ほんとうはまだ

「表は人間としてとりあえず完全ですからいいのです。影は不完全な人間体にんげんたいになってしまいましたがそれでもまだこうして社会でひとでいれるからいいのです。でもそうでない仲間もいっぱいいました。人間に満たない、人間のパーツのかたまりだけだった仲間。かろうじて人間みたいなかたちになっても、維持できず崩れ落ちていた仲間」


 それはたぶん、……さぞかしグロテスクなんだろうなということなら僕にも想像できた。


「……そうやって崩れ落ちていった彼らに比べれば私は表で、彼らが影ということになります。そうして、消えていった、たくさんの私たちを、私たちは、見送っていった。発生させられてから、ずっとです、二十年以上。……自分とまったくおなじ人間が人間のかたちをとれなくなって消えていくのを、見てきたのです。もちろん、表も」


 影さんは、なおもミサキさんとやりあっているあの青年を指さした。……印象はけっこう違ったのに、じつはまったくおなじ人間であるという、あの青年とこの青年。


「表は、影よりも完全な人間体ですから、影よりもずっと、仲間たちが崩れ落ちていくことにつらさを感じていたらしいです」

「……でも。その。影さんだって、なにも思わなかったわけじゃないでしょう」

「ええもちろん。でも影の感情は不完全ですから。影は泣きませんでしたが、表はなんども泣いた、喚いた、いまみたいに関係者の胸ぐらを掴んだりした、うん。あの、えっと。……そのことは、もうけっこうでしょう。それでですね」


 影さんはそう言うと。なにかを無理やり絶ちきるかのように、まるで自己満足の自己完結のようにこくんとひとつうなずいた。だから僕は、……それ以上、そのことについて追いかけられなかった。


「そのすべての元凶は千体観音体なんて考えた進化生物者たち。もちろん進化生物者たちはあのおぞましいグリム事件で公式にはいなくなりました。でも私的に残っている者はいるはずです。いままさに出会った、その老婆のように」


 いまのミサキさんには、柔和な印象がいっさいなくなってしまって――鬼のような形相で、青年と口汚い言葉をぶつけあっては、掴みかかる。


「……私たちは、ずっとみんなでいられたわけではありませんでした。私たちは、もともとはひとつの存在だったですけど、いろんな、ほんとにいろんなことがあって、けっきょくほとんどバラバラになってしまった。……カルと名乗る表と、カンちゃんと名乗る影は、いろいろあって、いまではふたりきりの同一人物なのです」


 ふたりきりの、……同一人物。


「バラバラになって、私たちがふたりになったばかりのころは。表は、よく言ってました、表は進化生物者のことがゆるせないようだった。ずっと。ずっと、ずっと、ずっと。できるならその手でひとりでも進化生物者を殺してやりたいというのが口癖で。生活しなければだから、私たちが人権制限者の管理施設に就職してからも、表は、その気持ちを押し殺していたのでしょうね……影は、そこまでは気づきませんでした。もう、何年も、表はそのことをあらわに言っていませんでした。……今回まさかこんなところで進化生物者の残党に会うとは。そして、こんなことに、なるなんて」


 影さんは目を細めて、表さんを、……おそらくは表さんだけを見つめていた。まるでなにか遠く眩しいものでも見るかのように、目を細めて――表、と小さくその名を呼んだ。



「ほんとうは、まだ、殺してしまいたかったのですね」



 そんな言葉を、……つぶやいた。

 それはたぶん、ひとりごとだったんだろうけど。僕にはその言葉の響きは、この青年が、あの青年を労っているように聞こえた――殺意などというものさえ、すべて肯定して包み込んで、そうしたいならそうしなさいとでも伝えてしまうような、底の知れないおそろしさがあるような、その言葉のやわらかい響き。

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