影が、司祭をやる理由

「ゆるしのサクリィでは、許されるべきひとが、許されるのです。絶対者の恩恵によって……」

「それは、……つまり、どういう……」

「許された人間は救いの世界に入れます。許されなかった人間は地獄に堕ちるのです」


 耳慣れない言葉。

 耳慣れない理屈。


 ……なにを言っているのか、さっぱりわからない。


「質問、してもいいですか」

「どうぞ。ということだそうです」

「救いの世界とか、地獄とか。それは具体的にどういうことなんですか」


 影さんは、微笑んだ。ああ。まただ。こうして僕は、拒絶される。だからもう、それ以上突っ込むことも、できなくて――。


「ともかく、いま言えるのは。この世界ができた目的は、ひとびとが救われること。そして救われるためには当然、許されなくてはなりません」

「その許すっていうのは、だれがおこなうんですか」

「当然、絶対者です」

「許す基準とかって、あるんですか」

「絶対者のお眼鏡にかなうこと。それのみです」

「許されるひとと、許されないひとがいるんですよね」

「それもまた、当然。と、絶対者もおっしゃっております」



 これは、つまり。整理すると。

 化や真がひとびとを彼ら自身の基準で判断して、イエスかノーか白黒はっきり、ふたつのグループに分ける――ということで、いいのだろうか。



「その日が来れば、わかります。絶対者の判断が」



 影さんは、自信たっぷりに言いきるけれど――どうしてそうも、きっぱりと、言いきれるのだろうか?




 ……僕は、話を進めることにする。




「……そのあとの、みっつの、サクリィは」

「さばき、みそぎ、ころし、のことですよね。これらは厳密には分かれてはいますが、そして順番もその通りに進行していきますが。真実のところ、みっつでひとつ。ひとつのできごとの三つの面をあらわしている、といってもいいでしょう」

「まず、さばきというのは」

「許された人間と、許されなかった人間が、人間たちの目にもはっきりとわかります。許された人間は、それを知り、許されなかった人間たちは、彼らの罪をさばかれます。その瞬間のことを、さばき、といいます。その瞬間からこの世界の人間は、救われるべきまったき人間と、永遠に許されない罪人に、分かれるのです」

「……つまり、許されるグループと、許されないグループが、判明する瞬間のことをそう呼ぶと」

「表現が俗に過ぎますが、まあそう解釈してもいいだろうとのことです」

「……なるほど」


 さばきのサクリィの意味については、とりあえずわかった。


「それでは、それに続く、みそぎというのは」

「みそぎは、罪人たちが準備をすることです。衣服を整え、身体を清め、罪を告白して、できるかぎり償うのです。でも罪人にできることはあまりありません。それはあくまで準備なのですから」

「どういう、ことでしょうか。準備というのは、そもそも、なんの準備で」

「もちろん、ころしのですよ」


 理解できない僕のほうが、理解できないとばかりに――虹色のとんがり帽子をかぶったこのひとは、不自然にちょっと目を開けて、言うのだ。


「……殺される、ということですか」

「罪人なのですから当然です」

「絶対者の基準によって」

「ええ、もちろん」

「どのように、殺されるんですか」

「それはもう残酷に残酷に」



 うたうような――調子で。



「影さん、あなたは、それでいいんですか」

「え? なにがですか」

「……あなたはこの祭りを司ると言ってましたよね。なぜだかそういう役目になったと」

「はい、そうですが」

「その祭りとやらのイベントで、ひとが死ぬ。つまりそれは影さんが殺人に加担するということになるんですが、いいんですか」


 僕は、そんなきれいな人間じゃない。

 道端でひとが倒れていても極力知らんぷりをするだろうし、痛ましい事件のニュースがオープンネットで流れてきても涙を流すこともない。

 ……ことさらに人間の命の価値について語る気もない。

 そもそも、その、権利もない。



 けれども、ちょっとでもかかわりのある人間が、じっさいそういうことを為そうというときには――ありきたりだけれど、吐きそうなくらい愚かかもしれないけれど、でも、……こんな気持ちになるのだと、僕ははじめて知った。できれば、やってほしくないと――。



「……それがどうしていけないと? 罪人は、つまり、表を殺したやつなんですよ。表を人間として殺したのです。表を、獣に変えたのです!」



 なんだか、ひさびさに。

 僕は、影さんというこのひとそのものに、会っている気がした。

 ……カンちゃんという名で呼ばれているときも。

 ああ、たしかに、このひとは、そうだった――そう思い出させるようすがあった。



「……表さんが、そうなったのは、その罪人とやらのせいなんですか」

「絶対者はそうおっしゃってますもん。絶対者は、絶対です。だって影の感覚すべてに、ダイレクティに語りかけてくるのです。間違いあるはず、ありません!」

「……あなたは、表さんの、つまり、……仇を取ろうと」

「ええ! もうめっためたにしてやるんです。獣に、獣にさせるなんて。あんな。……グロテスクな。そうしてひとを喰わせるなんて! あんな、あんな人間の好きなひとを! ――表の苦しみを知れと!」



 表、と影さんは一瞬苦しそうに彼にとってのもっとも親しかったであろう近しかったであろう、そのひとの名を、呼んだ。



「影は絶対者に従います! 絶対者こそ、影の味方だからです。仇討ちの理解者、協力者! すばらしい! ――影は絶対者のしもべですよ!」



 影さんは、両手の手のひらを天に向かって上げた。

 ……じっさいにはそこには、雑木林の繁りしか、ない。空なんて、ここからではほとんど見えない。もちろん、天だって――。



「いつつのサクリィを達成することで、表をあんなぐちゃぐちゃな目に逢わせた犯人が、わかります。だから影は司祭の役目を受け入れたのですよ。影は司祭として立派にやり遂げてみせます――ころし、まで、もちろん!」




 水晶の音が、大きく鳴った。

 どこかの宗教建築の、長く鳴る鐘のように。



 ……奇妙にも。

 ああ、とすんなり、自分のなかでわかったことがあった。



 僕は、この人間のことを、悪くは思っていなかったのだ。



 どちらかというと、好意があったのかもしれない。もちろんそれは、人間どうしとして、それもほとんどかかわりなどなかった、ほとんど他人どうしの薄い薄いものだけれど……でも好意があったのかもしれない。おとなしくて、穏やかで、いつでも影のようにそこにいた。なにかに、寄り添っていた。


 そのありようを体現している影という名も――こうなってしまえば、虚しくて。その輝きから僕は、……そっと、目を逸らした。

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