白馬の王子さまなんでしょう
いつも彼女たちのあいだではこういうことが、つまりそのうちのひとりが唐突に病みはじめたり、なんらかの、……お薬、が必要になるということは当たり前なのだろうか。
当たり前のように、葉隠さんは守那さんの服のポケットを手でまさぐって、くしゃくしゃになった薬のシートを取り出して、慣れた手つきで飲ませた。……水がいらない薬なのか、それとも、水さえいらないほど慣れてしまっているのか。
そうして、葉隠さんに守られながら。
守那さんは、両手に手を当てて、しくしくと泣きはじめた。
葉隠さんと守那さんのあいだには、よく見ると身長差がある。守那さんのほうが、……だいぶ低い。
葉隠さんは、本気で守那さんのことを心配しているようだった。
かわいい妹のように。そうして無邪気すぎるゆえ、すこし心を病んでしまった、ただただ、無垢な存在のように――背中をさすって、声をかけて。
けれども僕は見た。
守那さんがその、一見するといたいけそのものの泣き顔。そしてそれを覆う両手の指の隙間から、視線を注ぎ、僕のほうを、ちょっと見上げて――笑って。
僕はちょっとぞっとした。葉隠さんの冷たさにもぞっとさせられたけれど、またちょっと違う種類のものだ。なんだろうと思ってみれば、なんなのかはわからなかったけれど、これは、僕がいじめられていた初期にわけもわからず説明もされず連行されたときのクラスメイトたちの顔と似ていた、そしてそれを向けられた僕の感情もつまり本質的に似通ったもので――。
守那さんは、なにかを企んでいるのかもしれない。
もっとも。……そのことに、葉隠さんは気づいてないようだったけれど。
「ねえ、雪乃」
甘える妹キャラそのものの声で、粘っこく、守那さんは彼女の友人の名前を呼んだ。なあに、と返す葉隠さんの声音は、圧倒的に、優しい。……僕や南美川さんにはけっして向けられないたぐいのものだ。
「来栖さんって……」
――予想外に僕の名前が出てきて心が痛みにも似て跳ねる。
「来栖さんって、私たちの、仲間なんだよねえ。だって、雪乃、来栖さんだったら私たちのことわかってくれるって、四人組にだってなれちゃうって、言ってたもんねえ」
「あっ、……ああ、そうよ。それは、もう、そうやよ。でも、いきなり、どしたん?」
「ってことは、来栖さんたちは、現代生物学の立場をとってくれるんだよねえ……」
守那美鈴の泣き顔が、――その目の鋭さが一気に、鷹のように、僕をとらえた。
「私、信じているもの。雪乃が頼れるって言ったひとだもの。来栖さんってすっごくすっごくいいひとで、かっこよくてねえ、ヒーローみたいで、私たちと共通の根本経験をもっているからなんでもかんでも私たちのこと理解してくれるの」
「み、美鈴、……そない、言わんといてな。目の前に本人おるやろ」
「聞かれて困ることではないでしょう? だって来栖さんって私たちのすべてわかってくれるんだ。そう、そう、すべてよ! ――ねえっ、来栖さん」
ねえっ、と言われても、僕は――石になったように硬直していることしか、できない。
「そうだよねえ。来栖さん。……あなたなら私たちの苦しみがわかるって聞いて、私ずっと待っていたの」
そんな、ことは。
「しょせん南美川さんにされたことなんて、犠牲者同士にしかわからないよ。南美川さんはいっぱいのひとをいじめてきただろうけれど、でも人類すべてってわけではないもの。その経験をもっているひとたちは、つまり私たちはねえ、団結するべきだし、ともに寄り添って生きるべきなのよ」
あまりにも、……飛躍していないか。
それに、それに、……そんなことは。
守那美鈴は、なおも両手で隠したままの顔から、目だけぎょろつかせて、手のひらで抑えているせいで、すこしくぐもった声で――。
「だからいつか来栖さんが私たちを助けに来てくれるって。信じていたの。そういうことに、なったねえ、いま。この状況で。そうでしょう?」
そうでしょうと、言われましても。
そんなことは、僕は、知らない。
……僕には、関係ない。関係のないことだ。それは、このひとたちが、来栖春という名前のだれかを空想して、そのだれかさんに、いろんな属性やら要素やらをくっつけただけ――けっして僕のことではないのだから。
「美鈴の夢がかなったのねえ」
守那美鈴は、自分で自分の名前を主語にしてうっとりとする。
そして、言った。
「この状況だって。来栖さんが、ヒーローになるための舞台装置。たくさんのバケモノとか異常っぽい状況を用意して、美鈴たちプリンセスを助けてくれるんでしょう? 美鈴には、わかってるよ。……来栖さんが美鈴たちの白馬の王子だってこと。……ふふ。表現が、古いかな。でも美鈴好きなの。白馬の王子さまが、好きなの。だって、ある日颯爽とあらわれて、私を、私たちを、美鈴を……助けてくれるから。……にっくき進化生物学者だって一気に倒してくれるんだよ。それに、南美川幸奈のこともね」
――違う。
なにをどうしたらそうなるんだ。
端的に、違う……けれどもそれを僕は言えない。そう言ったらいまにもこの小さな得体の知れない女のひとに、――即死性の毒でも塗った歯で噛まれてしまいそうで。馬鹿馬鹿しいことかもしれないけれど、でも……生々しく、僕はそう思って。
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