御役に立ちます

 黒鋼里子は、まさか、と思ったという。

 苦笑しそうにさえなったのだと。


 まさか、まさか。……いいように、取っちゃだめだ、自分の都合のいいようになんか、と。

 だって、それは、あんまりにも黒鋼里子が焦がれていて、でもぜったいに無理な願い、そんなたぐいのことだったわけだし――。



『……それって毎月あの子たちのようすをこうやって知らせてくれるってこと?』



 そうだよお、と黒鋼博士は笑みを深めたという、……いつもの気持ち悪い笑みでもそのときだけは許せた、と黒鋼里子はぽつっと言って。



『サトちゃんが活躍してくれてさ、僕に貢献できる研究成果っていうのが、あるわけでしょう、サトちゃん、思ってたよか遺伝子的におもしろかったしさあ。だから、そうやってこれからもずっとずうっとずううううっとさあ、僕の御役に立ってくれるんだったらさあ、それをさあ、あくまでさあ、前提条件としてさあ、今回の円周率記憶コンテストみたいにさあ、余るくらいにさあ、いい成果出してくれるんだったらさあ、そうだなあ、……サトちゃんの産み出した金や社会評価ポイントの、十分のいちくらいは、あの貧困のガキらにあげようかあ。これはねえ、サトちゃん、大盤振る舞いっすよ、大盤振る舞い!』

『……それって、どのくらいになるんすか』

『んー? わかんないけどさあ、それは、これからのサトちゃんのがんばりとか、あとまあ研究の流れ次第ってとこあるし? でもまあ、そうだなあ……』



 黒鋼博士は、頬をぽりぽりと掻いたという。



『今回の円周率記憶コンテストの成果で考えれば、えーとお、あの十分の一だから……あのガキら十人まとめてでもさ、三年間は賃貸に住めるし、衣食住はあるし、三食あるし、まあ馬鹿高い学費のところでなければ学校にも行けるかなあ……』

『学校?』



 黒鋼里子は、そのとき身を乗り出しでもしたのだろう。



『あの子らが、学校に、行くことができるんですか?』

『まあ、とりあえず、今回の円周率記憶コンテストのぶんで、三年間くらいはあの十人行かせてみてもいいんじゃない? いやいやいやいやさあ、ねえサトちゃん、知ってるう?

 僕みいんなからさあ、おまえのサンプリングは頭おかしいとかさあ、馬鹿にされてきたけどさあ、むふふ、今回すごいんだよ、あのなんだっけ、いけ好かない数学者のサルとビッチ夫婦の秘蔵っ子がさあ、あっけなくさあ、僕のサトちゃんに負けたわけでしょう、まあやっぱり平凡者の発想ではそのくらいが限界ってわけ。もうさあ、仕事の依頼もくるしさあ、なんか僕にインタビューとか、メディア出演依頼も、いっぱいくるわけ、もうさあ、ウハウハだよお、サトちゃん、だからさあ、――これからも、御役に立ってくれるんだよねえ?』

『もちろん』

『生涯、僕のかわいい有用な実験体でいてくれるよね?』

『……もちろんです』



『うえへへ、よろしい。……あのガキどもを入れたい学校、三日以内に、選んどきな? なるべく学費が安いとこがいいけどさあ、でもさあ、高ければ高いでエサ代が減らせるんだし、そういう裁量はさあ、サトちゃんに任せるよお。……うーん、そうだなあ。このくらいの範囲内で十人ぶんの三年ぶんの生活、組んで?』



 渡されたメモの金額を見て、黒鋼里子は思わず短く悲鳴に似た声を上げてしまったという――。



『……ええっ、こんなに? 桁、間違えてませんか?』

『んん? それ以上、高くはあげられないよお。だって十分の九は、僕がもらうんだからねえ。むふふ』

『……え、いや、そうじゃなくて……こんなに? こんなに、あの子たちのためだけに、使っていいんですか?』

『べつにそんなはした金。いいよお。だいたいこれはサトちゃんが優秀でいてくれたから稼げたお金なわけ。サトちゃん、それにさ、次の社会評価ポイント査定は、ぐんと変わると思うから、……だからさあ、サトちゃんが優秀であればあるほど、その金額は、増えるわけだよね』




 私、そのとき決めたんだ。

 黒鋼里子は、そう言った。




『……私、生涯現役で優秀でいます。黒鋼博士。ありがとう、ございます……』



 いけ好かない。

 気持ち悪い。

 私をさらった。

 最悪最低な、頭のおかしい研究者の前で、深々と頭を下げながら――。



『御役に立ちます』



 仲間たちのためだけに、生きると。

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