優秀者というのはね
ええ、ええ、あなたは優秀ですもの――先生はそう言って、もっと、笑みを深くした。もっと、上品な印象が増して、……もっと、凶暴な印象も、増した。
でも、それらはすべてひっくるめて、わたしにとって魅力だと映った――優秀者は、かくあるべしなのかもしれない、って。
『――優秀者というのはね南美川の幸奈さん!』
先生は、なおも両手を広げて言ったのだった。……赤いネイルが、昼下がりから夕方に移行するこの時間帯の光を受け、きらり、そう光ったのをいまでもよく覚えている。
『すばらしい、存在です。いまの世のなか、優秀でいなければ、つまらない。いえ、意味がない。いえ、それどころか劣等だったら、人生マイナス、生まれてこないほうがよかった! ねえ、そうでしょう? 南美川の、幸奈さん』
わたしは、くすくすと笑ってしまった――その言いかたが、あんまりにも、大仰がかって、演技がかっていて……カリスマ的な魅力のたっぷり溢れる、このひとの講義そのものだったから。
でも先生が茶目っ気たっぷりの目で、でもたぶんほんとうのところはなんにもけっして茶化さずに、わたしの出方をじっとうかがうように見ていることに、気がついたから……慌てて姿勢を正して、きゅっと唇を引き締めた。いまは面接中だ、かりにも、……そんな当たり前のような意識を、いまさらのように思い出した。
『はい、その通りだと思います、先生』
『そうよね、そうよねえ』
先生は、幼い女の子のように嬉しそうにして、こっくり、こっくりと、うなずいた。
『……あなたは、わたくしの研究室に、所属したいのよね』
『はい』
『どうして?』
どうして。――気持ちを、あらためて引き締めた。
……志望動機を、言うお時間ってわけね。
対応ならば、もちろんしてある。なんども推敲して、なんども暗誦した、あの文章を、……読み上げるだけだ。それもできるだけ、情感込めて。合格するのに、ふさわしく――。
『はい。わたしは、国立学府の選ばれし学徒として、二年間、生物学の研究に打ち込んできました。その過程で、これからの時代を担う、まったく新しい生物学の可能性に気がつきました。――再生生物学です』
たっぷりと、間を置く。
再生生物学――それこそが、この先生の専門だから。
たっぷりと、間を置いたことが、効くだろうって踏んでのことだった。でも、先生は相変わらずにこにこしながら興味深そうにうなずいているだけで、そこからは凶暴性も薄れていたから――ああ、間違えた、って思ってわたしは慌てて言葉を続けることにした。
『わたしは再生生物学が好きです』
――たぶんこの先生、ちょっと気を利かせた、でもほんとうは底の浅い、学生の気遣いに見せた単なる調子のよさなんかには、慣れきっている。――だからこそ小数点以下の超優秀者なのだわ。だからこそ、って、思いながら、わたしはまたしても口を開いて――。
『これからの世のなかを担う、……たくさんの人々を救う余地のある、社会貢献性の高い学問だから――』
『いいえ南見川幸奈さん』
先生は、目を見開いてわたしをじいっと見た。……たくさんのまつ毛に彩られているけれど、いつも笑顔のかたちに細められているその目、こんなにしっかり見開かれるのを見たのは――もしかしたら、わたしは、はじめてだったかもしれない。
『ねえ、あなた。社会は、だれがつくっているもの?』
『……優秀な人間です』
『そう。そうよね。そんな当たり前のことを答えるのに躊躇しないでよろしくってよ』
先生は、なおもしっかり、わたしを、――わたしだけを見ていた。
『優秀な人間が社会をつくるの。だから、優秀ならばなんでもいいの。なんでも、よくってよ。優秀だったら好き放題だわ。成人許可どころではない。お酒や煙草どころではない。お薬どころでもないし、なんでも所有できるなんてところにもとどまらない。
社会は、わたくしたちのものですのよ。
社会をつくっているひとたちは、社会のリソースをなんでも使う権利があるの。だって、そうでしょう? わたくしたちがつくったものを、わたくしたちが使うなんて、当然、至極当然のこと、――そうでしょう? 南美川の、幸奈さん』
わたしは、こくこく、――こくこくこくと、なおもうなずいた。
『――ねえ、奴隷だってもててしまう』
先生は、ひそやかに、笑った。
その仕草や立ち振る舞いは隅々まで整っていて、とても、お美しくて――。
『わたくし、たくさんの奴隷をもっているの』
あ、デジャブ、……なんで、と思ったら、そういえば中学生だったころに、同級生の女の子に秘密をこそっと言われるようなときはいっつもこんな感じだったの――。
『古きよき文化の、復興よね。……ねえあなた、はるかむかしの時代には、奴隷がいなければ、芸術や深い思索は成り立たないって言われていたの、知っていて?』
古代時代における、エーゲ海のほとりでのことだ――それはわかったけれど、そのことを言うのが適切かどうかわからなかったから、わたしは、……なおもこくこく、とうなずくだけで精いっぱいなのだった。
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