明るい広場の暗中模索

 葉隠雪乃は、口をあんぐり開けて僕を見ていた。

 信じられない、とその表情すべてが語っていた。理解できないゆえの苛立ちも、憤りも。軽蔑も、侮蔑も。もうその顔は隠していなかった。たぶん、このほうが葉隠さんにとっては葉隠さんらしいのだろう、自然なことなのだろう――そうすんなり思えるような、表情、ようすだった。



 そしてやがて目を細める。猫みたいに。狐みたいに――そんな細めた目で、僕をうかがうように見てくる。



「……来栖さんっておもしろいおかたよねえ」

「僕は、事実を述べただけです。南美川さんは、犯人とやらではない……と」

「罪をなすりつけるええチャンスやったのに」


 皮肉っぽく、鋭く、葉隠さんは笑った。

 ……そしてその視界がふいにどこかを捉える。僕ではない。南美川さんでもない。僕の顔を越えた、さらにその先――おそらくは僕の背後にいる、なにかを見ている。

 僕は、振り向いた。



 そこには、軽やかに楽しそうな足取りで、まるでただただ単に朝のウォーキングを楽しむかのごとく、歩いていく――上品なおばあさん、……ミサキさんの、すがたがあった。

 それにしても、やけに、ほんとうに、……楽しそうだ。


 葉隠さんは、僕に視線を戻す。


「なあ、もう南美川さんに手ぇ出しまへんから。離してもろて、いい? ……もっと優しく掴んでくれはるいうなら、それでもええけど」

「ああ、……はい」


 僕は、腕を離した。結果的に言われたことを鵜呑みにしたかたちになってしまったけど、……でもある意味では、葉隠さんと僕の考えたことは、一致していたことだろう。

 すなわち。ミサキさんが。進化生物学者だったという――この状況のなにか鍵を握っていそうな人間が、そこにいる、楽しそうに散歩みたいに、歩いている。



 昨日から、なんかいも。いろんなかたちで。

 ……ひとびとは、変質した。すがたを変えた。もとの特徴をほんのすこしは残しながらも、いや、残しているからこそ、ひどくおぞましい化けものに、なってしまった。

 進化、ということについて僕は詳しくはないけれど。中学や高校の現代生物学の授業ですこしふれたくらいだけど。でもそのレベルの知識であっても、進化というのは、そういう側面をもっているのではないかとわかる――。



 ミサキさんが、あらわれたことで。

 結果的に、あくまで結果的にだけど、僕と葉隠さんのあいだにある緊張は、……ほどけた。



「……話を聞いたほうがよさそうですね」

「私も、いっしょに行きます。ああ、――でも」


 葉隠さんは、はっとした顔になった。まさにいま気づいたと、――青ざめるような、表情だった。


「そうやった。いけん。私としたことが。……里子と美鈴は平気なんかいな」

「え? てっきり、どこかに避難しているものかと……」

「やと思う。でもわからん。……あんなでっかい化けものおってすこしおかしくなってたみたいね」


 葉隠さんは、苛立たしげに首を横に振った――黒髪が、ばさばさと揺れる。


「……お友達のほうに、行ってあげたほうがいいんじゃないですか」

「でも」

「あのおばあさんとは、僕はもともと知り合いなんですよ。だから。……たぶん貴女は、お友達がぶじかどうかを、たしかめに行ったほうがいい。どうなってるかも、わからないんだから」


 葉隠さんは、その言葉にさらにはっとしたようだった。

 唇を、引き結んで。そうやな、とひとりごとを漏らす――。


「……先にふたりのこと見てくるわ」


 僕は、小さくうなずいた。……迷ったけれど、言葉もつけ足すことにする。


「お気をつけて。……なにがあるか、わかりません」



 そして、葉隠さんは去っていった。友達を、さがしに。黒鋼さんと、守那さん、あのふたりはいったいぶじなのか――わからない、ほんとうになにもわからないこの状況で。

 暗闇みたいな。……暗中模索の。目の前の風景はたしかに爽やかな朝の広場として広がっているけれど、でも、……実質暗闇なこの広場で――。



 ……そういえば。

 昨日は、やたらとこの広場がいじられていたけれど、……今日はそんな気配もない。心なしか、元通りの公園そのものに近づいているようだ。……どういうことだ? 草はガラスのようになり、花は人の顔になって歌い出す――のでは、なかったのか?




 ……疑問は、問いたいことは、知りたいことは。

 叫びたいことは。訴えたいことは。

 無数にある。……みはてぬほどに。


 けれどもいまは叫ぶことも訴えることもできない。

 ただ、この状況を、打開することしかできない。

 それしか、できない。……だから。




 僕は、片足を一歩踏み出す。

 南美川さんのリードをちょっと、引っ張って。こっちに意識を、もってきてもらって。自分勝手にも、その顔に、僕はすこしばかり、……励ましてもらう。

 南美川さんは弱々しく笑っている。そして、その顔は、……僕にとって、こんなにも優しい。



 僕は、もう一歩踏み出す。

 そして、一歩。もう一歩、もう一歩、と、




 歩みを進めて、あの進化生物者だったという上品なおばあさんのもとに、近づいていく。……こんな状況なのにかるがると楽しそうなあの人間に、話を聞こうと、まっすぐ、まっすぐ、……すくなくとも物理的には最短距離で、近づいていくのだ。

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