コミュニケーションができないと
葉隠さんは怪訝そうな顔をした。
しかし、それでも、僕の唐突な疑問をまったく無下にすることはなく――風ねえ、と同調するような言葉で、回答をはじめてくれた。
「風ねえ、風。うん、そういえばずっと吹いとるねえ。気がついたらいう、感じやったな。……それがどないしたん?」
「いえ、ただ……不自然だなと思って」
葉隠さんはますます怪訝そうな顔をした。
「……不自然?」
「ほら、この風って……どこか直線っぽく吹いていると思いませんか。うまく言えないんですけど……僕たちがふだん感じている風とは若干違うといいますか」
「……そう?」
葉隠さんは、ますます眉をひそめた。だから僕も話をここまでにしようと思う。――気づいてないのに、違和感がないのに、それ以上突き詰める必要はない。それにそもそもそういうのは共有すべきものでもない。ただ、僕は、相手がなにか気づいているなら――ヒントになるかもしれない、と思って尋ねただけで。
……いや。おそらくそんなのは、言いわけなのだろう。僕はたぶん、単に――相手とコミュニケーションを図るのが怖いだけだ。
……違和感を感じていないという相手に違和感を感じているという前提で話をして、その前提を、わかってもらうための労力を、割きたくないだけだ――だってたいていの場合いつでも僕が間違っている。いつだって、……正しいのは、相手のひとのほうだから。
そんな前提で、そういえば、僕はずっと生きてる――。
「……なんでも、ありません」
そう、と葉隠さんは口もとでつぶやくかのようにそう言った。
「それよりも。……この状況のほうがだいじですよね」
そうだ、それは、そうだ――目の前のこの状況。
……ひとびとが次々に植物化して獣化して、お互いに食いあって、そうしてゴミクズみたいにその身体が散らばされる――惨状。
「……雪乃」
気がつけば、守那さんが葉隠さんの服の裾を引っ張っていた。目を真っ赤にしていたけれど、……すこしは、落ち着いてきたようだ。
小さな子どものような動作だった。そんな守那さんを葉隠さんは優しい視線で、すくなくとも僕を相手にしているときと比べたらあきらかに優しいとわかるそんな視線で、見つめて、無言のうちにも視線だけで穏やかに問いかけているのだった。
守那さんもそんなことを了解しているかのように、ちょっと甘えた上目遣いを葉隠さんに見せる。
……まさに、姉と妹、みたいだ。同期なんだろうけれど。おんなじ立場なんだろうけれど。たぶん、このひとたちは、ずっとこうやっていままでやってきた――。
「あっ、あのね、来栖さんも……」
それは、おそらくついでだったのだろう。だが名指しにしてしまわれては、反応せざるをえない。それでも、僕は人間と視線を合わすのは怖いから――守那さんの胸、いや胸もどうなんだと思ってそのすこし下を見て、……どうにかやり過ごそうとする、そのベージュのブラウスのちょっと砂ぼこりみたいに薄汚れたところ――。
「いまね、里子といろいろ、調べてたんだけど……」
視線をやれば、黒鋼さんは甲斐甲斐しく動いている。日常生活ならありえない極めてグロテスクなものものを見てしまったゆえのショックを受けているひとや、あるいはそれ以上に、近しいひとがそうなってしまったゆえに呆然としているひとたち。しゃがみ込み、座り込み、あるいはくず折れているひとびとに、ひとりひとり声をかけてまわる。背中をさすり、穏やかに叩き、励まし、慰め、それらのどれも通用しないとわかれば、ただそばにいて、ひとが泣くそのとなりにいる――。
「……やっぱりか」
「うん。そうみたい」
「そうなるとやっぱパラダイスモデルなんやねえ……」
「たぶん。まだ、わからないけれど……」
彼女たちのあいだでは、なにか合意形成がなされたようだ。聞かねば。聞かねば、いけない。わかっている。……でも怖い。情けないことに。自分がわからないことを、わからないので教えてもらえませんかと――社会人だったら一年目でもできて当然なことが、……僕は、こんなにもできない。
……そうだ、思えば、杉田先輩にもよく言われていたな。
僕は会社で、意思疏通がときどきうまくいかなくて。そういうのがトラブルにつながってしまうことがあって。そんなときには、チームの営業担当の杉田先輩にフォローしてもらっていて。
ふざけてだったけれど。あのときには、僕のような新人に対しても、そんなにところかまわずはしゃぎたいのかと思って、内心ただうざったいだけだったけれど。
――来栖。知ってる? 俺ってさ、超能力者じゃないんだよ。つまり必然の帰結として、テレパシストでも、なんでもない。テレパシストならよかったよなあ。俺、超能力者って憧れんだよ。来栖はそうじゃない? そう? ……そうでもねえの? うわー、なんだよー、超能力者に憧れない人間なんてこの世にいるのかー、マジかー。……でも俺テレパシストならよかったぜほんと、
――テレパシーが使えれば、来栖のわかんないところとか、わかってやれるのになあ。なんてな。ははは。
――でも俺にはそっち方面の才能がないからさ。わからないところは、わからない。そう言ってくれるとなあ、俺はなあ、能力開発研究所とかに行かなくて済むんだ……。
……あのときは、ミスをフォローするがゆえの、皮肉やあてこすりだとしか思えなかった。
夜、布団のなかで、僕は延々、さんざん自己嫌悪した。――コミュニケーションが下手なことくらい、わかっている、と。
だが、そうだ。
そういうことだったのだ。
僕は、……僕は。
こうして、目の前のひとたちに、自分のわからないことをわからないと言うだけで、難儀して、――そこで終わってしまっている、僕はその表面上の意味はわかっていても、本質はわかっていなかった。
コミュニケーションがとれなければ、情報が手に入らない。情報が不足すれば、現状を打破できない。現状を打破しなければ、……わかっている。
まさか。こんなふうに。コミュニケーションが。現状打破の、鍵になるだなんて――。
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