サクリィ

 影さんの言う。

 社会に対する、サクリィ、とやら。いやし、ゆるし、さばき、みそぎ、ころし、の五つのサクリィ。

 正直、僕にはなんのことやらわからないが――。



 ……影さんは、それらについて説明しようとしているようだ。



「これらはこの世界のルールといってもいいでしょう」

「……世界の、ルール?」

「より正確に言うならば、新しい世界の新しいルール、といってもいいのですが。と、絶対者はおっしゃっております」



 影さんは、微笑んだ――そのようす、ゆったりとした、余裕たっぷりのようす。

 それは僕のいままで知っていた穏やかなこのひととは違って、やはり、……なにか人格の根本的なところに影響が及んでいるのだと、感じる。



「これらサクリィは順番に起こっていきます。つまり、いやし、ゆるし、さばき、みそぎ、ころしの順番で起こっていくのです。逆はありません。つまり、不可逆です」

「……その、それぞれの意味は、どういうことなんですか。……いやしとか、ゆるしとかってことですけど」


 そのふたつでさえ、口にするのがためらわれた。

 ましてや、あとのふたつは――常識的な意味から考えたって、それらの言葉は、……その意味は。


「よくぞ聞いてくれました。順番にご説明しましょう、とのことです」


 影さんは、嬉しそうだった。


「いやし、は、いま始まりました。この世界ではひとびとは極度に疲れるでしょう。その疲れを、癒して差し上げるのです。簡単なことです。この光と音をもってすれば、ひとびとは、たちまち回復するのです。よみがえるかのように」

「それは、ここにいるすべてのひとの疲れを、そうして癒してあげるということですか」

「……いえ。かならずしも、そうではなく」

「それではだれが癒されるのですか。……僕たちはいま、自分たちでも気づかないうちに、そのいやしとやらを経験したみたいですけれど」

「それは……」


 影さんは、またしても微笑んだ。


「絶対者の、ご意志ですから……」


 恣意的、ということか。

 あの、ふたごが、なんらかの基準をもって、または単になんらかの愉悦をもってして、選ぶ、選別する――ごくシンプルに導き出された僕のこの予想が合っているなら、……それは、あまりに、絶望に近い話だ。

 僕たちの疲労をなぜまっさきに取ったのかも、わからない――わからないから、その意図を読むしかない。


「……それでは、いやしのサクリィというのは、いまここのスポットにひとびとを呼んで、その疲労を取り除く。そういう理解で、よろしいですか?」

「おおむね、問題ないかと……」

「その目的は、なんなんでしょうか」

「さあ……」


 すこし、間があった。



「なんなんでしょうか……すべては、絶対者のご意志ですから。絶対者もそのようにおっしゃられてます、まさにいま」



 そのようすも、ちょっとぞっとする、ものだった。

 すこし拒否する感じも、ある。僕がそれ以上踏み込んでいくのを――。



 ……いまはあまりそのことについて影さんに突っ込まないほうが得策かもしれない、と思った。影さんは、なんらかのかたちで、たしかにあのふたごからの、なにかを、受け取っているのだ。それもおそらく、かなりダイレクティに。……そうしてこの世界のルールを受け取っている。


 ふつうに考えれば、もちろん荒唐無稽な話。けれどもこの世界、いまの状況じたいがそもそも常識外れでありえないことだらけで荒唐無稽なのだ。

 影さんがふたごからなにかを受け取っているということも、いったん事実として捉えたほうがいいだろう。もちろんそこに、多少のなんらかの齟齬がある可能性はつねに念頭に置かなくてはならないが。


 だから。いまは。突き詰めることよりもまず、話を進めることを優先して――。



 そこまで思考して、思った。

 いや、……いいや、ほんとうは。

 ほんとうは、僕は、怖いだけだ。


 なにかを尋ねることを、拒否してくる他人に対して。

 それ以上、どうして突っ込んでいくことができようか。


 ……それはほんとうに怖いことだ。

 ただでさえ、人間とかかわるのは、怖いのに。



 拒否される素振りがあったら、それ以上踏み込むことなんて、とても僕には――。



 思いなおす。

 ……いまは、最低限の情報を聞き出そうと。

 それも、まんべんなく。

 知りたくはない、気持ちだけの面で言えばほんとうは知りたくもないが、けれど、そうも言っていられない――まずはその、サクリィとやらの話をすべて聞き出す。



 それは、あのふたごが、この世界になんらか課したルールだろうから――。



「……いやしについては、いったんわかりました。それでは、次は、ゆるし……とやらについて、教えてくれませんか」

「と、やら?」


 影さんの表情が、満面の笑みに変わった。僕は鳥肌が立った。おかしい、ほんとうに、……影さんは、こんなひとではなかったはず。言いながら、僕はでもたしかに言いなおす――。



「……ゆるしのサクリィについて、教えてください」



 よろしい、と言わんばかりに影さんはうなずく――その虹色のとんがり帽子が、影さんの動きに合わせて、すこし、動く。

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