嵌まった
――べつに、そこまで、嫌じゃない。
その瞬間思ったことはだから、僕の自分自身に対する言いわけだったんだろう。だってじっさい僕のほんとうの感情がそうして幻の電流を走らせてしまったんだと思った。だってじっさいほんとうのところはそんなにも嫌で、僕は気持ちの奥の奥でそう思っていて、でもやっぱり、……まるで痛みを感じて手を引っ込めるだなんてジェスチャーなんて、あまりにも、失礼じゃないかとわれながら思ったから。
でも、たぶん数秒して。
おそらく、なにかが、違うな、と気づいた。
……葉隠さんも痛がっている。目にすこし涙を浮かべて、火傷でもしたときみたいに手をぶんぶん振っている。じっさいにその指からは不自然な煙が出ていた――ひとごとのようにぼんやりと眺めていたら、次の瞬間には僕も指先に激痛を感じた。
「……ねえ南美川さん。いまってもしかして、ほんとうに電流が出た?」
「ほんとうにって、どういうことよ、ほんとうにもなにも、いま出てたわよ!」
……どういう、ことだ。
あのまま、すんなりと済むのではなかったのか。
ゆるしのフェーズとやら。手を握りあう。許しあう。そうすればちょうちんに色が灯って、どこかまたべつの世界に転送されて、いまこの瞬間はとりあえず、一件落着――。
そうなるのでは、なかったのか。
「おやおやおやおや? 駄目なのですよ?」
僕と南美川さんと葉隠さんは一斉に声のしたほうを見た――そこには、司祭が、……影さんが、奇妙な笑みを浮かべて立っていた。……いつのまにか。……音もなく。
相変わらず虹色のけばけばしい衣装で――。
「どういうことなん! 私ら、ルールに則って、やることやったんよ。それがなんで――」
「いいえ。ルールには、則っておりません。正確には、ですね? ……そちらのかたが、ルール違反」
司祭は。
ゆっくりと。
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりとした指の動きで、ひとさし指で、僕を指さした――ルール違反、もちろんそんなの、……身に覚えはない。
だいたいなんにもわからない――。
「みどり髪の、おかた。この、ゆるしのフェーズの、ルール説明は、覚えてます?」
「だれか相手を見つけて、ペアになる。ふたりひと組。手を握りあう。相手を、許しますと言う。そうすればクリアの、単純明快なルール――やろ!」
「ええ、はい、……もちろん。けれどもルール違反のご説明も、申し上げませんでしたっけ、……ふふっ」
司祭は、やたらこっちを見てくる。
熱っぽく。
なんだ、それは、なんだというんだ。――なんの意図を込めてそんな表情で僕を見てくるんだ。
「そもそもこのゆるしのフェーズは、残念にも、いやしのサクリィをお受けできなかったかたがたのみを対象とした」
「いわば敗者復活戦なんやろ。知っとるわ。聞いたわ」
「その通りです。……なのにそちらのかたは、すでにいやしのサクリィを受けておりますね……」
「……どういうことですか」
言葉が、もう喉から出てきてくれないかと思った。感情が、詰まりすぎてて、状況が、……混乱しすぎて、そういうものが僕の心をつっかえさせる、身体的に喉さえしぼめてしまう。
司祭は、にやりと笑った。こんどこそ、……思いきり。
「お忘れとは、言わないでしょう? 癒して、あげましたよね。あの雑木林の奥で。はちみつ色の空気と、水晶の音で――」
「……あれもいやしのサクリィにカウントされたんですか。どうして、そんなこと、……まったく言ってなかったじゃないですか」
「どうして、そのことを、隠していたんですか?」
「隠していませんよ……そもそも気がついたらもういまのフェーズがはじまっていて、わけもわからなくて」
「みなさんに自分はいやしのサクリィを受けたがわだと説明することだって、できたでしょうに……」
「だから、ずっと、その、……わけもわからず、眠ってて」
どういうことだ。どうにも、噛み合わない。
司祭は、目を輝かせている。らんらんと。らんらんとして、僕のなにかを責め立てようとする。暴き立てようとする――。
「わけも、わからない? そんなわけ、ないでしょう。……自分から、雑木林の奥に逃げたのでしょう? 岸辺で、自分だけは違うと、言い出すことができずに」
「違う、それは、……違います。その、逃げたのは、……結果的にそうかもしれないですけど、その理由はべつにそんないやしのサクリィがどうかとかではなくて――」
「どうでもよかったと? ……まわりが極度の疲労に悩まされていたとき、あなただけは、すでに癒されていたというのに」
なんの、なんの話だ、いったい。
噛み合わない。ほんとうに。よくわからないことに、なっている――。
司祭は自信たっぷりに僕のなにかを責めてくる。
指をさして。口を大きく開けて。唾を飛ばすかのような、勢いで。
「あなたは、いやしのサクリィをすでに受けていたにもかかわらず、いやしのサクリィを受けていないひとたちに、不正に混ざり込んでいたのですよ」
「それは、違う、……そもそもあなたが授けてくれたことじゃないですか」
「ゲームですから、たまにはエラーも起こります。変なことも。でもそれじゃああなたはそのあとに、それを周囲のひとに伝えようとしましたか? ひとこと言えばよかったじゃないですか。自分はすでにいやしのサクリィを受けたと。どうしてそうしなかったんですか?」
「それは、そこまで、……言えなくて」
「それはどうしてでしょうかねえ? 後ろめたかったからなんじゃないですか?」
「違う、そうじゃなくて、そんなことをそこまで言う必要なんかないかと」
「そんなこと? あの場では、みなが癒されたくて必死だったというのに? それをよりにもよって、そんなこととおっしゃる! ――聞きましたか!」
司祭が、両手を広げて大きく叫んだ。
その瞬間――景色が、一変した。
まるでデータを一瞬で入れ換えたかのように。
これは。
もとの、広場だ。……まだ世界がおかしくなる前の。
すくなくとも、ぱっと見にはそうだ。
雑木林が見え、池が見え、芝生があり、なだらかな傾斜がある。
ごくごくふつうの、公園の景色。
夕暮れが、終わろうとしている。夜の透明な青さに沈み込みはじめているごくありふれた公園の広場の景色――。
しかし、違うのは。
ひとびとが、円状になって、僕と南美川さんそれに葉隠さんを、囲っているということだ。
知った顔も、いくつかあった。黒鋼さんに、守那さん。ミサキさん。それに、いままでこの公園で顔を見てきたひとたち。さっき岸辺で会ったひとたちもいる――ヒーローとなったあの男性の隣には、そのあと労るように近づいていったあの女性が、寄り添うようにそばに立っている。
百人は、もういないのかもしれない。
でも、八十人か、九十人か……それくらいは、いる。
そういうひとたちが、僕と南美川さんと葉隠さんを囲んでいた。
全員、違うひとのはずなのに。個性だって、それぞれまったく違うはずなのに。
たとえば、それは、黒鋼さんと守那さんとミサキさんを取ってみたって。
それなのに、みな一様に、おなじ顔で――静かで虚ろでそれでいて失望だけは、はっきりと感じとれるような表情で、僕を、……僕たちを、見ているのだ。
「さあ、どうですか? みなさん!」
司祭は、空から降ってきた。ゆっくりと、円の中央に、舞い降りる。
「嘘をついていたようです。みなさんを信用しないで。――この未曾有のみなさんで協力しなければならないときに!」
演説、している。……よく言う、と思うことばっかり。
「裏切り者だったようです――さあ、このひとたちを、許すも許さないも、みなさん次第です!」
ああ――こうなるのか。
よくは、わからない。まだ、なにが起きているのか、全貌は見えない。
でも――確実に、嵌まっている。
嵌められつつあることは、……たぶん、事実だ。
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