広場の惨状
雑木林を抜けて、広場に出た。
広場の入り口に、僕たちは立った。
広々と広がる、芝生の空間――。
たしかに、はたして。
そこでは、なにかが起こっていた。
空間全体が変貌して。
惨状としか呼びようのない、なにか。
逃げまどう、ひとびとと。
ひとびとの絶叫と、聞いてはならないような、身体があっけなく潰れる音と。
起こる煙と、吹き出る血と。
とにかくそういうものをいったん無視して、いや、……そういうものを認識にカウントできないくらいの状況でいま、だから、僕は目の前の状況をまず、ひたすらに見ているのだった。立って、黙って、南美川さんのリードはしっかりと持って――。
まず。
巨大な手が、そこにあった。
肌色で、のっぺりとしていて、五メートルはゆうにあるであろう――人間の手のかたちをした、独立したなにか、だ。
そんな、巨大な手が。
芝生を、撫でていく。
ときには五本の指を開いたり閉じたりして、ちょっとユーモラスな動きさえ、見せる。
まるでシュルレアリスム系の表現を用いたゲームみたいに、巨大な手という異質なものは、そこで、命をもって生き生き動いているように見える。
手からすれば、ただ撫でているだけのつもりなのかもしれない。
けれどそんなに巨大な手で撫でられてしまえば、人間というのはひとたまりもないのだ。
三角の耳を、緊張して立たせて。
そんな南美川さんの背中が、巨大ななにかにすっとひと撫でされたように、いまも赤色の筋をいくつもいくつも残っているのが、やけに、目につく――ほんとうのところはなんどもなんどもやられた、傷だ。でもたとえばいま暴れているあの手が人間の身体をそっとなぞっても、きっとそうなる、そんなことを僕は思った。
巨大な手が、動きまわるかたわらで。
細い線のように見えるなにかが、数本ずつ、鋭く、途切れなく、広場に飛び込んでくる――まるで矢、いや、ミサイルでも発射されているかのようだ。
銀色で、細くて、長くて、金属。
何本も、何本も、飛んできては広場に突き刺さる。おかげでいま広場はひとの立っていられる状況ではない。
広場は、とがった棒の森みたいになってしまった。金属の、異質な――。
それと、同時に。
広場は、またも変質をはじめているのだった。
広場の芝生は、見る見るうちに硬くなっていく。
数秒見ているだけでわかる。
もはやこれらは植物ではない。鉱物となっているのだ、と。
広場のこちらがわから、遠く遠く、向こうがわまで。
虹色の水晶みたいになっていく。
それじたいは、とてもきれいな鉱物だ。
まるでジュエリーでも使えそうで。秘密を秘めた、キーアイテムみたいで。
でも、ひとかけらだって強烈な存在感があるのだ。
こんなにたくさんになってしまっては、違和感がすごくて、むしろおぞましささえ感じさせた。
……虹色の水晶がつくる広い広いじゅうたんは、きれいなはずなのに、どこか血の通った生きものとは異質なものを、感じさせる。芝生がたとえば草という自然なものを敷きつめることによって人間という生きものを癒す側面があるならば、この虹色の水晶のじゅうたんはそう、おそらく、人間以外の存在を癒すためのものではないんだろうか――そんなことを、ただ、ひたすらに、感じる。
……変質。
昨日、ちょっと起こって。でも今日にはなぜか収まっていたと思われた変質が、はじまったのだった。昨日とおなじく、いやもしかしたら、昨日よりもずっとずっと激しいかたちで。
正午を過ぎて、まだ数分。
この変化は、唐突に起こったのだろう。
……ひとびとは、逃げまどっていた。
逃げまどっていたのだ。
巨大な手に気に入られてしまって、そっと握られてしまえば、全身の血を噴き出させた。
降り続ける金属の棒に、懇願も嘆願も間に合わず、背中からほとんど垂直に刺された。
虹色の水晶は、それ単体ではひとをどうこうしなかったけれど。でもそのあまりにも速すぎる硬化は人間の逃げる足もとさえ捕らえ、人間は歩けなくなって、それ以上、どこにも進めなくなって、立ったままの格好で絶望のうちに手か棒かに、命をやられた――名前も知らない馴染みもないだれかが、情けない笑顔のまま、絶望してそのまま巨大な手に頭をトマトのようにくちゅっと潰される瞬間を、僕は、目の当たりにした。
僕は、思わず、つぶやいていた。
「……殺そうという意思はないんだろうけど」
いや、ほんとうにないのかどうかは、……わからないけれど。
「でもこうなるということはわかるはずだ。巨大ななにかが動くとき、たとえそこに悪意や意図がなかったとしても、……人間は、あっけなく、こうなる」
こうなると、いうのに。
「……わかってないはずがない」
そう。
化と、真。無邪気だなんて話では、済まされない。
……彼らが無邪気を装うことは充分ありうるかもしれないけれど、だから、それは、つまりして、……悪意と意図だ。
「どうして……」
ひとびとは、ゲームの雑魚敵みたいにあっけなく、ひとりひとり、果てていく。
じっさいには彼らはゲームの雑魚敵という概念上のつくりものではなくて、ひとりひとり、血の通った人間のはずなのに――簡単に、こんなにも、ほんとうに、あっけなく。血を噴き出させて、潰れて、ぐちゃぐちゃになって、人間のかたちでは、なくなっていって……。
小さく、呻き声が聞こえたような気がした。
南美川さんが、小さく、吐いてしまったのだった。
僕はしゃがみ込んでその頭を撫でた。
……僕もほんとうならば胃のなかをぶちまけてしまいたい気分だった。
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