狩理の、質問

「幸奈もよく、知っているだろう。俺の親父は劣等者だ。それも最低最悪の犯罪者。言いわけの余地のいっさいない、この社会で発生してしまったゴミクズ、汚物、いや社会的公害だった」



 だから狩理くん、そういう話をお外でするのはやめて――って。

 普段ならそう言うところなのだけれど、わたしはそうできなかった。だって、……狩理くんが、いまはまったくおどけていなかったから。



「俺のなかには劣等遺伝子がある。もちろん人間を決定づけるのは遺伝だけではないとわかるよ、幸奈みたいに生物学専攻ではなくたってそれくらいの教養はさすがに持ち合わせている。


 でもな、人間を決定づけるのは環境や後天的要因だけではないというのも、また事実だろう。

 ひとむかし前にはやたらと後天的要因を強調する人間決定論が流行ったらしいが、いまはそれはそれで古臭い。……容姿ならば簡単なことが、なぜだか承認されにくい時代があったな。


 ……人間の宿命にはどうしても遺伝がかかわる。そのことは、御宅ならばもっとわかるだろう、なあ、幸奈」


 わたしは、答える。


「……ええ、そうよ。でもやっぱり、後天的要因のほうを重視すべきではないかというのがわたしの支持する説だわ。だって、このあいだ読んだ新しめの論文にあったんだけどね、とある一説によれば――」

「それはいちおう俺をかばおうとしてくれているのかい」



 呆れたように、バカにしたように、見下してくるように言われたから――だからわたしはまたしてもカッとなって、そのあとの言葉を続けることはできなかった。



「……だれがなんと言おうと俺のなかには劣等者の種があるんだよ。それはもう避けられないことだ。俺の遺伝子をすべて取り替えでもしない限り」

「……遺伝子をすべて取り替えたらそれは別人だわ」

「そうだ、その通りだ、名答だねさすがだお嬢さま。だからだよ。俺は、俺でいるかぎり――劣等者の要因を、排除することはできない」



 まだ、夜でもないのに。

 狩理くんの顔は。……まるで細い月明かりの下みたいに青白く見えて。



「俺は劣等者になる可能性がある」



 狩理くんは、やけにゆっくりと、唇からその言葉を紡いだ。




「俺が劣等者になったら、……見捨てるのかい、幸奈は」



 そんなことを、言う。……言うのだ。



「あの女の子たちを扱うみたいに、土下座させ媚びを売らせ、マシンツールとしてこき使い、実験動物として拘束して人格を無視して、扱うのかい」

「……そんなわけ、ないじゃない」

「じゃあ、人間として扱ってくれるのかい。俺がたとえば超凶悪で劣等な犯罪者となったとしても――」

「違うわよ」



 声がひきつった、笑いたかった、……かるがると笑い飛ばしたかった、そんなの、こんなの、――だって、こんな話。





「狩理くんが劣等者になるだなんて、ありえないでしょうってことが言いたいの」





 仮定としたってありえない、思考実験にしては実りのない、……恋人どうしのやりとりにしてはあんまりにもつまんない、そんな話。

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