どこまで、思い通り

 ……打破、しないわけにはいかない。

 いかないのだ。

 この現状を、打破できないということは。

 それは、すなわち。南美川さんを、人間に戻せない――その事実をそのまま端的に、あらわしているのだから。



 だから、僕は、僕は。いちど、自分が思いきり唾を飲んだのを、その動きを音を、自分自身で、すでに嫌になりながらも――。




「……あの、すみません」




 葉隠さんと守那さんが、同時にこっちを見た。それだけで、もう挫けそうになる。でも、そこで挫けるわけには、いかないのだ。

 南美川さんを、見た。南美川さんも、こっちを見ていてくれていた。……たぶん、わかってくれているのだ。僕のことを。僕のこの、どうしようもなさを。すこしだけ安心した。励まされた気持ちだった。思えば南美川さんはずっと、ある意味で、……僕のことを、いちばんわかってくれている。



 だから、僕は、言葉を続けることができた。



「その、……いまお話をされていたことは、どういったことなんでしょうか。つまり、その、……なにかがわかったとか、そういうのは。あの、お話されていることは、もしかしたら生物学では常識なのかもしれませんが、僕はそうではなく、……つまり、つまりは、なにかがわかったのだとしたら教えていただきたくて。この現状を打破するために、……必要な情報は、その、……共有したほうが、とか、思って……」



 ああ、とふたりとも合点がいったような顔をした。

 守那美鈴が両手を後ろにまわして、古典アニメーションだったら、ぴょこん、とでも音がしそうな動作を、した。やはり、年齢にしては幼い動作をする。しかしそれでも、不自然ではない――。



「いまね、必死で思い出してたんだけど……だってね、デバイスもなにも使いものにならないから。普段はすぐにインフラデータベースにアクセスできるのに、アクセスできないと、記憶ってこんなに思い出すのが大変なんだね。それでやっと思い出したんだけど、……植物人間と獣の人間が食いあうっていうのは、そういうのを目指したひとが、いる。そして人間のキメラどうしの食いあいは、……特徴的な断面が、見られるの。さっき、里子に調べてもらったんだけど、やっぱりあのひともそうだった――」


 そこで守那さんは、……また感極まってしまった、ようで。葉隠さんがその背中をさすり、頭をもすこし撫で、僕に対する説明係を、その場で引き受けたようだった。


「特徴的な断面いうのは、細胞の脆弱な壊死やね。……キメラにされた時点で、その存在の細胞は、かなりの脆弱性を積むことになるんやよ。やからね、再生したくても、できないんよ。……肉眼でも、よくよく、ほんとようくよく見ればよ、見れば断面に蛆虫みたいな細胞がうごめくのが、見えるん――キメラにされた存在が牙でキメラにされたほかの存在を噛むと、そうやって、……不都合が起きるらしいんや」



 そんでな、と葉隠さんは息をひとつ吸って、吐いた。



「……四十年くらい前、生物学が物騒なことになったん、来栖さん、知ってはる?」



 それは、進化生物学のことだろうか――知っているけれどもとりあえず僕は、首を縦にも横にも動かさず、……いいえ、とだけ言っておいた。

 そう、と葉隠さんはやけに静かに、うなずく――。



「進化生物学いう、けったいなんが流行ってな――」



 ああ、……やっぱり。



「進化生物学者たちの目的はな、キメラの製作や。そのために彼ら、楽園を建設するだの、進化のメカニズムを解明するだの言っとったけど、……そうやないの。ただほんとうはキメラをつくりたいだけ。そのための、大義名分がほしかっただけ」



 キメラ、つまり、……科学的に別種の生物をかけあわせて結果できる、生物。



「好き放題しとったみたいよ、彼らは。そんでキメラを大量につくっとった。でも技術が追いつかないんで、キメラには原因不明の脆弱性も、たくさんあったんや。……そのひとつがキメラどうしで食いあったときの断面の壊死。キメラではない生物がキメラを切っても、キメラがキメラではない生物を切っても、そうはならんかったのに、なんでかキメラどうしは駄目だったようやね。……そんでそれがとある事件につながって、Neco圏においての進化生物学の禁止につながったんや」



 やからね――と言って、葉隠さんはまたしても空を見上げた。……ああ、その黒髪が、またも不自然にそんなに、なびく。



「……やから、この公園で起こっとるのは、突発的なキメラ化や。断面の細胞が泳いでるんや、間違いない。……今回のことは進化生物学者たちのせいよ。あの虹、教えてくれはった。メッセージなんや。……だれがこないな酷いことしてるん……」



 葉隠さんは、唇を真一文字に結んだ――それはほんとうに悔しそうで、だから僕はぞっとしたのだ、葉隠さんに対してではない、……葉隠さんも、あの虹に対してもはや信頼のようなにかが、芽生えていることだ。




 三人組は、国立学府で生物学を学んだ、現在正当とされているほうの現代生物学の人間。

 ミサキさんは、いまでは禁止されている、進化生物学の人間。



 どちらも、立場は真逆なのに。争っているのに。

 それなのにどちらも、あの虹を見上げてまるで助けのメッセージのように、なかばうっとりさえしている――それが僕は怖い、怖い、……怖いのだ、南美川化――どこまでこれは、どのくらいの割合で、いったい、――あなたの思い通りになっているんだ?

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