ヒーロー
……なんとなく、このひとたちの話は見えてきた。
つまり、ミサキさんはむかし非人道的ということで異端とされた進化生物学、その研究者の一員だったわけで。
その進化生物者たちとやらが。詳細はわからないが、グリム事件というおぞましい事件を起こして。そしてグリム事件とどこまで関係があるのかもわからないが、千住観音体というなにか人間を超越したものをつくろうとして、たくさんの人道的犠牲者を出して。
カル青年とカンちゃんさん――表さんと影さんは、その犠牲者だった、というわけで。
僕は、思わず空を仰ぐ。夕焼けが、進行している。
ただでさえ大変な状況なのに、どうして。このようなことが、起こるのか――。
どうして、ここに、このタイミングで。
よりにもよって、そんな関係性のひとたちがここに揃ってしまうのか。
ぜったいに相手をゆるせないひと。そしてそれはむかしのことだし、じつのところ反省もしていない、ゆるされるだなんて関係ない、そもそもゆるされるべきことなんて、していない、といったていの、ひと――。
……そんな関係性のひとどうしが、居合わせてしまったら。
この状況を乗りきることなど、ますます絶望的になっていくのに――。
喧嘩は、いまも目の前で繰り広げられている。
「おまえたちのせいでな! 造られた俺たちは! そのあとどんな運命をたどっていったか、わかるのか!」
「だからそれはさっきから知らないって言ってるじゃないのよ、そもそも私は
「さっきからそればっかりで、責任逃れだろう! たとえかりにおまえの言うことを信じてやるとしたって、仲間への連絡先くらい知っているはずだ。進化生物学者たちは非常に密に連絡をとるなんてことはこっちはわかってんだよ! おまえら、公の場から追放されてもずっと地下活動を続けているくせに」
「あのねえ、おばかさん、そうだとしたって私がいまここで仲間を裏切るはずは、ないでしょう。それにねお若いひと、私はねえもう、ただのおばあさん。孫とペットをかわいがるのだけが余生の趣味の、家の隅っこに追いやられてる、孤独でかわいそうなおばあさんよ? もうそんな大層な活動なんてできていないもの――」
「だったら」
表さんは、ミサキさんのゴム手袋を剥ぎ取った。
「これは、なんだ。
ミサキさんは、不愉快そうに表さんを睨んだ。
……いま、まさに、目の前でなにかが繰り広げられているのは、わかる。
何年、いやたぶん十何年、何十年にわたって繰り広げられた歴史の果てに、いまの目の前の光景があるのだと。
そのことは、わかる。でも。僕は。……なにが起こっているのか、わからない。
南美川さんは伏せた格好のまま、でもこのやりとりを真剣な表情で見ている。このひとには、おおよそのことはわかっていそうだ。なにせ専攻がこのひとも生物学だから――いろいろと、わかることも、あるのだろう。
つまりいまこの場で僕だけが、……いまいったいなにが起きているのかすらわからずに、立ち尽くしている。
間が、悪い。いつも。どうして僕がここにいるのかわからない。いちばんいなくてもいい存在なのに、現にいまここに存在しているから、なにもできずに、なにもせずに、ただ醜いでくのぼうとして突っ立っている。こういうことは、よくある……高校のときにも、それからも、ずっと。
僕はしょせんどうせその程度の感慨しか抱けない人間なのだ。目の前のことに対して。その目の前のことについてなにかを感じるでも思うでもなく、……自分自身のちっぽけさにけっきょくのところ結びつける、その程度の、できの、人間なんだと、……堂々めぐりで、思い知らされる。
目の前では、たぶんほんとうはすごい物語が繰り広げられている。彼らを、主人公として。僕は、いわば、……たまたまそこにいたモブキャラ、Aってところだろう。
いつものことだ。だから、いいんだ。いまさら。……でも。
僕はあんなふうに全身全霊で相手にかかっていくことなどできるだろうか。
いや、できないんだ。できているなら、……こんな人生に、なっていないはずなんだ。
ああ。いやだなあ。
こんなときなのに。僕はまたこうやって、……全体のことなんかほんとうはろくに見ずに自分の内面のひりつきばっかに苦しめられて、胸やけみたいな、取り除ききれない痛みを、それだけを感じ続けている――その程度の人間だってわかっていたって、やっぱり、……やっぱり、さ。
「……表は、すごいです」
ほら、その証拠に。……影さんは、影さんにとっての表だという、表さんを、うっとりとした目で眺めている。
僕はだからせめて苦笑して、……というのはつまり、こんな状況ぜんぜん慣れっこだし、べつになにも感じていない、だから適当なことを言いますよ――そういうふうに、このひとと、……南美川さんの目にうつるように。
「……少年漫画の主人公みたいですね」
「主人公。そうです。表は、主人公です」
影さんは、胸のあたりで、両手でガッツポーズをつくった。
「表はとても苦しみ、そしていまみたいに、とても全力で、ぶつかっていく。表はいつもはいい加減な人間に見えますけど、影は、表のそういうところを知っている。表は、すごい、すごいんです。……あの表は表のなかでも影たちのヒーローですよ」
……ヒーロー。
「こんなところで敵にばったり遭遇するのも、表がヒーローだから」
すくなくとも、僕は。
そのような存在とは、……たぶん、ほんとうに程遠い。
だれかにそんな憧れの目で見つめられたことなど、僕は、生涯いちどもない。みな僕をひどく軽んじるか、そうでなければ、ひどく気味悪がってきただけ――。
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