地獄に堕ちて、よかったな
……そこからは。
南美川さんを中心と、しつつも。
クラス全員の、指示になった。
ワイシャツに、手をかけた。
……時間の問題だとは、わかっていたけれど、下半身の下着を脱ぐのは――最後の最後まで、ぎりぎりで、ありたかった。
……涙とも、悔しさとも、絶望ともつかない、激しい動悸と鼻の奥がつんとする感覚を、必死に堪えながら。
僕は、ワイシャツの小さなボタンを、上からひとつひとつ、外していく。
……ひとつ外すたびに、クラスの団結したカウントダウンが響く。いーち、にーい、さーん……そして爆笑。それは僕の人間としての当然としての権利が、ひとつひとつ、剥がされていくカウントダウンでもある。そしてそれが嗤われているあかしでもある。
ワイシャツを脱いで、上の下着を脱いで、靴も脱いだ。
教室の床に散らばる、それら。
あとは、もう、……僕の身体を覆ってくれるものは、ほとんど、ない。
素肌が広く、剥き出しになっている。
きゃーっ、とか、いやだー、とか、女子が何人か叫んで、目を覆った。でもその声も口もとも、楽しそうだった。
「残り、どっちからいく?」
机に座って、脚を組んだ南美川さんは、ちょっと顎を上げて馬鹿にする視線で見下ろしてきて、言った。
それは、おそらく。……下半身の下着と、靴下と、どっちからいく? という意味だ。
ここから。
これまで以上につらい時がやってくるのは、わかっていた。
だから、無駄な抵抗だとわかっていても……そのつらい時を、一分一秒でも減らしたほうが、よいと思った。
……こうやって、まるでもっともらしいことを考えているみたいだけれど。
僕の判断は、もうまともでなくなっているに、違いない。
ここまできたらなにがどう転んだって尊厳が侵されることは完全にきまったのに――。
「……靴下から」
「あはっ。……全裸になっちゃっても、いいんだ? まあ靴下だけ履いてる全裸男っていうのも、……ふふ、変態っぽいけどねえ」
心を、殺したかった。
この女が、なにを言っても動じないように。
クラスのやつらのどんな下世話な感情を向けられても、動じないように。
石のように、かたくなに。……心が硬直してしまえば、どんなにかいいだろうって、思った。
靴下を、右足から、脱いだ。次に左足。
……心もとない。
素足で、教室の床を踏む日がくるなんて――思わないだろう、ふつう。
南美川さんが、僕を見ている。
僕は……その目の前に立っている。下着一枚のすがたで――。
「その地味な下着も、お母さんに買ってもらってるの?」
そうだけど。……そうだ、とは、とても言えなかった。
母さんのことまで、馬鹿にされたら……僕は。母さんに。……申しわけなくて。
「なによ。そんな、泣きそうな顔しなくたって、いいじゃない……やだ、ねえ、ほんとこいつキモいね」
南美川さんが、クラスメイトに同意を求めた。
クラスメイトたちも同意する。
「ほら、じゃあ早く。そのみすぼらしい下着、脱いじゃってよ」
はやく、はやく、はーやく。
教室じゅうが、盛り上がる。
僕の尊厳を剥がすコールで盛り上がる。
僕は、見世物に、なっている。
そうか。僕は。……僕は。
僕は、僕は、僕は……自分でも意味がわからず、一人称が、……リフレインする。
ぎゅっと、目を閉じた。
……母さん、ごめん。
父さんも……。
ああ。
どうしてだろうな。
一年生のときまでは。いや。今朝、学校に来るまでは。いや。放課後になって、帰ろうとするまでは――多少不穏な気配はあれど、いつもの一日だったのに。
そうか。
こんなにも、絶望的なことなんだ。
人工知能に、人権を完全に守るに値しない、と判断されるということは。
……それはノイズがかった、断片的な記憶。
とある動画を、思い出す。
人間未満の苦しみを取材するだけの、悪趣味な、インタビュー動画。
頭を剃られ。鼻輪をつけられ。矯正器具としての首輪で、無理やり上を向き続ける責めを受けながら。苦しそうな顔で、脂汗を浮かべながら。
それでも。人間の言葉で。調教師やインタビュアーに、暴力を受け、馬鹿にされ、唾を吐きかけられ、……嗤われながら、それでも、必死に、なにかを伝えるように、言っていた。
犯罪による人権剥奪者だったのかもしれないけれど――。
この世界にはむかし、死刑制度があった。
死刑制度は野蛮だし、それ以上にまず、経済的ではないから、廃止されて。
代わりに、死に値する罪を犯した者は、死よりつらい生を送ることで、償うことになった。
だから、そのつらさは、被害者や被害者の家族や関係者や世間が、納得するものでなければいけない。
わかりやすく、派手で、……エンターテインメントになるものでなければ、いけない。
死刑制度が残っていればよかった。
人権剥奪は、覚悟のうえだったけれど。
……思った以上に、地獄だった。
だから。
死刑制度はじつは野蛮ではない。どころか、よっぽど優しい制度だったんじゃないかって――。
なにを当たり前のことを。
中学生のあの日、僕は電気を消した部屋で、その人間未満を、たしかに嗤った。
動画のコメントを見ると、おおむねそういった反応だった。
当たり前だ。劣等者め。野蛮な元人間め。
一生絶望してろ。その惨めな姿で人間様に謝罪し続けろ。
よかったな笑ってやるよ。懲罰施設の住所、出てるから、今度暇なとき蹴りに行ってやろうか?
それにしてもこの顔! この仕打ち!
笑えるよな。
笑える。
ほんと、惨め。
こうだけは、なりたくない。人間でなくなるだなんて最悪。
いや、ふつうに生きていれば、こんなことにならないだろ。
上のコメントに同感。
おなじく。
そうだよね。劣等にならなければいいんだから。
地獄に堕ちて、よかったな。
……その通り、とそのときの僕も思った。
そうだ、コメントのみんなの言う通りだし、僕も思う。
人権剥奪刑が優しいわけがない。
だからこの社会ではみんながんばるんじゃないか。
すこしでも優秀になろう。
かりに優秀でなくても、劣等にはならないように。
人類社会という集団の足を、けっして引っ張らないように。
だから――笑い者になるのは、当たり前なのに。
じゃあ、いまの僕だって。
こうなるのは、当たり前?
この社会の常識が決定した。僕は。……劣等なのだと。
だからなにをされても仕方ないと――。
僕は、目を閉じたまま。
唇を、強く噛むと。
「……くっ」
自分でも、なかったことにしたいような、変な声が、漏れた。
その勢いで――両手で、一気に、パンツを、おろした。
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