問答に、問答

「……僕は、あなたたちのようには、南美川さんを恨んでいません」



 葉隠さんは、相変わらずの冷ややかな目線で僕を見上げて射抜いてこようとする。南美川さんはといえば、……おどおどしながら、僕と葉隠さんの顔を見比べている。



「それに、いまの南美川さんが、どれだけ無力か。あなたたちにも、わかるんじゃないですか。……笑いに来たくらいなんだから」

「やっぱおかしい」



 表情ひとつ変えずに、眉ひとつ動かさずに――葉隠さんは、そう言い切る。



「ふつう、逆やないの。私らと、来栖さんがわかりあう。そんで四人組になって、南美川さんに復讐してやる。……そっちのがふつうやないの」

「だったら、僕は、ふつうではないんだと思います」

「なら、どうして?」



 葉隠さんは、まっすぐ訊いてきた、……まっすぐに。



「どうして来栖さんはそんな境地に至ることができたん。コツを教えてほしいわあ。……私は、ゆるせないよ。そないに簡単に。南美川さんのこと、……この女のこと、ゆるせない。この女は私らの人生めちゃくちゃにしたんよ。一生消えない傷を残した。……死んでてくれればええといくども心底願ったわ。そうじゃなきゃ、人権奪われてればええ、と。そんで、後者はかなったんや。……もうめちゃくちゃにしてやりたい。そうでないと、おさまらんよ」

「あなたがたにとっては、そうなんだと思います。でも僕は、そうではない」

「やから、……なんで?」

「……それは、説明するのが、難しいので」



 そもそも、南美川さんにも――話しては、いないので。



「……ともかく僕が言えるのは、この事態は、南美川さんのせいではないということ。それだけです」

「ええやん、もし南美川さんのせいでなくとも、南美川さんのせいにしてしまえば。ちょうど人間動物園筆頭って感じで動機もおもしろう作りやすそうやで、……なあ? 南美川さん」



 葉隠さんは、南美川さんの頭を足で撫でようとした――南美川さんはうずくまって自分をかばおうとするばかりだ、だから僕は、……その腕を掴んで、一歩、無理にでも退かせた。


 出会ったばかりのときは、こうできなかった。止められなかった。南美川さんが泣きそうな目に遭っているのを、それでも、……僕も怖くて、情けないことに、……止められなかったのだ。でも簡単なことだった。こうして、相手の腕を掴んで、……異性のその小枝のような腕に驚きながらも、折れないように、でも確実に退かせるように、そっと、押し込むように力を込める――思えばこれを僕は南美川さんの妹にもやったのだった。怖くて、怖くて、……怖く感じてたまらなかったはずの南美川さんの妹が、……あの、少女が、それでもあのときにはなぜかある意味、南美川さんに抱くようなあたたかく、同時に粘着質な気持ちを感じて、こうして腕を掴んで――退かせたのだった。あの少女も、背は高くなかった。あの少女も、……僕の胸もと、いやもうすこし下だったろうか、そのあたりに、頭があった――。



「……なんで止めるん」



 目の前の女性は、僕を見上げたまま、あきらかに抗議めいてそう言う。



「南美川さんには、手は、出さないでください」

「だから、なんで? なんで来栖さんは、私らでなくて、南美川さんの味方するの。頭おかしいんでないですか? 被害者は、私らや、来栖さんで。加害者は、南美川さんよ――」

「……それについてはもうお話をしました。南美川さんを、傷つけないでください」

「来栖さん、おかしい、おかしいよ。こいつが。――南美川幸奈が!」



 葉隠さんは、片足を出そうとした――僕はそれも、止めた。足の前に、足を出した。そして、こんどは、……このひとの両腕を、両手で掴んだ。もちろん南美川さんのリードが首が苦しくなるまで引っ張られてしまわないよう、角度には細心の注意を払って――。

 失礼なことだとは、わかりつつも。仕方ない。だってしょうがない。南美川さんを傷つけようとしているのだ――。




「南美川さんが犯人に決まっとるやんか!」




 何人かが、こっちを振り向いた。

 僕は、この女性の両腕を掴む力に過剰な力を入れてしまわないよう、つとめて、どうにか自分をコントロールした、……感情的に過剰な暴力を用いてしまっては、最悪だ。

 でも。それでも。ああ。いまのは、まずかった。そんなことを、叫ぶなんて。しかも、まわりに聞こえるように。ああ――僕が腹立たしいのはわかるから、せめてそれは、……僕だけにぶつけておいてもらうのに留めることは、できないのか。




 それに、加えて。




「南美川さんは、犯人ではありません」

「ほんならだれなんよ」

「……南美川さんでは、ないんです」




 根気強く、僕はこのことを言っていかなければならない。

 言い続けなければならない。




 文字通り、手も足も出ないで、言葉もまともにしゃべることをゆるされていない、そんな南美川さんのことを、僕が、……僕なんかが、それでも、僕が、かばい続けなければいけない。南美川さんが、不当な評価を受けないように。南美川さんが、不当に扱われないように。僕たちは、僕たちの目的を達成するために――。



 ……そもそもかりにいまの南美川さんがしゃべったところで、だれが犬の言葉を信じる?

 人犬は、犬なのだ。人間ではない。

 かりにしゃべったところで、それは犬の、動物の、ケモノの証言。だれひとりとして、まともに取り合わないに違いない。……僕だって逆の立場ならたぶん、信じなかった。



 それに、ヒューマン・アニマルは動物とおなじだから。

 ……もしなんらかすこしでも害なすと判断されたら、駆除するのは、つまり、……殺すことは、社会的にそんなに困難なことではない――むしろ容易なことだ。




 だから。

 僕が、かばわなければならないのだ。重たい言葉をあえて使うなら、……守らなければ、いけないのだ。




 自分自身で、自分をかばえない、守れない、このひとのことを。けっして犯人ではない。僕のいちばんだいじにしたい、このひとのことを――たとえこうして他人の腕を掴むだなんておぞましいほどの恐怖を僕は、感じながらでも。他人は、ああ、……この期に及んでこんなにも怖いな。この期に及んで――ほんとうはすべて投げ出したくなるほど、うずくまって、耳をふさいで、目をふさいで、……閉じこもってしまいたいほど、ああ、人間は、怖い、怖いなあ、……それなのにいま僕は腕を掴んだこの他人の顔から視線を外すことができない、外せば、あっというまに、……目の前のこの人間のひとは、南美川さんを蹴り上げそうな勢いだから。だから、僕は、こんなにも嫌なのに――さきほどからずっとじっと、……目の前のこのひとの顔から、視線を動かさないでいる。

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