封筒

 子どもたちのなかでも比較的年長で、同時に暴力にも長けていたという、ユカという少年、ハチという少女。

 かつての仲間でありリーダー、黒鋼里子が無理やり連れ去られたときのこともかなりよく覚えていて。

 貧困エリアの彼らのねぐら、つまりはゴミ置き場に派遣された、黒鋼博士の使いが。すぐにその関連の人間たちだと察しがついたらしい。



 すぐさまユカは転がっていた槍を掲げ突き出し、ハチはボロボロのズボンのポケットから小型の拳銃を取り出して銃口を向けたという。



『博士の、使者のひとたちさ。愛想は、崩さなかったんだって』



 またしてもつまらなそうに、黒鋼里子はそんなことを言うのだ。



『まあ、それは、いざとなったらさ、そんなオモチャみたいなちゃちな槍と拳銃の攻撃なんて、青外線電磁波の危険バリアで、すぐに防げるとわかっていたからなんだろうけどさ』



 一見、脅されているかのようで――じつはまったく安全で優位なところから。黒鋼博士の使者たちは、ゆっくりと、余裕たっぷりに、論理的に、彼らに道理を聞かせていった。


 時間が過ぎるのも、惜しむことなく。

 ほんらいは劣等者なんかに割く時間なんてわずかたりともないけれど、今回はわけが違う、だって、黒鋼博士という超優秀者の実験を、ますますうまくいかせるためだから――博士のいまもつなかでもっとも興味深いサンプルのうちの一体が、……こんな貧困エリアの子どもたちをちょろっと説得するだけで、その実験の効率がとてもよくなるって、いうから。


 当然、数時間さえかけるほどの価値が、あったのだ。――コストなんて、それで実験体がさらに効率のよい働きをしてくれるなら、もちろん回収できる、あっけなく、簡単に、潤沢にだくだくに、――金も社会評価ポイントも、回ってくるのだから。



『まあもちろんユカとハチにはそうは言わなかったと思うけどね。そんなこと言ったらあの子たち、……写真に、写るわけがなかったから』



 じっさい、どうやって彼らふたりに伝え、説得し、納得させたのか、具体的なところは黒鋼里子はなにも知らないという。

 ただ、黒鋼里子の知っている事実としては。



『使者は殺されはしなかったし、……黒鋼博士チームが裏切って、私の仲間たちを皆殺しみたいなことも、なかった、うん、たぶん、……そりゃよっぽど隠蔽されていれば別だけど。でも、いくら、……貧困エリアの彼らより劣るひとたちだって、わざわざ殺す手間をかける意味のほうが、わからないし、それって価値だってないし……だから、たぶんほんとうに捏造じゃなくって、使者たちはあの子たちとじっさいにつないでくれたんだと思う、……とっても細いけど、でも、すぐには壊れはしないパイプを、あの子たちと、私とのあいだに』



 円周率記憶コンテストでの世間的に華々しい優勝から、ちょうど一週間の、おんなじ曜日の日。

 黒鋼里子は上機嫌な黒鋼博士に呼び出され、黒鋼博士の鼻歌とともに、ぎしりと分厚い封筒を受け取ったという。


 開けていい、と手で示されたので開けると、そこには――。




『あの瞬間がもしかしたら私のいままでの人生でいちばん感動したのかもしれない』



 ひとごとのように、わざとらしく、そんな雰囲気を過剰にして言うから、ああ、またしても、……この子は、また、照れている。

 こんなにも簡単にわかりやすく、感情をよそおう――この子はいまは国立学府の学生っていう優秀者のたぐいに属していても、たぶん、たしかにほんとうに、……劣等、出身。



『……びっくり、したよ』



 そこには、子どもたち十人がゴミ置き場の前で笑うアナログ写真と。

 これまたアナログな色紙に、文字のろくに書けないはずの彼らがどうやったのか、使者に教わったのか、……サトへ、とか、サト! というごくシンプルな呼びかけと、各々の名前がそのそばに書かれた、寄せ書きと。

 ……使者がていねいにヒアリングしながら書き留めたのであろう、デジタル打ちの文章をプリントアウトしたアナログペーパーが、何枚も――それは子どもたちからのかつてのリーダーでいまも仲間の彼女にあてての、メッセージだった、……熱烈な。


 ユカとハチのものも、もちろんだし。

 それ以外の子どもたちのものも、ぜんぶ、……ぜんぶ。



『ぜったいにあの子たちだって、そうわからざるをえない、話で、表現で、言い方で、……メッセージで……』



 黒鋼里子は、そのとき自然に涙をこぼしたという。……あんなに憎く、本心を見せたくない黒鋼博士が目の前にいたにもかかわらず、だ、……その衝動的な感情には、抗えなかった。



『……ああ、生きてるんだあいつら、ってわかったし。……疑ってはいたよ。心のどっかで。だって、黒鋼博士たちがやることだったしさ。でもさ、……写真や、色紙は、百歩譲っていまの技術だったら捏造できるとしても、私はむしろ、……だれが書いてもおんなじフォントの一見無機質なアナログペーパーに印刷された話にこそ、あの子たちのことを、……感じたんだ』




 その、ひとつの実験体として。

 円周率記憶コンテストで華々しく優勝したからこそ。


 黒鋼博士は、黒鋼里子のかつての仲間たちをたしかに探し出し、そして黒鋼里子に、みごとつないでみせた――あんまりにも、簡単に、あっけなく。



『……ありがとう、ございます。一生、宝にします』



 無理やり連れて来られたのだ。

 礼を言う筋合いは、ほんらいなかったはずだけど――黒鋼里子は、気がついたらぽそっとつぶやくように、そう言っていたという。



『いやいやいやいや、そんなさ、一生モンとかになんかしなくてもそんなん』



 黒鋼里子は憎むような目で黒鋼博士を見上げたであろう、でも、黒鋼博士はほんとうに珍しくどこまでも上機嫌だったから、その不潔な顔でたしかに慈しむように笑ってさえみせたんだという、




『サトちゃんが、これからもいい子で、僕の御役おやくに、ちゃあああんと立ってくれるんなら、こんなんでよければさあ、……毎月、あげるからねえ。まあ。最低限の人間生活の定期報告ー、みたいなやつ?』




 黒鋼博士は、じつにどうでもよさそうに言ったが。


 黒鋼里子は、えっ、と思って顔を上げたのだという、――だって、まさか、それは、そんなの、どういうこと、って。おそらくは、たぶんそんなふうに、思って――。

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