風への気づき

 ……とにかく、そんなふうにして。

 南美川さんと僕とは、状況を整理し終えたあと――遠回りしたはてにそれでもたしかに辿りついたのだった。葉隠さんたちのいる、植物人間のいる――いや、正確に言うならば、植物人間のいたその雑木林の入り口みたいな空間に。


 ……お通夜みたいなようすだった。

 ほんとうは、お通夜よりもひどいのかもしれない。……なにしろひとがふつうではない方法で死ぬのだ。ふつうの方法だってひとが死ぬというのは大変なことで、だからお通夜やらお葬式やらといった文化は一部の先端科学者たちに時代遅れの社会習俗だと指摘されようが、残っているというのが社会の現状で。

 ふつうだって大変なことが、ふつうでない方法だったら、それは、もう――それゆえかここにはその植物人間だったひとの近親者や親しいひとびとはいないはずなのに、多くのひとたちが、膝をついて泣いていた。……悼むみたいに、みんなしていた。



 僕はまず南美川さんを見下ろした。だいじょうぶだよと伝えるために、……リードをすこし上に引っ張って、りりん、といちど鳴らした。

 僕は、ゆっくりと視線を植物人間のもとに、いや、その残骸に――寄せた。

 察しては、いたけれど。ここではじめて、直視する――。



 たしかに、それは、喰われていた。

 喰われていたとしか形容しようのない状態で。

 死んでいた。

 植物のかたちに、木のかたちにされていたのだ。抵抗さえもできなかったのだろう。ただ喰われるがままに、そこで、……喰われて、いたのだろう。

 赤く、断面、紐のような正体知れずのどろどろ。

 噛みちぎられ、引きちぎられているたくさんの部分は、ああ、もとはなんの部分だったのか、ほんとうに人間の部分だったのだろうか、むしろパーツと表現したほうがまだ心が落ち着くような――そんなものもの、ばかりだった。



 ……だれが喰って、どうして、そうなったのか。

 わからない。けれどもわかることといえばたしかにこの公園には、――天高く注ぐ、涙の出るほどありがたい、意図と悪意が、その正体が、存在する、満ちているといってもいいほど――そういうことだ。




「あっ! 来栖さん!」



 その場にしゃがみ込んでいた葉隠さんが気がついて、口を縦に大きく開けて、腕も高く持ち上げた。

 そのそばには黒鋼さんとそして、……守那さんが、いた。守那さんは小さく縮こまっている。小さな女の子のように、背中を見せている。けれども無防備というわけではない。たしかにひとりでは無防備だったかもしれないけれど、……その背中には、黒鋼さんが手を添えている。なんども、なんども、背中を撫でている。妹に向かってそうするように。優しく、慈しみのある手つきで、ようすで――。



 僕はとりあえず、三人組のほうに寄っていった。あえて、南美川さんのようすは、うかがわなかった。ついてきてくれると思ったからだ。言いかたを変えるならば、……ついてくるしかないのだと、その事実が僕にとっても南美川さんにとっても、ある意味では決定的なんだと僕は信じていたからだ。わかっていたからだ。



 葉隠さんは、立ち上がった。小走りで僕のほうに寄ってくる。僕を見上げて、……やはり黒髪を、風になびかせているのだ。……さきほどから、やたらに、風が吹いている。つらい風ではない。空気は冷たいけれど、そよ風に似ている。そう、それこそ女性の髪を揺らし続けるのにふさわしいような……。





 ――風?





「待っとったよ。どちらに行きはったんやろって。なあ、平気なん? そないにふらふらしはったら――」

「……あの、尋ねたいことがあるんですが、いいでしょうか」



 え、というかたちにその口がなって、なあにとも、いいよとも、どちらをなにかを言われる前に僕はすでに、問いかけを投げかけていた。





「この風、いつから吹いていましたっけ? ……覚えてますか?」




 さきほどの広場で、この女性の髪をやはりなびかせていた。そうか、思えばそのときからずっと吹いていた気がする。不自然な風。まるでそよ風のように――きれいに過ぎるような、落ち着いたような、……景色をずっときれいにするかのような、この風は、いったい――そうだ、いったい、これはなんだというのだろうか。

 僕はとんちんかんかもしれない。でも、……こんなふうに吹き続ける風というのはやはり不自然で、違和感があって、この状況下ではもはや、……違和感を頼りとしてやっていくしかないのかも、しれなくて。

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