どうして名指しにしてこない

 そうして、そう、出会えてよかったと。

 ……結果論だけれど、それがなければ、と。

 僕はそんなエゴにまみれながら。


 南美川さんを抱き締めて、そして――彼らふたごがなんらかの意図と悪意をもって今回のことを起こしたと、合意が得られたうえで、……芽生えたまま胸に強く粘り気をもって張りついている違和感については、とりあえず、……いまは黙っておこうと思った。



 ほんとうならば、話そうと思っていた。いま、ここで。でも、しかし。


 いまの南美川さんはいっぱいいっぱいだ。こうして抱き締めているだけで、そのことがわかる。一見けなげなかわいい人犬かもしれない。一見気丈に振る舞うだけの心をもっているかもしれない。


 でも、でも。……抱き締めると、こんなに震える。小さな身体が、ぶるぶる震えている。寒いということもあるだろう。異次元だと思えないほどの、いつも通りの身を刺すような寒さだ。凍える。……せめてこのひとの弟と妹は、この世界の温度を心地よく暖房がついてるみたいな温度にしてくれれば、よかったのに、……そうもしてくれない。


 そして寒気だけというわけでもないのだろう。

 なんど話していても思う。彼らについて。……南美川さんは、どうやらたくさんの、僕から見たら多すぎると思えるほどのものものを、背負っている。


 彼らが彼らであったのは、僕が思うに、彼らがそもそもそういう人間だからだ。

 多少は環境や周囲の影響ということも無視できないだろう、あくまで小中高で習った標準的な現代生物学、そこから生まれる社会の一般常識に当てはめれば。

 けれども彼らはおそらくそれ以上にそもそも彼らだったのだ。

 産まれたときから。……姉のことなんて、ほんとうは姉とも思わず。そうでなければ、あくまでごく一般的な意味で姉というものを重要に思えなかった、と言い換えてもいいが――愛想のいい妹は姉を憎み、おとなしい弟は姉を異常な方法で好んだ。

 そういうことの責任はほんらい南美川さんにはない。

 すくなくとも僕は強くそう思う。


 ただ、そのことを南美川さんが呑み込むというのは、……あるいは、難しいのだろう。

 外から見ていれば、他者から見ていれば自明なことというのがある。客観的、ということだ。僕はもちろん、……客観性をうんぬんできるほどの立場でも、なにかをもっているわけでもないけれど、でも南美川さんを見ているとそういうことはたしかに思うのだ。南美川さんが思いつめていることは、すくなくともその弟と妹にかんして言えば、ほとんど、南美川さんの責任ではない。南美川さんが負うべきことはむしろなにひとつないのだと――。



 ……僕は思うが、それと同時に、南美川さんが自分のせいだと背負い込んでしまうことも、よくわかる。理解はできる、という意味だ。僕はそこに過剰に介入する資格も権利ももたない。あなたのせいではない、というメッセージを発し続けることもできないし、そこまでしたらそれはたぶん――嘘になって、しまうからだ。



 だから、この違和感については南美川さんには黙っていようと思った。

 ……ただ考えるということはする。

 ほんとうは、そのこともこのひとと共有できればいい――けれどもこれ以上いまこのひとの荷物を増やそうという気にはならない。目には見えないが、……このひとはいまたしかにあきらかに、とんでもない量の荷物をその頼りない背中に背負っている。ふつうに歩いたってつらい四つん這いの、ヒューマン・アニマルとしての歩行なのに、改造されて日々暮らすのもきつい身体なのに、怪獣がひと撫でしたような、なんども傷つけられた痕の痛々しい背中、白く、細く、痛々しい背中には、……信じられないほど重たい荷物が、これでもかって、載っている。……載せられている。南美川さんは、その小さすぎる身体は、……変なたとえかもしれないけれど、運搬車でもなんでもないのに――。



 だから、僕は。

 ……考えるのだ。


 いったん、ここでこの話はおしまいみたいな雰囲気にしておいて。

 整理できてよかったねと、そのことをお互いたしかめるようにしておいて。




 ……そのうえで、南美川さんのリードを右手にとって、歩き出して。

 歩数計のノルマを確認しながら。

 達成可能な領域にあることを、たえて、確認しながら、それと同時に、





 どうして、あのふたごは、こんなにもわかりにくいかたちで、だれかのせいにしようとしているのかということを、考える――おかしいんだ。あそこまでの明確なメッセージを示せるのならば、……そういう世界観を彼らが構築しているのならば、もっと簡単な方法があるはず。



 名指しすればいい。……来栖春のせいだと、あるいは南美川幸奈のせいだと。

 それくらいのことはできるだろう。

 それがなぜ、あんな曖昧な言いかたで。……だれであってもかまわないみたいな投げやりさを、一見感じさせるような表現で。



 ……考えさせようとしているのか。

 植物ごっこ、獣ごっこ、ゾンビたちの心あたたまるパフォーマンスのあとには。

 犯人当てゲームでも、させるつもりか? 探偵映画でも撮るのか。いや、おもしろいと思うよ。異世界同然にされた公立公園。犯人はだれか公園のなかにいると天からの正しいお告げがあった。ただしほんとうは犯人は天そのもののほうで、犯人は公園のなかにはいない――いや、……いやいやほんとにね、……おもしろい、笑えてくるよ、げらげら笑いたくなる、ぶっとびトリックってことで――けっこうB級映画好きのあいだでは評判になるんじゃないか?



 ……でも、ほんとうに。

 B級映画ではないけれど、……そうなのだ、犯人は彼らで。だからこのなかにはいなくて。彼らはこのなかに犯人がいると言う。……僕たちの名前をとりあえずはおくびにも出すことなく。





 そこの、意図というのは。悪意の正体というのは、いったい――。




 まさか、虹の直線文字では僕たちの名前が書けない、ということも、ないだろう――だとしたらひらがなで書けばいいんだ。カタカナだっていい。いい書き取り練習になるのではないだろうか、なんて思って――面白い、馬鹿らしい、……彼らはこんなにも、笑えてくるほど得体が知れない。笑えてくるほど、……僕たちのことを執拗に追いかけて、苦しめようとするのだ、邪魔するのだ、こんなにも、大袈裟に派手に残酷に、僕は、僕はとにかく、南美川さんを人間に戻せればそれでいい、――それでいいはずのことは彼らにとってはまったく見過ごせないことなんだろうなという、その事実じたいは、わかるんだけれども。




 ……どこまで、嵌めようとしているのか。読まなければ。読み取らなければ。展開を。これからの、動きを。……あきらかにおかしいんだ。僕たちのことを狙っているはずなのに、なかなか、ダイレクトには狙ってこない。と、すると、その意図は悪意は――。

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