな。すべてがすべてがとにかく私が僕が俺が犯された! そうさやつらは僕のすべてをぐっちゃぐちゃのねっちゃねちゃの笑い話のバラバラの分断の混然一体にしたんだよ。おかしいだろうほら笑えよ!』
その勢いは、……高柱猫というひとの肉声で、まるで聞こえてくるかのようで。
『僕のぜんぶぜんぶぜんぶ、ぜんぶだ。希望、祈り、掴んだはずの未来! そういうのを……ぜんぶ、ぐっちゃぐちゃのねっちゃねちゃの笑い話のバラバラの分断の混然一体に、ってさあ、……逆にすごくない? 才能、あるんじゃない?』
……具体的に、なにが起こったかというと。
それは、高柱猫自身の言葉よりもむしろ、後世に彼を研究したひとたちが興奮して世のなかにバラまく言葉を聞いたほうが、早い、のだと思う。
彼の言葉は――このことを語るとき、あまりに混乱するから。理性のかたまり、社会のいしずえ、すべてをつくったはずの支配者で革命者で天才のはずの――彼が。
学校の反対も家庭の反対も押し切って、その優秀さだけを武器に国立学府に入学した高柱猫は、そのときだけは、希望に満ち溢れていたのだという。世界平和を祈り、掴んだはずの未来に向かって、まっしぐらに進もうと、そういう、……青年だったのだという。
『根本的な俺の問題はなにも変わっちゃいなかったよ。相変わらず俺の身体は馬鹿みてえに可愛い馬鹿女そのものだったし、家に帰ればまたおなじ地獄が繰り返される。男に戻りたい。そう思うことだってなんにも変わっちゃいなかった。まあしいて言えば高校のあのクソ担任からは解放されたかな。あいつ、最後まで僕の未来に口出ししやがって。……でもさ逆に言えばあいつの言葉に従ってれば僕は犯されはしなかったんだよなあ、運命論、確率論とはいえ、ほんと、これって笑い話だと思いますわあ』
ちょっと卑屈な語り口で、猫は、……猫は、そう語る。
『まあでもだから、マシにはなってたんだよな。国立学府が最低限の生活の面倒は見てくれるから、高校のときあんなに掛け持ちしてた馬鹿みてえなバイトも、もうしないで済んだし。家族もまあカネが入るんならってだんだん納得していった。……そうなるとすくなくとも僕の学問への探求心を邪魔する者はもう、実質的にはいなくなってたんだ。家族に愛されなくても、社会に期待されなくても、とにかく僕は心穏やかに自分のしたいことをやれる環境になった。それも、四年間も、好き放題にね。そのはずだったんだ。……僕は望みすぎたのかな』
急に、そこで、……変に、弱気になって。
『希望、祈り、未来。そんな言葉を本気で信じた愚かな僕だったから、天罰でもくだったのだろうかね。ふわっふわして、綿あめよりも、中身がない。そんな言葉。吐き捨ててやれば、よかったんだ。よかったんだよ。そうだよ。そうすれば。少なくとも。……希望をもつことも祈ることも未来を掴もうと思うことも、なかった。だってさ。そうしたらさ』
猫の、言葉は、やっぱり変に、……ぶつ切れになる。
『友達をもとうだなんて、思わなかったはずじゃんか。友達をもとうなんて思わなかったら、あんな目には、遭わなかったはずじゃんか。僕が、人生ではじめてほんとうに心ゆるせる同性の友達ができたんじゃないかって思ったから』
それが、高柱猫、……僕とまだほとんど同い年の人間として当時の社会に生きていたアンタに寄ってきた、あの、歴史に残る最初の公的な劣等者たち――。
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