そして、黒鋼里子はいまでも養っている

 ひと月後には、黒鋼里子のかつての仲間たちは、貧困エリアを脱出して。平均的な層のエリアの寮に入り、みんなで寮生活を開始したようだった。


 二度目に黒鋼里子のもとに届いた封筒は、まさしく、彼らの入学の報告だった――まだたどたどしいながらもでもたしかに力強い手書きの文字で、ユカからメッセージがあった、



 おどろいたよ、サト! と。



『もちろん私もだしあの子らだって教育なんてものとは縁遠いって、ずっと思ってたし思い込んでたんだけど。そんなことも、なかったんだなあって。私が、がんばるかぎり――』



 そう。黒鋼里子が、がんばるかぎり。

 相対的優秀者としての実績を残し続け、超優秀者たちの興味を惹き続けて。

 金と社会評価ポイントの、もとになり続けるかぎりにおいては――。



『あの子たちには、人間的生活が待っている。最低限、人権をもって生きられる人生が待っている――』






 円周率記憶コンテストでの優勝で華々しく話題となった黒鋼里子は、もう、高校でもそんなに苦労することはなかったという。

 人は、優秀者が好きなものだ。すくなくとも暗記力ということにおいてとても優秀だといわば証明された黒鋼里子に対しては、きっと、みんながメリットを感じたはずだろう。

 仲よくせねばどうにもならないというほどではないけれど、でもお近づきになっといて、悪いこともない。

 おなじ高校出身の、相手が。将来的にその優秀性によって、さらなる優秀者になっていった場合。むかしなじみとして、しれっと連絡できるから。


 優秀者と仲がよくって悪いことなんてなんにもない社会なのだから――。



 黒鋼里子は高校にもうまく溶け込んだ。すくなくとも、本人はそう言った。

 でも、目立ちすぎはしないように、気をつけて。


 いじめられたり、トラブルが起きるわけではないけれど。

 でもかといって、なにかよいことや、心動かされることが、起きるわけでもない。


 そういったことからは、距離を置いていたから。

 黒鋼里子にとっては、意味あることは、とにかくひとつでもすこしでも優秀になっていくこと、だったから――仲間、たちのために。


 だから。

 無難で、無味無臭な、そんな高校生活を、消化試合のようにして送っていったという。



『私の高校生活で意味あったのは、月イチの、あの封筒だけ』




 そして、あっというまに時間は過ぎる。

 高校二年生の消化試合も過ぎて、高校三年生に。進路の季節、とくに、優秀者たちにとっては――。


『円周率記憶コンテストのあとにも正直気が気ではなかったよ。進路のことがあった――』



 優秀、ということを示すのであれば。

 そのための高等学校卒業後の進路であれば。

 当然のごとく、シンプルでスマートな選択肢は、すくなくとも日本エリアやその周辺では最高レベルと言われている、――国立学府に、行くことだ。



 国立学府に行けるのは同年代の一パーセントもいない。

 とはいえもちろんそんな壁を気にもせずあっというまに簡単にテストにパスするひともいるし。

 その逆に、苦労に苦労を重ねてどうにかテストの基準を満たすひとだって、いる。



 黒鋼里子は当然後者だったという、――だいたいにおいて、テストにパスできるかどうかも自信はなかったという。



『私ね。ほら、型にはまっちゃうっていうのかな、知識や体系的な理解はそれなりにできるんだけどさ、そこを打ち破るっていうのかな、独創性や発想力が、あんまりで、苦手で……』



 国立学府に入るときのテストには、独創性や発想力だって問われる――懐かしく入試の季節を思い出した、わたしはそこでたくさんたくさん点数を稼いだはずだ。


 高校の教師からは、もう黒鋼さんは型というものをしっかりもってるのだから、破れば、すごいはずよ、と言われたという。



『でもね、最後まで破れなかったな。あの先生には、悪かったけど』

『……それでも、黒鋼さんは国立学府には入れたのよね。ここにいるから、そういうことよね、もちろん』

『うん。やっぱり私、暗記力だけはすごかったみたいでさ……けっきょく円周率コンテストでの実績も決め手になったし、もうほんと、……博士の思惑通りって感じで、しゃくだなあ』




 すこしの、間ができた。

 周囲はいい感じにざわざわとしている。


 国立学府の学生や関係者が利用者のほとんどを占めるであろう、このお店。


 昼下がりといえる時間は、終わりつつあって。おやつどきと言える、この時間。

 上品で、知的で、それでいてお互いを喰いあうような、そんな、……優秀者らしくてとってもすてきな会話が、あちこちでそこかしこで、交わされている気配が、するの――。




『……それで、じゃあ、黒鋼さんは』



 わたしは、またしてもにっこりとした。

 これ、わたしが言ってもいいのかなって、思いながら。でも、どうにもあとのふたりは、あっけにとられているようで、……もしかしたら陳腐な感慨みたいなものに耽っているようで、言い出す気配も、なかったから、……仕方がないの、わたしが言うの。




 わたし、なんだか。

 むかしから、こんな役割ばっかりで――。



『黒鋼さんは、いまもその仲間たちを、……つまりあなたの優秀性で、養い続けているというわけよね』





 黒鋼里子はまるで驚きでもしたようにはっとした顔になって両手で口を覆って、感極まったとでも言わんばかりに、目を閉じて、こくりとうなずいた、



 だからわたしは最大限に優しく見える顔をつくってあげるの、……嘘でしょう、ねえ、嘘でしょう、それだけのことで心底喜んでるんだとしたら、そんなこと、嘘でしょう? って、皮膚一枚隔てたほんとうの気持ちでは、思いながら――。

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