千体観音体人間
「どうして影がここまでお話するのでしょうとお思いのことでしょう。ほとんど初対面です。でも影はいつも初対面のひとにこんな話をするわけではないです。表が、影たちが表と影だと言ってしまったから。そしてそれだけではなくて進化生物学者にも出会ってしまったから。わかられてしまったなら、中途半端はよくないと、企業の方針ですから。運悪く、知られてしまったとき。そのひとに、そういう説明をするためにも影はいます。そしてそのときには洗いざらい、影は話さなければいけません。それも企業の方針なのですから」
企業とは、なんのことだろうとは、……思ったけど。
「……つまり、カルさん――じゃなくて、その、……表さんがあのようにいますごく、その、……怒っているのと、そのことが、関係あるということですか」
影さんは、うなずいた。
「表は優秀で影は影です。でもそれは影と表の関係が表と影だから。表がいれば影ができるし、影があるなら表があるということです」
「……その、ごめんなさい。僕の頭では、おっしゃってることの意味が、よく……」
「つまり私たちは大量生産クローンということです」
なにが、ということ、なのかはいまだわからなかったけど――なんだかとても噛みくだきづらそうなことを懸命に説明してくれようとするようすはすごく伝わってきたので、僕はとりあえず、……黙ってうなずいて、話を聴くことにする。
「私たちはぜんぶで百人はいます。もしかしたら二百人いるのかもしれません。いいえ、三百人かもしれません。殺されたり使用されたりした可能性が高い仲間も多いですので正確な数字はわかりません」
殺されたり、使用されたり――当たり前のように滑らかにその口から出てきたその言葉の重みに、……僕は、情けないことに、数秒ラグがあってから気づく。
「でも確認できてるかぎりで百人すこしはいます。いま広場に取り残されたひとたちと奇しくもだいたいおんなじくらい。そのなかではいちばんの表もいるしいちばんの影もいます」
その、表と影という表現が、なにかしら……このひとたちには、意味をもつんだろうけど。
「百人ちょいみんな、おなじ遺伝子でつくられようとしました。つまり同一人物のはずなんです。はずなんですけど結果的にはそうならなかった。おなじ遺伝子をつかったのにおなじ人間にならなかった。おなじ材料をつかっておなじお菓子ができないのとおなじですね。おかしなことにエラーをともなって生まれる個体も多かった。私みたいに」
トン、と影さんは拳で小さく自分の胸を叩いた。
「出生時――いいえ私たちの場合は発生時ですが。かりにも人間の個体をいっぺんに大量につくろうとしすぎたのでしょう。成功した個体もいれば私みたいに性別情報を落っことしちゃった個体もいました。
ほんらい男性を目指したんでしょうけど性別反転の個体もいた。両性具有だったり。あとはなんでもなく性別情報がぐちゃぐちゃになったり。
性別だけではない、言語知能や運動知能も。感覚も。五感や、内臓。ほんらいおなじはずだった私たちはみんないろんなかたちになってしまいしかも一定の成功作以外は遺伝子にエラー情報を抱えてしまって劣等者だった。エラーを抱えています。爆弾みたいに。ばん」
……おどけたふりをしてるのかもしれないけど、その話の最中では、なかなか……素直に笑うことは、できない。
「いろいろでした」
影さんは、しみじみという。
「いろいろな地獄がありました」
そんなことを、しみじみと。
「私みたいに性別のことで苦しむひと。でも私のように、ない、ことで悩むならたぶん軽傷だった。ありすぎることで悩むひと。あとは、性別ではなく、知的機能や身体機能のことで悩むひと。これくらいなら人間未満になったほうがましだってひともいたなあ――」
ふと、その言葉が止まった。なにかを噛み締めているように。あるいは、……なにかの感情を、必死に抑えているように。たしかに連想してしまった、その唐突さや静寂は機械のエラーストップにもすこし似ていて――。
「とにかくいろいろな地獄があってその原因は進化生物学者だった」
……ふたたび、動きはじめて。
そして、このひとが機械みたいなぎこちなさで僕を見上げて告げることといえば――。
「進化生物者たちが人間を千体合わせた
一気に怒濤で聞き取りづらいような、それでいて途中途中妙にたどたどしいような、奇妙な間をもつ、言葉の切りかたで。
それでも表情は、淡々と。だからたぶん単に事実を告げているつもりなのだろうとわかるようすで、影さんはそんなことを僕に告げたのだった――千体観音体、人間。
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