リン、と南美川さんの首輪の鈴が鳴った。

 それはそのひとの、……ある種の驚きをよくあらわしていた音だろう。



 おそらくは南美川さんも聞きたいであろうことを、僕は、……訊いてみることにする。



「失敗作、って……」

「簡単なことです。おなじ遺伝子で構成されていながら、表は優秀、影は劣等。人間的に。見ていれば、わかるでしょう?」

「いえ、そんな……」



 そんなことはない、と言い切ってしまいたい気持ちをかろうじて抑え込んだ。続く論理といえばたぶんもうほとんど決まっていて、優秀劣等とかには見えない、たしかに性格は違うようだけど、個性としか見えない――そんなようなことをなにもこのまま抑えなければ僕は、そのまま言ってしまっていたはずだ。


 それは僕のほんとうの気持ちだし、影さんのことを劣等だなんて言われるまで思いつきもしなかったし、つまり、僕にとっては適切な言葉といえる。

 でも、いまそれをこのひとの前で言ってしまうのは、それはそれで違うと思ったのだ。



 自分を、静かに劣等と言い切る――僕にも、身に覚えのあることだから。

 そしてそういうときに気遣われてええだいじょうぶよ、なんてたぐいの反応をされることが、どんなにか――胸のいちばん柔らかい部分に尖って刺さるか、知っているから。



 たぶんそんな感情をこのひとも知っているのだろう。ひっそりと、やはりどこまでも静かにこのひとはまた、微笑んだ。



「あなたはきっとお優しいかたなのですね」



 頬が、一気に熱くなった。

 自分が、恥ずかしかった――見透かされたと思ったから。

 僕が、僕自身の勝手な気持ちがあって、劣等優秀ではなくて個性だなんてこんなときにもっとも不適切なことを言おうとして、でもそういうのは不適切だともわかっているだなんて思って、けっきょくのところ自分自身のために堂々めぐりで言わなかった、そんな感情のほんとうの醜さが――このひとには、まだほとんどつきあいもないのに、見透かされたんだと思ったから。ほとんどつきあいがないのに見透かされるほど、……やはり、僕は単純だということになる。そのことが、また、恥だった。



「……いえ。いいのですよ。ほんとうに、心からそう思ってます。このことを話すと、ひとは、やたらと影に同情する……上司さまでさえ、そうでした。


 でもですね、影はほんとうに劣等です。名前の通りです。表には、かなわない。知ってます。知ってて、生きてる。エゴですね。


 影が劣等な理由はいくつも挙げられますよ。簡単です。まず影には性別がありません。無性別者が劣等ではないという議論は探せばいくらでもあります。良心的な学者さんたちがいます。かばおうとしてくれてます。でもそれは裏を返して言えば無性別者は劣等であるということが前提になっているということです。……生物的に子孫を残せないだめだめの個体です」


 ネネさんの研究を、思い出した。

 無性別者をつくりたいという願い。無性別者たちだけで暮らしてみたいというあの願い。ネネさんは、あんなにも無性別ということに焦がれていたようだった。執着するほどに。その研究に役立たせたいからといって、ヒューマン・アニマルの身体を人間に戻す手伝いまでして、サンプルを集めるほどに。


 影さんがもしナチュラルな無性別者だとしたら。

 ネネさんにとっては、このうえなく貴重な存在となるだろう。

 尊ばれ、きっと喜ぶ――でもその思考はすぐに打ち切った。それこそ、それは、……危険な思考だ。マッドサイエンティスト的な――。


「朝、起きると、夜、お風呂に入ると、情けなくなるのです。服を着ていればごまかせることも、裸になると容赦ないです。影には、なにもないです。でっぱってるところも、へこんでるところもなくて、つるつるです。赤ちゃんよりもひどいです。……無性別者であるということは成熟できないということでもあります。私、幼く見えるでしょう」


 ……たしかに。

 出会ったときからなんとなく、性別不詳で年齢不詳だとは思っていた。

 ただ世のなかいろんなひとがいるだろうし、こういった少年少女っぽいひともいるんだろうな、とすこし頭の隅で思っただけで――あとはたいしてかかわりもなかったし、そこまで突き詰めて考えてはいなかった。



「……そうですそもそも影はそこまで見られていない」



 影さんは、口もとをまっすぐにするようにして、にっ、と笑った。



「影が影である理由が、おわかりでしょうか」



 いまも言い争いをしているふたり。

 あの青年、カルと名乗る、――表という名の青年の陰に、きっとずっと隠れ続けて。

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