橋の両側

 その、落差は。

 一目瞭然だった。

 と、いうより。……もがいているのだ。池に、突き落とされてしまったひとたちは。溺れかけているのだ。そもそもが、心身ともに体力も気力も限界状態だろうというのに――そのうえ、その仕打ち。



 司祭が否定すると、たいていの人間はそこで大声を出す。なんでよとか、そんなわけないとか、どうしてとか、信じてよとか。でも司祭はもう話を聞かない。そのひとの言葉に対してだけ耳が閉じてしまったみたいに無反応になって、ただ、よくわからないあの超能力みたいな人間を浮遊させる力が、彼らを無機質に運んでいくのだ。そう、まるでクレーンゲームの動きのように。

 透明な力によって池の上に強制的に移動させられたあとも、たいてい、彼らは喚く。喚き続ける。あるいは、懇願する。悪かったと。なにが悪いのかなんてわからなくても、そう言いたくなる気持ちは、わかる――この寒さで湖のなかに突っ込まれるなんて。

 もちろん、氷漬けにされたり、植物人間にされたり、獣化させられるよりは、いくぶんかましなのだろう……けれどもそれはあくまで比較したときの話だ。そもそもが、比較対象が、おかしいのだ。

 ……僕だって嫌だ。いまも、たいそう冷える。ましてや、曇ってもきたのだ。すこしでも、すこしでもあたたかくしたい。多くのひとびとがそう考えるのは自然だろう。池になんか、落ちたくない、たとえいままさにクレーンゲームのキャッチされた景品のように、池のうえに――不可思議な力で吊るされていたとしても。



「嫌だ」



 川の右側。

 いまもまさに、叫んだひとがいた。その瞬間ぱっくりと不可思議な力は彼を解き放し、……彼は、冷たい池に落ちる。



 池に突き落とされたひとびとは、必死で泳いでいた。いや、溺れないようにしていただけ、と表現するほうがあるいは的確なのかもしれないが。

 泳ぎがうまい何人かはどうにか岸にたどりついたようで、池の周辺でぐったりしている。でも凍えていそうだ。自分を抱くように座っているひともいる。この寒さで、池を泳ぎきって、……体力が、かなり奪われたに違いない。

 それであっても岸にたどりつけたひとたちは、このなかではまだマシなほうだったのだろう。たいていのひとは、思うように泳げないらしく、あっぷあっぷしている。きっと水が冷たい、冷たすぎるのだ。それに服もそのままだ。あっというまに体力が奪われるだろう。そして、体力が奪われれば、水のなかにいるというのは、……生命の終わりをも意味することを、僕は、そう、……僕もよく知っているのだ。

 じっさい、ここでももうほとんど溺れかけているひとがいる――いやすでに、……溺れて、沈んでしまったひとも、いるのかもしれない。



 ……こんなときなのに。

 ふいに、自分を重ねてしまう。


 あのときの南美川さんたちも、こんなふうに僕を見ていたのか、って。

 僕はよくプールに突き落とされた。

 暑い時期にもあったけど、こうして寒い時期にも、だ。

 ……僕は毎回、死ぬかと思った。嘲笑われるなか、毎回自分の惨めな死を覚悟していたのだ――劣等高校生、優秀高校生に遊ばれて溺死、だなんてニュース記事にだけはなりたくない、とか、とんちんかんなのかなんなのか、よくわからないことばっかり思いながら。



 ……泳ぐひとたちは。

 必死だ。必死なのだ。

 生き残りたい、と思っているのだ。

 いや、それ以前の話かもしれない。ただ、苦しい、苦しくて。ひたすらもがき続けるのかもしれない――。




 ……どうして。なんのために、だろう。




 ……右手のリードが、注意を促すように動いた。

 思わず僕は、高校時代のプールのことを思い出したことをこのひとに悟られてしまったかと身構えながらも――しゃがみ込んで、このひとのとても低いところにある口に、耳を寄せた。



「……あのね。気がついたことがあるのよ」



 僕は視線で続きを促す。



「この池。こっちから見て、右のほうが、落ちる人数が多いわね……かなりの比率で。右と、左で……七対三、くらいじゃないかしら」



 ……言われてみれば。

 たしかに、そのようになっていた。

 南美川さんに言われなければ気づかなかったかもしれない――でもたしかにこの池は、僕や並ぶひとたちから見て右、……司祭からすれば左手にあたるほうが、ふしぎな力に運ばれて落ちていく人数が、多いのだった。



「それに、あの動き。オールディなゲームセンターの、クレーンゲームみたいだし……」

「それは、僕も思った。プログラミングの動きの基礎タイプにもクレーンゲームタイプというのがあってね」

「……なんなのかしら。あの子たちは、ゲームが好き。だけれど」



 ぼちゃん。また、だれかが落とされた。

 こんどは、左のほう。司祭からすれば、右。つまり、少ないがわに、ひとり落ちたのだった。

 ……その動きは、反対がわに落ちるときに比べると、どことなく、ぎこちない気がする。



「どういうことだろう」



 つぶやくように南美川さんに問いかけたけれど、続きをこの場で話すことはできなかった――なぜなら。




「あんた、もう、さっきから、なにしてるん!」




 葉隠雪乃の――葉隠さんの堂々とした声が、この場に、朗々と響きわたったからだ。腰に両手を当てた葉隠さんは、僕たちにではない。僕たちを通り越えて、司祭、……影さんに向かって、目を吊り上げて、はっきり、そう問いかけていた――なにしてるん、と。

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