素朴な考察に思えたけれど

 もちろん、僕が思っていることならば、たくさんある。

 ……もちろん。あのふたごのこと、その意図、そしてなにより、この世界においてはNecoというのはどういう価値体系のもとにどういう扱いをされているのか――ということ。



 ……ただ、それらは。

 南美川さんにさえ、言っていないことだ。

 ……そしてまだ、言う気もないことだ。

 そんなことを、当然――葉隠さんたちに言うというつもりは、……なく。



 ……それもだし。

 僕と南美川さんは、すくなくともこの世界をこのように陥れたのは、あのふたごの仕業だと知っているけれど。

 ここにるいるひとたちはまだひとりもそのことを知らないはずだ。

 僕か、南美川さんが言うまで――そして南美川さんは、他者がいるところでは基本的には人間の言葉をしゃべらない。


 万一、かりに、いまそれが葉隠さんや黒鋼さんや守那さんに知られたとしよう。

 彼女たちは南美川さんのことをひどく恨んでいる。

 だからほんらいきょうだいというのはまったく別だしそこに変に責任を負う必要などない、という理屈をいくら並べ立てたところで――彼女たちの取る行動というのは、正直、予測しきれない。

 ……南美川さんのきょうだいなのだから南美川さんがなんらかのかたちで責任を取るべきだとか言い出しかねないし、そうされたら、いま南美川さんの立場は、とても……とても弱い。身体的にも、権利的にも、――なにひとつ、生身では人間と対等にものごとをおこなえないのだ。

 それに、なにより。もし南美川さんがなにかここでひどい目にいま遭ってしまったら、それこそ歩行ノルマの達成は絶望的だろう――そうはいかないのだ、そうは、……いかない。南美川さんは、……あの信用の置ける生物学者に課せられたノルマをきっちりと、歩いて、歩ききって、そして――ぶじに手術を受けて、人間の身体を取り戻さなければいけないのだ。



 ……南美川さんは、心配そうにこちらを見上げて、横の方向に忙しなく尻尾を振っている。心配、なのだろう。なにかが。おそらくは、僕もいま懸念していることが。だから僕はすこし緩むことができた。ほんのすこしだけ。笑み、とまでおそらくそれはいかなかったけれど、でも僕はたしかにすこし弛緩して――葉隠さんに向けて、答えることが、できた。



「……そうですね。正直なところ、僕もなにがなんだか、といった感じで」



 そういうふうに、実質的になにも言っていないに等しい、上滑りの言葉を、僕は言うほかなくなるのだ。

 ふうん、と葉隠さんはどこか拍子抜けしたように、つまらなそうにつぶやいて――そしてまた、空を見上げた。



「私も、なにがなんだか、よ。……なにがなんだか、だなんて、南美川さんの研究室であないな目に遭って、それで最後と思っていましたけど」



 葉隠さんは皮肉な表情で、南美川さんを見下ろした――南美川さんはびくりとして、……逃れるように、そのままうつむく。弱々しく、首輪の鈴が、……リン、と鳴る。その落ち込みを、如実に表現するかのように――。



「……どないなってしまってるの。ここは。……ワンダーランドであらはりますか」

「ワンダーランド?」

「ふしぎの国、よ。おとぎの国、でもええけど。……現実にあらはったらナンセンスの極みやろなあ」



 ナンセンス――。



「でもやからなんらかアトラクションなんやないの? ほら、没入型VRエンターテイメントの実験とか……私らがたまたま当選して、いま遊ばせてもろうとる、とか。サプライズで」



 ……なるほど、そういう可能性も、たしかになくはない。

 アトラクションの当選。サプライズ。

 でも、それは、……薄いだろうとも、同時に思ってしまったのだった。




 VR黎明期。五感ごと没入できる、というところまで技術が達したとき、それまで驚異的な速度で発展をしてきたVR技術に対して、人間がわの心や理屈は追いついていなかった。その結果どうなったかというと、――VRを悪用した犯罪や詐欺が、蔓延したのだ。

 ひとを、VR世界に閉じ込めておいて、しかもその世界というのはとんでもない残酷な世界で、……生涯その外に出さなかった、……とんでもない犯罪者というのも、何人か数えあげることはできる。彼らは、要は、その人間の意識だけをVR世界に置いておき、かつ彼らの五感を操ることで、じっさいの生身の人間を用いた、遊戯ができた――そういう、ことなのだ。


 だから現代ではVR世界への没入というのは厳しく取り締まられている。

 唐突に実験をすることなどぜったいに禁じられているはずだ。VRを用いてなにかをするためには、あらゆる方面、何重にも検討された、VR経験者への同意プロセスといざというときの対処法の取り決めが、必要になる。……軽く一ヶ月は申請とその手続きと許可に必要なはずだ。




 この数の人間を、一気にVR世界に取り込む――単にサプライズでは、済まされない。無断でそんなことをすれば、……たとえ過失であったとしたって、人権の徹底的な制限は免れないはずだ。故意だったら当然、人権剥奪、人間未満へ――。





 ……だから、なにかそういう楽しげな目的、ということは考えづらかったけど。

 でも。




「……VR、ということは、ありそうですね」



 僕は、そこにだけは同意しておいた――そうか、VRの可能性。南美川化たちならば別次元くらい簡単につくれるとどうやら僕は思い込んでいたけれど、でもよく考えれば、……シンプルに、そういう可能性だってなくはない。ただ、彼らがたとえわずかであっても犯罪者になるような、それも人間未満になるようなリスクを取ってまでVRを利用するかというと、それは、どうなんだ――? 犯罪者にならないためには相当の抜け道を用意しなければいけないし、……それは僕と南美川さんを実家に監禁していたとき以上の、相当の工夫、リスクが、必要なはずなんだ。そもそもあの監禁だって相当のことだったのに、いくらなんでもこんなおおっぴらなことを、彼らが――するのだろうか。



 ……新しい疑問はいくらでも浮かぶ。でも、たしかに、あらゆる意味であらゆる方向から検討しなければならない。いま僕たちは彼らのまさしく手中にいる。このなかでできることと言えば、彼らの意図をなるべく彼らが気づかないように読み取って、――どこか、どこかで逆転することだけなのだから。椅子に縛りつけられたときも、監禁されたときも、……けっきょくのところそうだった、だが、……だが、今回は、どうなんだ、うまくいくのか――? まったく自信はもてないけれど、でも、それでも、……そんなことは言ってられないのだ、そう、そうだ、だからこの世界が葉隠雪乃の考察する通りVR世界なんじゃないかなんて一見素朴すぎることだって、僕は忘れてはいけない――。

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