ミサキさんの語る、楽園のおはなし(3)

 ……え? なんですって、お若いかた。

 いいのよ、なんでもね、言ってみて。おばあさんが、聴いてあげる。


 ……うん。えっ? それは、退化なんじゃないか――ですって。

 あは、……あはは、ふふ、くふふ、いやねえ、それはねえ、お若いかた、……私たちのグループの理念を理解しない、外部のかたがたの言い草よ。まあ――仕方ないわね。だって、あなたは、お若いんだものね、……うふふふ。あなたがお若くなかったら、私いまどうしちゃってたか――いいえ、いいのよお、……じっさいには、あなたはお若いんですものねお若いかた。



 ひとつに戻ること。それは原始の状態になること。

 それを退化と呼ぶやからは、たしかにいたわ。国立学府にも、高柱関係にも、いっぱい。とくに、高柱には生意気な生物学者がいた……ネコさんの血をすこし、すこうし、ほんとにすこしなのよ、こんなちょびっと、こんなちょびっと受け継いでいるってだけで自分のほうが正しいって声高に主張するの。ムカつくわよね、……私一生許せないかもしれないわあ、ふふ。


 でもねだからそれは理解していない立場からの攻撃でしかないの。

 だって人間はもともとひとつなのよ?

 もともとあるべき状態に戻るだけよ。

 それのなにが退化だっていうの?

 退化でも進化でもないわ。

 あるべき、状態に、戻るだけです。――ねっ、わかるでしょう? お若いかた?




 ……だからほんとうに憎々しい。

 学府のやつらも、高柱の生意気なガキどもも、私たちの理念がまったく理解できなかったから、って。リーダーの、私たちのグループの、崇高すぎる理念が理解できなかったからって、嫉妬しやがって、あいつらは。


 私たちのグループをね、潰したのよ。

 ……信じられなかった。

 リーダーが、あんな目に遭うなんて――ああ、このことはね、……私、思うだけで、くらくらしちゃうの、……いますぐ関係者をめった刺しにしたくなっちゃうのよ、だからねえ、ふふ、このあたりまでに、しときましょうねえ、――お若いかた、ねえ、わかった?



 私はひとりになったって研究を続けるつもりだったの。

 でもリーダーが、……あんなことに、されたら。

 実質脅しだったのよ。それだけのことを、あいつらはリーダーにしたの。もうね、言わない、言えない、言いたくない。それほどのことよ。

 リーダーがああされたというだけでみんなが黙った。

 それほどのことだったんだから。

 私も、黙らざるを、えなかった。


 ……私はグループのなかではいちばんのひよっこだったから、こっそり研究を続けられる、とも思ったんだけど。あいつら、うまいのね。

 ……当時四十になるところだった私には、ぽんと結婚相手があてがわれた。先端医療を用いて、子どもも産んだ。……実質、あれは、産まされたようなものだわ。無理やりに。……私そのときネコさんの気持ちがわかった。ネコさんの、苦しみが、屈辱が、――手にとるように、わかっちゃった。



 ……でもね、子どもはかわいかったの。いまでこそ、あの憎らしい旦那と結婚しちゃったけど。でもね小さいころはほんとうにかわいかった。いまだって情はある。娘ってね、……ふしぎよね、かわいいものは、かわいいのだから。


 それに旦那となったそのひとも、そう悪いひとではなかったのだわ。だって彼も、社会からすれば罪とされるようなことを、なしたひとだったのだもの。そういう意味で私たちは似た者どうしだった、おんなじ者どうしだった。……彼に恋したことはないわ。家族愛というにも、足りない。でも情はある。私にとって、いちばんはネコさん、にばんはリーダー、そしてこのひとたちには遠く及ばない、確固たるラインの下でってことだけど、そこには、……旦那と、子どもと、孫たちを含めてもいいかもしれないって、私思ってる。



 もちろん、いつでも監視の目はあった。

 私をそういうね、……ふつうの家庭、ふつうの専業プロフェッショナル主婦として、おうちで暮らさせているのだと、なんども、なんども、思い知った。



 ……でもリーダーのことを想うと私は反抗する気が失せたのよ。そのままの日々を続ければ、けっこう平穏に暮らせる。ネコさんの映像もいくらでも観られるし、いまのネコさんの動向を、おっかけることだってできる。

 子どもの手がやっと離れること、私の生活は奇妙に若いころの学生生活みたいになっていたわ。

 つまり、ネコさんの映像ばかり、ひたすら観て日がないちにち暮らすの――。



 そうこうしているうちにね、たしかに、私の気持ちはいったん失せた。

 ……つまり進化を研究しようという気持ち。解明しようという気持ち。





 ……老後になったわ。

 どんな最先端技術をもってしても、私がこのまま老いない、死なない、ということは無理でしょう。

 あと数十年すれば、人間は死ななくて済むようになるかもしれない。いいえ、死ななくてもよくなる、ずっと生きている権利を得られる人間というのが、科学技術的にも、社会制度的にも出てくるかもしれない。……でも私にそれは間に合わないし、たとえそうなったとしても、私の優先順位はひどく低いものでしょう。なにせ、私は――社会から、害悪としてみなされているのだから、ねえ、……お若いひと、ふふふ。



 私はもう諦めていたの。

 自分が進化生物学者のひとりであることさえほとんど忘れていたわ。

 こうして公園に来るのが楽しみでねえ。

 あなたみたいなねえ、ほんとうにねえ、……ねえ、優しそうな若いかたをつかまえて、他愛もないおはなしを聴いてもらう、そのことこそ、……私の老後の平穏だわって、ほんとうに思っていたのよ。ああ、あともちろん、……孫と、ペットと遊ぶことも。ね?

 おうちに居場所がなくたって、そうして平穏な時間を過ごせるの。それでいいじゃないってずっと思っていた。思っていたのよ。心底よ、――ほんとうよ?


 もちろんお守りの研究道具はいつでも忍ばせていた。

 でもそれは、……進化生物学者だからというより、リーダーのことを忘れないため。

 リーダーが私にしてくれたことを忘れないため。肌身離さず、四十年間身につけていただけ――。




 ……だから。

 まさかね、こんなときがくるなんて。




 神は最後には微笑んでくれるのかもしれないわね。

 私にはこれがお告げとしか思えない。義務を課せられたのだと思う。





 ……昨晩から、いろいろ調査してまわった。研究道具があったし、意外と若いころ長くしていたことというのは、この歳になっても身体が感覚が覚えているものなのね。

 その結果、わかった。

 この公園には、やはり現象が起きている。

 進化に見せかけた退化、そして、退化に見せかけた進化が――あちこちで、ねじれるように、……咲き乱れるように起こっているの。





 仮説の通り。リーダーの、みんなの、思った通り。

 原始の楽園ではこうして進化と退化が入り乱れている。

 生物の種類の区別なんて、あってないようなものだわ。だって、ひとつなのだもの。その証拠に、植物は動物に成れるし、動物は植物に成れる、もちろん人間だって植物に成れる、動物にも成れる、なににだってなれる――それがほんらい生物のあるべきすがただから。





 だから、私にはわかるの。

 ここは、原始の楽園よ。




 私を導いてくださって、人生最後で最高の仕事を与えてくださって、原始の楽園をこんな夢みたいに実現されてくださるかたは、間違いなく――神よ。神、おひとり。そうでしか、ありえないもの。ねえ、ねえ、……わかるわよねえ、私の言っていること。わかるわよねえ、お若いかた。







 ミサキさんは、そのように、話した。

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