客観(1)岸辺のこと

 糾弾は、非難は、沸く。

 沸き上がる、ものなのだと。

 ……こんなにも無言のうちにも。


 糾弾とは、非難とは、そういう性質のものなのだと。

 僕は、知ることができた。いや、ある意味ではやっと思い出していた――高校のとき、あの優秀なクラスでひとりだけ勉強ができなくて落ち込んでいた僕の、あのときの居心地の悪さ、それはまさに――このたぐいの、糾弾だ、非難だ、……ひとを責めるということだ。



「……そもそも、おかしいと思っていたんですよ」



 腕を組んで、どこか沈痛な面持ちで。

 隣に立つ女性が不安そうで、だいじょうぶですよと落ち着けるかのように視線を向けた、そのひとは――まさしく、岸辺のヒーローだった。そう、……僕が助けられなかったひとたちを助けて、僕が行動できなかったことを行動して、僕に、……がっかりだよと言った、あのひと、あの中年の男性。


「あのひとですね。どうもひとが悪そうじゃないと思った。頼りなさそうな若者でね。でもやるときはやってくれると思ったんですよ。……聞けば唯一、このなかで、この状況をどうにかできそうな専門性の持ち主だってことじゃなかったですか。ねえ?」


 隣に立つ女性も、口を開いた。


「そう、そうですよ、私たちを助けるために専門性を生かしてくれるはずだから、だからこそ私たちは期待していたのに、あのひとは、岸辺でなんにもしなかった。ほんとうはNecoプログラマーの専門性だって、私たちのために生かす気なんか、ないんですよ!」


 僕が助けられなかった子どもが、僕をゆっくりと指さす。


「……あのお兄ちゃんは逃げたんだよ」


 そうだよなあ、と岸辺のヒーローはうなずいた。つらかったよなあ、と続けると、その子どもは表情をぱっと明るくして、彼を見上げた。

 そして岸辺のヒーローは、さらに言葉を重ねてくる。


「こんな小さな子どもが溺れているのを見ても、なにもしないとは。たとえ自分が泳げずとも、そういうときには、人命救助のために積極的に行動することは社会人として当たり前でしょう……嘆かわしい」

「それどころか、あのひとは、私たちを見捨てて逃げました! 走って、逃げたんですよ。雑木林の奥まで。信じられないことだと、思いません? みなさん」


 ぱらぱら、と拍手が起きた。

 まばらだったのは、最初だけで――やがてそれらの拍手は重なっていく、どんどんうるさいものとなっていく。一斉に、この場のひとたちが拍手している。あの男性の、あの女性の、あの子どもの言うことを、たたえるために。同意して、そうだそうだと声を挙げるかのように――それは当然僕たちのことを責めていることにつながる、いや、……僕だけ、か。



 僕を責める、拍手、喝采。僕は、うつむいている。芝生だけひたすら見ている。元通りに戻ったかのような芝生。でも、なにもかもが、……元通りではない。



 岸辺のヒーローは、一歩踏み出して。

 ぐいっと、葉隠さんの腕を引いた。



「ほら、あなたは、いいんですよ。そんなところに、いることない。そんなひとの隣に、もういることないんです……」

「え、でも、私は、その……」

「ほら、ほら。こちらに、おいでなさい」



 あっというまに、葉隠さんは岸辺のヒーローに腕を引かれていってしまった。

 男性と、女性の真ん中に、収まる。

 女性は労りと共感と同情を最大限に込めた表情で、葉隠さんを見ていた。その背に、腕まで回して背中を撫でて――。



 ヒーローと、そのヒロインともいえるふたりの男女のあいだに挟まれた、葉隠さんは。

 そのふたりの男女が、すくなくとも僕たちよりは年上であろうという事情も、あいまってかもしれないけれど。

 まるで両親のあいだに立って守られる、彼らの子どもみたいに見えた。

 ひとつの家族みたいに見えたのだ。

 奇妙にも。葉隠さん自身は居心地が悪そうだということにも、そんなふうにひとつの家族らしさを感じたのだ――家庭にいる子どもは、なぜかこうして、ときおりすごく居心地が悪そうに見える。……戸惑ってさえいるように見えたりもするのだ。



 南美川さんが、前の両足で僕の脚をなんどか引っ掻いてきた。



「シュン、違うわ……」

「……そうだね」



 違う。いろんなことが、違う。なにもかもが。

 誤解だ。そう思う気持ちはあった。でも、――周りから見ておまえはそうなんだとこうまで言われてしまっては、誤解だと叫ぶことにいったい、……どれだけの意味が、あるのか。もう、こうなってしまっては、なにもかもが手遅れなんじゃないか――この場の人間たちによる、客観的な僕に対する判断。……客観に、呑まれる。

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