岸の旅館
あとから、追いかけると。
ナンバーツー池の、湖に渡された橋。
緩やかなアーチ状のその橋の、真ん中、四阿には。
みごとに、ひとが集まっていた。
たかっていた、と言ってもいい――まるでホールケーキにむらがる蟻のようで僕は、……ちょっとした、胸焼けのような気持ちの悪さを覚えた。
僕は橋の入り口に立って、つまり身体の向き一直線上の位置関係で、その大騒ぎを眺めていた。
真ん中には司祭がいて、ひとびとの話を聴いているらしい。
ひとりあたりにかける時間は、さほど多くないようだ。一分、いや……一分もかかっていない場合もある。その短時間でごく短い話を聴いて、判断して、司祭は彼らの本日の命運とでもいうべきことを決定しているらしかった。つまり、本日、よく休めるか休めないか。
ひとびとがどのように決定されているのかを知るのは、簡単だった。
あえて、言ってしまうのならば。
川の向こう岸と、橋の両側だ。
あくまで、彼のその用語ともいうべきものを借りるのであれば。
いやしのサクリィ――あるいは癒しそのものに値すると司祭が判断した人間は、橋をそのまま渡ることが許されて、向こう岸へ行けるのだった。
そこには小さくも立派なたたずまいの、旅館のような建物があった。いつのまにできたのだろうか。そちらの方角にはこの公園ではもっともミニマムサイズのナンバースリー池しかないはずだが、そう、だからほんとうにいつのまにか、……その建物は、つくられていたのだ。自然もある、この公園のなかでは。不釣り合いと思えてしまうほど、あまりにも繊細で豪華で華奢で、高級そうな雰囲気で。
服も身体も泥やらなんやらにまみれて、くたびれ果てたひとびとは、旅館の入り口にたどり着くなり歓待を受ける。妙な、ひとがいた。……広場で見たこともないひとたちだ。これまた高級そうな着物をしっかりと着込み、髪も古典日本風にきっちりと結って、来客用の完璧な笑顔を見せ、おかえりなさいませお疲れでしょう、とか言って、旅館のなかに案内していくのだ。
旅館のなかをそのまま覗き込むことはできないが、障子越しにあたたかそうな雰囲気ならば伝わってきた。人々が影絵のようになって、おそらくはくつろいでいるのであろう様子が察せられる。
旅館にはなぜかちょっと不似合いの、サンタクロースでもやってきそうな煙突がついていて、そこからもくもくとアニメみたいな煙が出ている。その煙は、ほかほかしていて、どこかおいしそうな匂いをはらみ、疲れきったここのひとびとに期待を抱かせるに充分すぎるほど充分だった。
それだけではない。ときおりひとが出てきて、叫ぶように手招きをした。おそらく、いやしのフェーズやらを訝しんで、家族や仲間よりも先に司祭に対してそれを試みたひとびとなのだろう。
あたたかそうな浴衣を着て、下駄まで履いて。背伸びして、こっちこっち、安全だよ、気持ちいいよ、癒されるよと主張するそのすがたは、けっして嘘には見えなかった。顔はつるんと輝き、汚れは落ちて、くたびれ果てた印象はもうどこかにかき消えている――。
もっとも、彼らが僕たちの幻覚ではなくて、かつ彼らがなんらか強制的に騙されていなければ、だけれど。けれども一生懸命彼らが彼らの家族や仲間を呼ぶようすは、……偽物のようには見えなかったのも、ほんとうだ。
旅館には明かりもついている。橙色で、あったかそうな雰囲気そのもの。
けれどもいまは昼間では――そう思って見上げれば、天気は、いつのまにか曇りとなっていた。分厚い雲がこの世界を覆い、……だから、明かりも映えるのだ。
僕は、気味の悪さを覚える。
いったい、なんのつもりだというのだ。
旅館ごっこでもしたいのだろうか。わざわざ、世界を、……隔離までして?
スマホデバイスで、時刻を確認した。
……もうすぐ、一時になろうとしている。
司祭が、つまり影さんが、彼らの行き先を決定しているのだ。
まるで地獄の門番のごとく。
話を聴いて、うなずいて。
そして、そうでないのならば。ため息をついたり、噛み殺したりして、首を横に振れば、橋の両側どちらかに落とされてしまう。なにかふしぎな力が働いて、ふわっと、そのひとの身体は宙に浮いてしまうのだ。そうして、ぼちゃんというあまりにもあっけない音とともに、そのひとは、橋の右側だか左側だか、落とされてしまうのだった――。
そうやって岸の旅館で癒されているらしいひとびとがいる一方で、橋の両側に行くことを余儀なくされているひとびともいた、ということだ――司祭によって湖に投げ込まれるのだ。橋の両側、すなわちそこは、……冷たい、冷たい冬の湖ということになる。すぐそこでは、旅館はほんとうにあたたかそうにほかほかとしているのに――。
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