優秀者には、犯罪という二文字は存在しない

『そして』



 先生は、にんまりとした。



『いまのわたくしたちは、奴隷をもてますわね。……簡単なこと』

『その個体が、一生で稼げるぶんの社会評価ポイントを、こちらが支払って余りあるほど稼いであげられるのなら、その個体をわたしたちは好きにしていいから、ですよね――』

『そう、そう、その通りですわ』



 わたしはたぶん、目を輝かせて身を乗り出していて。

 先生も、満足そうにうなずいた。



『かわいそうなことに劣等者さんというのはこの現実におりますの』



 まつ毛を伏せて、先生は、はああ、とお芝居がかったため息をついて見せた。



『どんなに一生かけたところでわたくしの数分の作業で生み出せる社会的価値に、到底及ばない。そんな信じられないほどかわいそうな存在さんが、おりますの』

『それ、わたしも、高校のときに思ってました――わたしがちょっとやればできるようなこと、なぜだかみんな、できないって』

『ええ、ええ、その通りですわね。なぜ、できないのでしょう?』



 先生は、少女みたいに首を傾げた。……そして、ふっ、とゆるむように、笑う。



『……でもそんなこと無理して突き詰めなくったって、よいですわよね、ねえ。劣等者は、劣等だから劣等なのです。それだけのことですわね』

『……循環論理っぽい』



 くすくす、と、わたしと先生は、ううんわたしたちは――たしかに笑いあった、んだと思う。



『でもだからこそわたくしたちは彼らを奴隷とできますわよね。だって私が五分でも十分でもプラスで作業できるのなら、その劣等者たちの生涯ぶんはフォローできますわよね、だったら優秀者の奴隷とならせて、ちょっとマシなのには単純労働ですとか、もうダメダメなのはストレス解消ツールにさせるとか、そういうほうが、社会的に合理的なわけです』

『そう、そうですよねっ、わたしも高校時代クラスにとんでもない劣等者がいたから、わたし自身の効率のために利用させてもらいました――』

『それはとっても正しいことでしたわね南美川の幸奈さん』



 先生は、またしてもにっこりした。ああ、……ああ、やっぱりそれは、正しいことだったんだ。

 とっても、正しいことだったんだ、って――。



『あなたの、高校時代のお勉強はそれで捗った?』

『だいぶ、……わたしの効率性に貢献してくれたな、とはいまも思ってます。ペットみたいに思ってたので、ちょっと息抜きするときとかにも、役立ってくれたと思います』

『だったら学校の優秀な先生方もさぞ喜ばれていたことでしょう。劣等者ひとつの存在で、あなたのような、優秀者の効率が上がるだなんて』

『はい……』



 わたしは、思わず照れて微笑んでしまった。

 高校のとき、わたしの、――あのシュンへの扱いを咎めるひとなんて、当然、ほとんどいなかった。数少ない例外は、狩理くんがほっとけって言ったのと、ごくごく一部の古い考えの教師だけだ。


 でも狩理くんはほっとけと口では言ったけどいろんなおもしろいことを提案してくれたし、教師に至っては、わたしのほうが今後の生涯見込み社会評価ポイントが高いとわかった瞬間ひれ伏すように謝ってきた、頭をしっかり下げて、腰を折って――


 ――ああ、あのときのあの女教師の顔、滑稽すぎて、忘れられない。『いいわよ先生、わかったんなら、許してあげるわ』とわたし言ってあげたら、顔を上げようとするから、『わたしが許さなかったら大変なんでしょ』と言って頭のてっぺんをちょっと指ではじいてやった――それだけのことで首すじから見る見る真っ赤になったから、『ゆでだこみたーい』って、やっぱりわたし笑っちゃった。



 だから、それだけ。

 ほかの先生は、劣等者のシュンのぶんで優秀者のわたしの効率性が上がるなら、もちろんそれでいいって、言ってくれたし学校生活もじっさいそうなっていた。





『……優秀者には犯罪という二文字は存在しない。わたくしの、お気に入りの言葉ですわ』

『優秀者には、犯罪という二文字は存在しない』

『もちろん、もちろん実質的にという意味ですけど』




 優秀者には、犯罪という二文字は存在しない。

 ありきたりに、どこでも聞く言葉だった――でもそのときには、とりわけわたしの心に響いた。



『だってだいたいの不始末は、社会評価ポイントを稼げるってことで補えますもの。ねえ。たとえば、わたくしが、十人の劣等者を殺してしまったとしますわね。もちろん、その場合は、わたくしはいちど罪には問われます。しかしわたくしはその十人のぶんの社会評価ポイントを償おうと、毎日一時間の労働を追加する生活を半年ほど送ることに、いたします。念書を提出して、お仕事に毎日一時間も多く励む。そうすることによって、……わたくしの、罪は、すべて消えます。――でしょう?』

『その通り。その通りです、先生』

『優秀者というのは大変な使命があります。わたくしも、日々、再生生物学に挑んではため息をつく日々。……だってこの分野におけるこんな専門性をもつ人間って、世界規模で見たってわたくしくらいですから』

『その通りです、先生』




『だから、ときには、ひとを殺すのも、奴隷にするのも、いい息抜きになりますわ。……もちろん、その劣等存在さんの生み出せるはずだった、ほんのわずかな社会貢献はそのあとしなければいけませんけどね? ――優秀者ってなにせ大変ですもの』





 どこかで、鳥が鳴いていたことをよく覚えている。……遠く。

 なんの鳥かは、わからなかった。……そのときには、考えようともしなかった。




 先生のお話に、夢中すぎて。





『取繕わなくたって、いいのですよ。……わたくしだって再生生物学なぞやっているのは、あくまでも、たまたま。偶然の産物。ねえ。わたくしは、あなたが優秀ならばそれでよいの。あなたの生活なんて、動機なんて、実情なんてけっして求めませんわ。……でもだからこそ、ごまかさないで。素直に、なって。わたくしに、ふたたび取繕わないで言いなさい。



 ――あなた、どうしてわたくしの研究室に、入りたいの』



『それは、先生が優秀だからで……』



 わたしは、ぎゅっと膝に載せた握りこぶしを強く握りなおした、……合ってるかな、これで、合ってるかな。こんなすごい優秀者のひとの、ほしいなにかをちゃんと読み取れているのかな――。




『わたしは、生物学は、たまたま得意だっただけだけど、優秀者として生きたいからです』

『――すばらしい、ブラボー! そう、そう、そうそうそうそう。わたくしは、それが聞きたかったのですのよ』




 先生は、ガタンと椅子が鳴るのもかまわず立ち上がった。

 そして、わたしの手を取った、なめらかでつるつるな陶器のようなきれいな肌、……その爪に、やっぱりとても映える真っ赤なネイル。




『あなたをわたくしの研究室に歓迎いたしますわ南美川幸奈さん』

『……ありがとう、ございます』




 感極まりすぎちゃって、わたしはどこか照れて下を向いた――そのときには、鳥の鳴き声はあったんだっけ、なかったんだっけ、……ほんとうにどうでもいいなってそのとき思ったんだけど、どうでもいいな、って思ったことを、なぜだかいまでも、よく思い出す。








 そう。

 わたしは、そうやって、この、……すごい研究室に、やってきた。




 当然、同期だっておんなじ面接をくぐり抜けてきたはずだって、だから――って、そう思って疑いもしなかったのに――。




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