管理
「……なんでって」
特大の理不尽が、いままさに、目のまえにある。
そのことを。全身でおぞけ立つほど体感しながら、それでも僕は彼女を見上げて、絞り出すように言う。
「もう、学校は、終わった、から……」
「なによ、その目っ」
その目ってどの目だ――そんなことを問うひまさえ与えず、今度は頬に、強烈な衝撃が走った。ハイヒールで思いきり頬を殴られたのだと気がつくまでに、そんなにたくさんの時間はいらなかった。
ただ、驚いた。滲んでくる血の味に。追ってやってくる、口のなかが傷ついたのだとわかる痛みに。……もうすこし力が強ければ、歯が折れてしまったのではないかという、その力の、衝撃に。……僕は呆然としながらも、驚いていた。
「あのねえ。教えてあげる」
南美川さんは、はるか高みで。
腰に手を当てて、しゃべっている。おちょくるような笑みもなく。冷酷に、僕を見下ろしている――。
「劣等者は、優秀者の許可なく動いちゃ、いけないんだから。どうしてだか、わかる?」
「……いや、その、それは」
「劣等者は優秀者に管理されるなんて、この世の常識でしょう? 学校でもそれは例外ではないわ。現代教育法でも、校則でも、定められているもの。だからあんたの管理はわたしたちがするのよ」
「……管理、って……」
彼女の言うことは、もっともだ……常識だ。でもそれはほんとうにほんものの劣等者に対しての話だ。
僕もいまそうだっていう話なんだろうけれど。
そんな劣等者に向けるような言葉が、自分自身に向けられていることに、……実感がもてない。
「そう、管理。ほら。劣等だと人権が制限されるでしょう?」
「……それは、そうだけど」
「だから人権制限者の生活は、まともな優秀性をもつ社会のひとびとが、管理してあげるの。そうでしょう? 起きる時間、寝る時間。食事、睡眠、運動。余暇の時間はどう過ごすの? まともになるにはどうしたらいいの? 手取り足取り、ひとつひとつ、ね。……必要だったら、ほら、ねえ、……ふふ、排泄とかもね? ほら、……赤ちゃんみたいに。あっ、でも、……性欲も管理されるのだから、赤ちゃんとはちょっと言えないのかしら。ねえ。……ねえ。そうでしょう?」
そうでしょう――と言われても、困る。
口もとに手を当てて、くすすっと、彼女は笑った。……おかしそうに。
「人権制限に限らず、人間未満になれば、動物やモノとおなじ扱いになるわね。だから生活も権利も、ぜんぶ管理してあげるの、優秀者が。ありがたいお話よね? だって劣等者は自分ひとりでは、生活もろくにできない、人間社会不適合者なのだもの」
そこで、彼女はまた笑った。
でも、くすすっ、という笑みとは異質な笑みだ。
一見、ふつうに単に、ふつうの女の子みたいに、無邪気に、かわいく――まるで対等な友人に微笑むかのようなその表情を、はるか高みから、……彼女は、僕に向けてくる。
「シュンだって、このままいけば、そうなるわ。だって、……あんなにお勉強ができないんだから」
「それは……僕は……これから……がんばる……」
「がんばりかたがわからないから、あんな悲惨な成績になるんでしょう? それはつまりできないってこととおなじじゃないの」
「……そんなの……」
僕は、うつむいた。
膝に乗せた、両方の拳を、痛いほど、握る。
こんなことになると、思わなかった。
……僕は、そりゃ。
ずば抜けて優秀だったわけではないけれど。
中学のときや、高校一年生のときは、それなり、だったはずだ――それがどうして、クラス替えをして、環境が変わっただけで、……こんなに。もちろん研究者志望クラスが優秀者の集まりってことはわかっているけれど――。
……気がついたら、クラスメイトたちがもっと集まってきて、陣取りはじめている。
椅子に座ったり、机を椅子にしたり。スマホ型デバイスとかを取り出したり、お菓子を取り出したり。ともかく。……落ち着く気が、満々だ。
まるでサーカスでも見に来たみたいに――。
これが、彼らにとって、……エンタメの感覚だとしたら。
その主催者は、南美川幸奈にちがいない――。
だから、……だからだろうか、彼女は。
にっこり笑って、僕にひとさし指を向けて。……愉しくって、愉しくってたまらないみたいな、無邪気そうな顔で、かわいらしい笑い声で、……命令するのだ。
「とりあえず、服ぜんぶ脱いで。裸になるのよ」
まるで、端的な、事実でも述べるかのように。
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