手と手を、握りあわせようとして
けれども、僕は。
そのまま、手を差し出すことは、できなかった。
葉隠さんの手を取ることができなかったのだ。
手を取って、なんだか知らないが、許す。そのことさえいまおこなえば、状況はたぶんこれ以上悪化しないのだろうと頭ではわかっていたのだけれど――。
……僕の、相変わらず黒い手袋で、指先以外は隠したままの、両手。
僕は手をその白い手に伸ばそうとして、ちょっと引っ込めて、また伸ばそうとして、そうしてこんどは一気に――ひっこめた。
「……すみません。やっぱり、できません。僕には」
「来栖さん! やからねそんなこと言ってはる場合やないの――」
「だって、おかしくないですか、怪しくないですか。そうは、……思いませんか」
「そんなん言うたら、おかしいのも怪しいのも最初からや! ここが全部おかしゅうなっとんの。そんなかでどうにか私ら生き延びな、あかんのよ! やから早う私の手を取って許すってひとこと言うてな! そうしてくれんのなら、私のほうから、無理やり――」
「すみません。やめてください。勘弁してください。……怖いです」
激情の言葉、それとまったく同質に伴い、僕の手を鷲かなにかのように掴もうとした葉隠さんの手は――その瞬間、だらりと垂れた。
「……なんなんよ、それ……」
葉隠さんは信じられないという顔をしている。
「私と手ぇ握りあって許すって言いあうだけのことが、そないに怖いん? 形式上のことやんか、こんなん! ちょいっとやればほいっと済むこと――」
「すみません。怖いんです。手を握りあって許すって言いあう、それだけのことが、……僕はほんとうにできないんです」
「なあ、怖いからできへんの? それとも、おかしいから、怪しいから、できへんの? はっきりしてな!」
「どちらもです。たぶん。……いますごく抵抗がある」
自分が、すごく情けない自覚は、あった。
もちろん。
それでも――。
そのとき、膝が大きく、激しく、素早く引っ掻かれた。
南美川さんが、そうしているのだ。まるで飢えて餌を求める犬のように――けれどもその顔は、どこまでも人間らしく、理性的に。
「いまそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
南美川さんは、吠える。人間の言葉で。人間としての意思を、もってして。
「シュン、握るのよ、……そのひとの手を。そうして、許す、って言うの。簡単なことなんでしょう? そうすれば、このフェーズは終わるの。ゆるしのフェーズというのが終わるの!」
「でも、南美川さん、……この世界は」
「わかってるわよ、怪しいなんてことくらい、罠かもしれない! でも――でも、そうだとしても乗っかっておかないと、……ゆるしのフェーズで成功しなかった人間には、なにがあるかわからないじゃない。さっきのいやしのフェーズだって、そうだった!」
僕は、ぼんやりと葉隠さんに視線を戻す。
葉隠さんは、苦笑していた。……妙に意地悪く、疲れたように。
「……吠えるなあ。来栖さんの、犬は」
僕は、葉隠さんを、まっすぐ見据えた。
南美川さんの動きが、ぴたりと止まった。……おとなしくなった。
「……すみません。僕のせいです。ごめんなさい。でも――やっぱり、やらせていただいても、いいですか。……手を握りあう。そして、許す、と言いあう」
「……なんね。南美川さんの言うことなら、素直に聞きはる……」
葉隠さんは吐き捨てるように言って、凶暴に笑った。
すみません、という気持ちを込めて、僕は小さく頭を下げた。
視界には、水晶の地面と、手袋をつけた僕自身の差し出した手と。
足もとには、南美川さんと。
そして、うつむいたその視界に入ってくる――白い手、葉隠雪乃の手。
覚悟、した。
ひとにふれることは、こんなにも怖い。
やはりこんなにも嫌悪感を覚えるものなのだ。僕がふれるのが、嫌だからではない。僕がふれられるのが、嫌だからだ――僕はなにかずっと汚いものだ。ふつうの人間は、もっともっときれいなものだ。だから僕はひとにふれればその瞬間そのひとに泥、いや汚物でもなすりつけているかのようになるのだ、吐瀉物とか排泄物とかと同様に。
そうすることは当然相手を損なうことになる。そうすれば当然、……一生、僕のその罪は、拭い去れないのだし。
僕が汚いということはほかでもないこの南美川さんが教えてくれた。
だから、緊張した。
近づいてきて、その手が、僕の、……剥き出しの指先にふれそうになる。
やっぱり、やめたい――そんな気持ちを抑えるのに、必死で、だから、
気持ちの、問題かと思った。
その、現象は。
僕と葉隠さんの指先が直にふれあおうとした瞬間、火花が弾けた――お互い思わず叫んで手を引っ込めるくらいの、強烈な、いや、これは、……電流か?
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