連れていくさいに

 ……しかし、もちろん、Necoを責めてばかりもいられない。

 感情としてはそうでも、ともかくまずはどうにかせねば、どうにかせねばいけない。

 そもそもいちおうはNecoの専門性とやらをもちながら、まだどうにもできていない僕にだって当然責任があることは、わかっている――そう思って、だから立ち上がろうとしているときだった。



 ……立ち上がる決意が、つく前に。

 あるいはじっさいに立ち上がれる前に、まあ、それらの順序はどちらがどうでもよかったのだけれど――ともかく僕がそうできる前に、駆け込んできたのは、……こんどは、葉隠さんだった。


 まったく、千客万来だ。そう思って苦笑いできるだけの余裕があったらいま、どんなにかいいだろうなんて、またしても詮無きことを僕は思う――。




 葉隠さんは、一目散に駆けてきた。不自然に破壊されたあとの雑木林に、ほとんど注意を向けていないようだ。倒れて重なり込んだ枝が進行するのに不都合なときだけ、すこし顔をしかめてそれらを蹴飛ばした。だがそれはほとんど無意識の行動に見えた。つまり葉隠さんは、……葉隠雪乃は、いまとにかく急いでこちらに来ることを意思上いちばんの目的にしているということになる――。



「来栖さん!」



 僕は立ち上がり、ひとつ深呼吸をして気持ちをたとえすこしでも整えると、南美川さんのリードを小さく合意のかたちに上に引っ張って、剥き出しの土ばかりの遊歩道だったはずの、その場所に、身体をあらわした。



「ああ、こんなとこにいはったの、探してもうたわあ」



 葉隠さんは膝を曲げ両手を当てて、荒い呼吸をしている。その表情からただごとではないとうかがえた。……だいたい、ここでただごとではないことが起こっているのだ。だったら公園全体で、なにが起こったっておかしくはない――。 



「……どうしたんですか」

「あんなあ、大変なのよ。……ほら、美鈴がきちんと見張ってた植物化人間、おったやろう」

「ああ、はい、……人権制限者の、ひとりの」

「そうそう。――あのひとが、喰われてしもうた」



 僕は一瞬、ほんの一瞬だけと決めて地面に視線を落とした。ああ。――やはり。

 そして一瞬だけと決めたのだから、……僕は、すぐに視線を上げる。葉隠さんの目を真正面から見るとまではいかずとも、……胸もとのあたりを静かに見つめて、それで話す体勢が仕上がっているということに、させてもらおうとする。



「……もしかしてそれは、巨大な獣だったりしましたか。猿みたいな。それでいて、空を飛ぶ……」

「そう! そうよ! 来栖さん、知ってはるん?」

「……いえ、ここも、さきほど」



 それだけの言葉でも、葉隠さんは察してくれたのだろう。

 ……ああ、と無気力な声を出した。



「そう……」

「喰われたのは、植物にされたあのかただけですか。そばに、守那さんがいたと思うのですが……」

「美鈴は、無事よ。……ただ目の前で植物人間が喰われるのを見てしもうてな。いまは、心が、ぐちゃぐちゃになっとるんと、思います。美鈴はひと晩じゅうあの男と語り合っていたみたいやから」

「守那さんは、もともと、そういう」

「そうよ。美鈴はもともと、そういう子やもんね」



 葉隠さんは、疲れたように微笑んだ。



「とにかく来栖さん、いっしょに来てほしいですのん。獣がいる。人が喰われてる。……広場もかなり危ない状態ですのん。いま、単独でおるわけにはいかへん。なるべくみんなで固まっとったほうがええ」

「そうですね、そうしましょう。……あの、南美川さんも、いっしょに」

「仕方あらへんやろ。ほんとはそこらにほっぽっときたいけんども」



 葉隠さんは、南美川さんを冷たい視線で見下ろした。南美川さんは哀しそうに見上げてすこし尻尾を振るだけだけど、……たじろいだりは、してないみたいだ。



「じゃあ、あの。そこにいる、その、……カンちゃんさんや、人権制限者のひとたちも、いっしょに。とにかく、固まってないと――」

「影は行きません!」



 僕と葉隠さんの会話なんて、まるで聞いてないみたいに呆然としていたのに。

 影さんは、唐突に、背中を見せたままそう言った。



「行きません。行きません。行きませんったら、行きません。影はこの事態がだれの陰謀か知っていますよ。おおかた進化生物学者のやからの仕業でしょう! 影は知っています。昨日、大喧嘩をしたこと。影は知っています……進化生物学者だったらあのようなキメラ作ることなどたやすいと! 影は、影はだから行きません。あなたがたも進化生物学者のグルかもしれないっ。それに、それに、表も上司も亡きあと人権制限者の管理の全権限は影にあるのです、そう影に。だから行かない。影は。ここに。施設をつくる――」

「もー、あんちゃん、なに言ってはるん」



 呆れたようにそう言うと、葉隠さんはつかつかと影さんのもとに歩み寄って、その腕を無理やり掴んだ、……強い。



「あんなあ、あんちゃん。申し訳ないですけんども、もうここは安全とは違うんです。緊急事態なんです。避難します。やからその人権制限者のひとらの拘束もいったん解いとってな」

「……いやだ。どうして」

「してくれないなら私がいまここであんちゃん殺すしかないさかい」



 困ったように葉隠さんが言うが、僕はぎょっとする、――いや、どうしていきなりそこまで?



「過激だと、思うか? でもそうせねばこの人権制限者のひとらみんな不足の事態でぱぱーっと死ぬかもしれへんのやろ。だったら私は予防であんちゃん殺すしかなくなります、さかいな」



 影さんは腕を捕まれたまま、だらんと動かなくなっている、強い、――葉隠さんはそこまで強いことをさらりとするようなひとだったっけ、いや、だったっけなんて言えるほど僕はたしかにこのひとのことを、知らなかった、……強いのだ、もっともそれを強さなんて言葉で表現していいなら――だけど。でも僕にはいま、それ以外の表現が、……見当たらない。

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