轟音

「……では影からお願いしてもいいのですよ」



 ……轟音の振動とともに。

 金色の光は、いまもある。水晶のような音も。

 遠くはなっているけれど、たしかにある。ひとを癒すというそれらは。

 なのに、なのに、――それなのに、影さんも疲れているように見えたのだ。

 もう、ぐったりと、疲れきっているように思えたのだ、――まるで臨終のような笑みだとさえ僕に感じさせたのだ。



「影は、ひとりぼっちです。いえ。……いまは絶対者がいますけれど、それは、影の、お役目ですから、……そうでしょう」



 最後、ひっそりと言った、そうでしょうという響きは――僕には向かっていない気がした。ほかの、なにか、だれかに、……向いている。



「表がいなくなったいま、影はひとりぼっち……だから。それなら。だれかに、いてほしい。だれでもいいから、影のおそばに――」

「だとしたら、僕はもっとも適任から遠いかと思います」



 気づけば、僕はじっとりと、でも明確に言っていた、……影さんを見上げて。



「だれでもいい、というところに、もっとも当てはまらないのが僕です。だれかではなければいけない、というところにも、僕はもっとも当てはまりませんが。つまり、僕は、……求められても、それに応えることは、できない」

「あなたは。そのワンちゃんには……」



 影さんは、死にに行くひとのように、すべてが満ち足りたゆえにすべてを諦めたひとのように、穏やかに。



 ……影さんは。



「そんなにも、愛情を注ぐのに。求められなくって、注ぐのに。……影が、こんなに勇気を振り絞って求めても、なんにも、……応えてはくれないのですね」

「すみません。でも、……あなたの勇気は、たぶん、ほかのことに使ったほうがいい」

「皮肉屋……」


 おかしそうに。


「社会人のひとは、意外と、皮肉屋です」

「……気づいていただけて光栄です。普段が小鹿のようにおとなしいものでして。あまり、気づいてもらえないんです」

「ふふ、……おもしろくないことを、おっしゃりますね。ねえ――絶対者」


 笑って、いた。



「それでは影は社会人のことを完全に諦めます。その結果、なにがあろうと、――悪しからず。でもしかし、もういちどだけ訊かせてください」

「はい。なんでしょうか」

「永久不滅、未来永劫、天涯孤独となった私を、助けては、くれないのですか。おそばにいてくれはしないのですが――」

「僕には、無理なことです。……僕はそこまで」



 最後まで、言わせてはもらえなかった。



 影さんの制服は、光り輝いて。

 ……アニメみたいに、衣裳が変わった。



 ……いまさら、もう、驚かない。

 ここは、なにか奇妙な――現実世界の道理が通じない場所、空間、なのだから。



 その、虹色の帽子に、ふさわしく。

 七色の垂れ幕でつくられた、やたらと豪奢な衣装。

 虹をいくつもいくつも縦にまとったような、その衣装は――きっと、司祭とやらの衣装なのだろう。



「それでは影は参ります。まずはいやしのサクリィを達成するために。社会人のかた。言っておきますよ。――この世界の目的は最終的にいつつのサクリィを達成すること。さすれば、道はひらけるでしょう……」



 そう、言いながら。

 影さんの身体はちょっとずつ、ちょっとずつ、ふわふわと浮いて、虹が、虹の衣装がはためく、そして――。



 空中に浮かんで、影さんは、はるか高みから僕を見下ろしていた。

 そう、得たいの知れないこの狂乱の、得体の知れない役目を負わされた。

 司祭、とやらは。

 この期に及んで、笑っていたのだ。




 僕を責め立てるかのように、愛想のいい顔をして、さみしそうに――そうしてなにごとかを言って、でもその口の動きの意味するところを、……僕は読み取ることができなかった。

 そうして、影さんは、一気に急上昇して――つばめのように、空を駆けていったのだ。たぶん、あれは、……広場のほうへ。




 轟音は、轟音は、続くけれど。

 ……僕はしゃがみ込んだまま、強く、南美川さんを抱き締めた。

 そのままで。思うのだ。ただ、ただただ、……思うだけ、だけれども。




 ……だれでもいい、だなんて。

 どうして、求めることができるのだろうか。


 僕は、だれかだなんて求められない。

 間違ったって、そこまで間違うことは、できない。


 影さんは、ほんとうに、さみしそうだった――だから自分自身がひどく冷たく彼の目に映っているであろうことは、わかった。でも、でも、だからって、……じゃあどうすべきだったというのか。



 僕は、だれかのそばにいつづけることなど、できないのだから――。

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