南美川化にかんする事情
轟音が、鳴り続ける。
大地が、揺れ続ける。
「南美川さん。行こう。広場のほうに飛んでいったよね、影さんは、いま」
「そう見えたわ……」
「ちょっと急ぐけれど、ついてこられる?」
「うん」
南美川さんは僕を見上げて、うなずいた。
もはや、ここには蜜も水晶の音もなかった。ここは単に雑木林であり、枯れ木の集合した、道を外れてしまった奥まったところだった。
雑木林という言葉の印象からちょっとかけ離れているくらい、森のようだと感じる。
そんななかを、駆けていった。全力ではない。……南美川さんが、ついてこられるように。
そうとう、がんばってくれているようだった。そうとう、無理させてしまっているのも、わかった……でも急がねば。急がねば、いけない。そういう意味では僕はたしかに、南美川さんに甘えてしまっているのだろうけれど――。
……急がねば。
もうすこしで、この鬱蒼と繁った場所からは、出られるはずだ。
嫌な、予感しか、しない。
司祭とやらになった、影さんが。いったい広場で、なにをしでかすのか――。
四つ足で駆ける南美川さんは、息を切らしながら、なかば喘いで、苦しそうに、それでも僕に――問いかけてきた。
「ねえ、あのねシュン、ちょっと気になることがあるのよ」
「なにが、気になるの」
「いまの、時刻がね、気になるの」
「……時刻? どうして」
「いまって、確認できないのかしら。いま、デバイスって、通信デバイスとしての役目は果たせなくても、時計の機能は元通り正常なままよね」
「時刻も狂わされているのでなければ、ね」
「その可能性を、とりあえずは信じましょう。……ねえ、シュン、いまは何時?」
僕は足を止めないまま、胸のポケットからスマホデバイスを取り出した。時刻は、ちょうと、……正午を一分、過ぎたところ。
「十二時、一分だ」
「やっぱり……正午を、過ぎていたのね」
「それになにか意味があるの?」
「根拠はないの。はっきりは、していない。でも……」
「なんでもいいよ。もしあなたが思いついたことがあるならば、なんでも、言ってほしい。打開策につながるのかもしれないのだから」
「あのね、化ちゃんはいつも……」
南美川さんは、言いよどむ。僕は南美川さんを見下ろして、待つ。
結果的に、このひとの気持ちを、言葉を、促せたようだった。
「化ちゃんはいつも、正午になると、たいせつなことをはじめるのよ」
「……たいせつなことって?」
「それはね、そのときどきによるの。たとえばあの子がまだとっても小さなときには、化ちゃんは正午になったら、かならずブロック遊びに取りかかっていたし。あの子が学校にあがったら、もちろんわたしが見ることができたのは、おうちにいるときのようすだけだけれど。でも学校でもそういうようすはあったみたい。よく化ちゃんの学校の先生がくすくす笑って教えてくれたわ。正午はね、化ちゃんの学校では、ちょうど四時間目の真ん中くらいにあたるらしかったのだけれど、その時間になると、化ちゃんちょっとそわそわするんですよ、って――場合によっては、先生の目を盗んでちょっと自分の好きなことをやったり」
「それで、トラブルになったとか?」
「ううん。そういうことは、なかったわ……だって化ちゃんは、いい子だったもの。私のおうちも、お友だちも、学校も、地域共同体も、あの子にかかわっているコミュニティならなんでもかんでも、あの子がそうであると――いい子だと、思っていたと思うわ。……重大な思い違いだったのかもしれないけれど」
南美川さんは、苦笑するように笑った。
「でも、いまもわたし、ほんとはちょっと信じられない。あんなにいい子だった化ちゃんが、ほんとうに、こんなことを起こしているのかな。こんなことを……あんなことを……起こして、いるのかな、って。馬鹿よね、……ほんとうに起こしているのよ。わたしが、気づければよかったのに。わたしはなんにも、気づかずに」
「……どうも彼は隠すのがうまい。一見、僕も礼儀正しい穏やかな青年に、思えたよ。だから、仕方ない」
いまさらのように感じる驚きに似た感情を、すこし、隠しながら。僕は、……思っていた。
……そうか。
南美川化は、いい子、として育ってきたのか。
それはつまりどちらなのだろう。
もともといい子だったがゆえに、こんなことをしでかす人間になってしまったのか。
それとも、もともとこんなことをしでかす人間だったから、いい子として振る舞っていたのか。
……どちらなのかはわからないし、正直、僕が介入するべきところでもないだろう。
だから、想像することしかできない。でも。
南美川化にかんする、そのへんの事情は。
この状況を打破するひとつの、キーになりえるのかもしれないと、僕には思えて仕方がなくて――。
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