無能教師

「……常識ですよね」



 僕は、精いっぱい強がって、和歌山にそう返した。



 わかっている。常識だ。この社会は、優秀者がつくっている。だから優秀者にはたくさんの価値が還元されて、劣等者にはほとんど価値あるものは与えられない。だからこそみんな必死に優秀者になろうとするし、一段階でも上にいくことこそが、人生で必要なことなのだ。

 僕だってもちろん知っている。だから、勉強をがんばろうと思っているし、いままでのぱっとしない人生を振り返ったうえで、一発逆転しようと研究者志望クラスに入ったのだ。……いろいろとアドバイスしてくれた一年生のときの担任の水入先生には悪いけれど、僕は、そんなふうにこの程度でいいや――と、諦めてしまいたくはない。まだ、まだ僕は、そうするには、早いと思う。僕には可能性があるのだ――。


 だから、僕だってもちろん、知っている。

 中学のときだって、いや小学校のころから、そうだった。

 優秀な生徒は校内でできることが多い。劣等な生徒は校内でさまざまな制限をかけられる。だからたとえばおしゃれな生徒は決まって優秀だ――劣等な生徒は、決められた服装でなければいけないから。

 そういうものだ。そんな。……いまさらのことを。



 ……研究者志望クラスに入ったら、ある程度自分のそのなかでの偏差値が下がることは、覚悟していた。

 校内でできることも、きっと減ると。でもそれも覚悟のうえで研究者志望クラスに来たのだ。

 けれど。まさか。そんな。……そこまで、ひどい立ち位置にいるだなんて、思うわけないじゃないか、僕は――しっかりと、勉強したんだ。しっかりと、……やるべきことをやってきたんだ。




「なあ、俺がなんでずっと研究者志望クラスの担任をやってるか、話してやろうか」

「……いえ、べつに」


 興味ないし、一刻も早くここから立ち去って帰りたい。それにそもそも和歌山がずっと研究者志望クラスの担任をやっているなんてこと、はじめて知ったし、そのうえでそんなことめちゃくちゃどうでもいい。

 でも和歌山は和歌山のほうで、僕の返事なんかどうでもよかったみたいだ。その口が、独立したひとつの蛇みたいな生きものみたいなその口が、また、ぱくりと開く。


「普通、研究者志望クラスってーのは、生徒は優秀だろう。そりゃそうだ。その学校の少数精鋭が集まってるわけだからな。でもじゃあその担任がどうあるべきかっていうのは、どうだ、どう思う」

「……先生も優秀じゃなきゃいけないんじゃないですか」


 どうせ、優秀な生徒には優秀な教師が必要、だから自分も優秀なのだ――そういう論理につなげたいんだと思って、どうでもいいことをほんとうにどうでもよく、言った。和歌山はそこでそうそうそうそうと悦に入って続きをしゃべりはじめるかと思ったら――そうではなかった。和歌山は、ぶっと吹き出して、大口で笑った。どこか、無邪気にさえ見えるようすで。……これは、予想外の、反応だった。


「やっぱ、そう思い込んでるやつって、多いんだあ。違う、違うぞ。研究者志望クラスの教師っていうのは、そこそこでいいんだ。劣等すぎても教師は務まらないが、だがぶっちゃけ、その学校の教師集団のなかでは――下から数えたほうが早い、そういう立ち位置にいなくちゃなんだよ」


 僕は、和歌山がいきなりなにを話し出したのか、その内容も、その意図も、まったく掴みきれなくて、ほとんどぽかんとして新しいこの担任教師を見ていた。

 和歌山はひとしきり笑い終わると、肩肘だけを机について、どこか不敵な顔をして目をぎらぎらさせて、噛みつくように笑ってしゃべる。



「生徒が優秀なんだから、教師が管理する必要なんざ、ほぼないってことだ。逆に有能な教師ほど優秀な生徒との相性が悪い。教師と生徒どうしで喧嘩しちまうんだ。まったく、生産性がないよな。……だから俺みたいな無能教師が必要なんだよ。優秀者のたまごには、無能を当てる。こりゃ、現代教育界の常識みたいなもんだな。おかげさまで俺は毎年楽々。優秀なやつらは自己判断ができるからな、生徒指導もほとんどなけりゃ、ただ偶然担任になっただけの人間相手に、相談になんかろくに来ねえ。残業ほぼなし、保護者対応ほぼなし。……俺はそのへんのツボをよくわかってんだ。だから逆によ、研究者志望クラスを卒業する生徒たちにはいつも感謝されるんだよ。先生、僕たち私たちの優秀性をよくわかってくれて、教師なんて役割は一ミクロンも必要ないことをよく理解してくれて、介入しないでいてくれて、最低限のかかわりで、ありがとうございました――ってな」



 和歌山は、しゃべる、しゃべる、……しゃべる。



「だから俺は優秀者志望クラスの担任っていうこの仕事が好きなんだよ。超絶楽な業務、そのうえ優秀者とのコネクションもできる。なあ知ってるか、ほんとうに研究者になったやつってえのは、収入も社会評価ポイントもすげえんだぜ。そんであいつら余裕がたっぷりあるからよ、高校のろくになんもしない担任教師のことだって、同窓会に呼んで、先生高校のときはありがとうございましたなんてかわいらしいことおっしゃってよ、……いろいろおこぼれくれるんだよ。涙が出るよな。ちょちょぎれそうだよ。優秀者、さまさまだ。なあ、わかるだろう……だから俺は優秀者が大好きなんだ。もちろん、優秀者のたまごも」



 だからな、と和歌山は、蛇が威嚇するような声で言った。



「俺は、劣等者は、嫌いだ。俺のクラスには、そんなやつはいらない。異分子は邪魔なだけだ。そんなやつには――俺の研究者志望クラスで、人権はないからな」

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