妹奴隷の、はじまり

 守那美鈴の、かわいい系といえて、そういう雰囲気そういうファッションそういう、顔の、笑った口から覗く歯は――その並びも、色も、だいたいきれいそうだったけれども、よくよく見てみれば、……口からぎりぎり覗く位置の上の歯ひとつ、下の歯ふたつくらい、……ぽろっと、欠けていることに気がついた。



 葉隠雪乃も黒鋼里子も神妙な顔で聴く体勢に入っている。もちろん、わたしだって、……彼らから見ればそういう体勢になっているはず、そういうふうに、振る舞えているはず――。



『べつに私が劣等だったんじゃないんだあ』



 守那美鈴にとってはどうやらそれは、譲れない、ポイントらしく。



『ただそうじゃなくてね。お兄ちゃんが、優秀すぎたんだあ、完璧だった、私のお兄ちゃん、完璧すぎるんだよ――』




 自分の、事情なんて。

 ぬるい、ぬるい、生ぬるい。だいたい養ってもらってる。だいたい学費も生活費も出してもらってる。そんなふうに、あらためて前置きをしたあとで、守那美鈴は――。



 ぽつりぽつりと、雨だれのように語りはじめた。




 守那美鈴には、兄以外のきょうだいはいない。つまり、兄妹あにいもうとと、ふたりきょうだい。


 家族はほかには、父と母。親戚筋はたくさんいるらしいけれど、いっしょに暮らすとかいったことはなかったらしい。


 歳は、四歳違い。

 絶妙に、近くはなく。でも、遠すぎもしない年齢差。守那美鈴は、そのように語った。

 背中は、はっきりくっきりと見えるのに、その背中を追いかけると、けっして捕まえられはしない距離感でもある、とも――。



 守那美鈴の兄は、べつに妹に対してつらく当たったとかではなかったという。

 どちらかというとかわいがったほうで。頭も撫でたし、お菓子もくれた。食事どきには妹の好物は譲ってあげたし、誕生日には欠かさずプレゼントをくれた。勉強がわからないと言えば優しくわかりやすく教えてくれて、お手伝いが面倒くさいとぶつくさ言えば、お兄ちゃんがやるよ、と快く代わってくれたりも、した。


 殴ってきたり、意地悪をされることもなかった。両親の前でやたらと妹の前に出たがるということもなかった。妹を適切に褒め、過剰でない程度に両親の前でも立ててみせ、かといって、甘やかしはしないで、いけないことはいけないとちゃんと教えてくれたという。



 まさに、ある種理想の、……古い言葉で言えば、聖人君子みたいな兄で。



『だから私はある一定の年代まで勘違いしちゃったんだよね』



 守那美鈴は十歳のときに初潮を迎えたという。

 人体の仕組みについては、学校で教わっていても。

 はじめての体験に、戸惑うことだらけだった。


 混乱した幼い守那美鈴は涙ながらに、兄の部屋に、駆け込んだ――。



『いまならもちろんわかるんだよ。私、自分が、どれだけ愚かだったってこと』



 そのとき、中学生真っ盛りだった兄は。


 いつも通りにまずは妹を受け止めた。

 全身で、胸で。言葉で、態度で。

 背中に腕を回して、頬ずりをして。

 頭を撫でて。

 優しい言葉を、たっぷりかけて。


 そして安心した妹は語りはじめた。

 ついに、私にもきたんだと。

 知ってはいたけど。人体の仕組みってことで、理解はしていたけれど。でも、自分がこの性だってこと、びっくりしちゃう、なんだ、なんだかなあって――



『そうしたらねお兄ちゃんは』



 とっても、優しく、笑ったんだという。……いつもとっても優しい兄だったけど、そのときばかりは、あんまりにも完璧で、



『人間とは、思えない。まるで人間離れした、そんな笑顔でね』




 ――熟したな。




 そう、つぶやいたという。

 あんまりにも、幸福の極みみたいな顔をして――







 そうして、その日、守那美鈴は女になった。……女にされた、と言ってもいいのだと、思う。






『……私は、収穫されただけだったんだね』




 あきらかに、自嘲している、いくら過去でもその自分自身を愚かと心底思っている――その表情はふしぎと、その容姿レベル顔面レベルからはかけ離れたほど、……きれいだなって、わたしは感じて、だからその感慨だけは――なんも嘘っこではないんだわ、と感じたの。



『その日の昨日と、その日を境目として』




 まったく、世界は変わったと。

 守那美鈴は、どこか静かに、そう語った。

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