しゃべりたくない

 僕が耐え切れなくなって目線を上げると、中年の女性は、大仰にうなずいた。

 そして手をとどめとばかりにもう一度大きく振ると、やっと……離して、くれた。



「わかりました……貴方のほかにもNecoを専門とするかたがいないか、探させます……」



 やたらと、おごそかぶった口調で。女性は、カルくんと呼ばれたあの青年と、もうひとり隅のほうに控えていた後輩らしき女性に目配せした。ふたりとも思い切り真剣味をもった様子でうなずくと、各々、公園のどこかに駆け出そうとしたのだが――



「ああ、カルくん」



 後輩らしき女性は一瞬ちらと振り向いたが、自分には関係のない話題だと察したのか、影のようにすぐに去っていった。人権制限者の管理者であることを示す、ベージュの帽子をしっかりと被りなおして――。



「はい! なんでしょうか! 上司さま」

「貴方、よく連れてきてくれたわね。この状況に対応できそうな、即戦的な人材を。今度のポイントにはきちんと反映させておくからね。だって見事な社会貢献だもの」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」



 ……二度、言った。

 そして彼はびしっと敬礼し、失礼します、とはっきりした口調で叫ぶかのようにして言うと、腰を深く曲げて、そこからは――また、一目散に、どこかに駆けていった。おそらくは、僕を探していたときみたいに。その後ろ姿はふしぎと、休み時間になって解放された小学生の男子を思い出させた――。





 残されたのは、人権制限者の管理者の責任者であるらしい中年の女性と、おなじく人権制限者の管理者のひとりではあろうけれども、ベージュの帽子を目深にかぶりかつ同じ色の制服もだぼっと着ているので、性別も年代もよくわからない中肉中背の人物。僕が視線を向けると、帽子に手をやってこくりとうなずくかのような礼を返してきた。

 人権制限者のひとたちは時が止まったようにあの奇怪な空かどこでもない虚空を見つめている。

 あたりは、奇妙に静まり返る。

 遠くから、叫び声が聞こえてくる。どこ。どこ。――ここはどこ。そんな声が、どこからともなく風に乗って聞こえてきた。





 帽子を目深にかぶった性別年齢不詳のそのひとが、ふっとつぶやいた。



「……ウェキャップ、ネコ」


 それは、一般人用の、Necoを呼び出すための合図。

 ぼそっとしていて、奇妙に低い声だった。

 しかし、そんな声でも、なんであっても、――Necoは、拾うはずなのに。

 アイドルネコのかわいらしい声が応答するはずなのに。いまにも、その響きが聞こえてきそうなほど、それは耳にこびりついている、僕だけではない、この社会に暮らす存在なら、みなそうだ、思い出さずともその声は反射的にやってくるはずなのに――やはり、なにも、返ってこない。

 なにも、反応しない。


 現代社会において――あまりにも、奇妙で、ありえない状況。

 Necoという人工知能のインフラは、家庭内の部屋の四隅にさえも、もっとも地方の先端でさえも、この社会においてならばどこでも――あまねく、確実に、行きわたっているはずだというのに。



 中年の女性は、大きく肩をすくめた――まるでもう、自分のなすべき責任の範疇は終わったとでもいうかのように。



 そのあとには。

 だれも、なにも、しゃべらない。

 気を遣うひとは。いや。違う。――この場を動かそうとするひとは、いない。

 いないのだ。




 なぜなら、この状況を、どうにかできるのは、すくなくともできそうなのは、いまのところ――絶望的なことに、僕だけ。




「――あまり考えられないことですが」



 不器用に口を開けば、この場の注目が静まったまま一斉に移動して僕に集まる――ああ、ああ、嫌だ、……ほんとうに、嫌だ。注目なんか、されたくない。黒ずくめなのに。僕は、だれにも見られたくないのに――。



「……もしかしたら、Necoの、なにかに、その、……障害的な、なにかが……起こっているのかも、しれませんね……」



 言葉は、もごもごとした響きになってしまう。情けない。ほんとうに、情けない。――きっとこの場の全員が、変なやつだと思っていま僕のことを見ている。こんなやつに任せるしかないのかと思って僕を見ている。こんなやつでも社会人でいられるのだと、こんなやつでも社会人でいさせてくれるのだと、それほどNecoと対話するというのは社会に必要なのかと、そう思われているに違いないんだ――僕は、こんなやつだから。

 ……申しわけない。

 泣きたいほどに、申しわけない。

 僕のせいで、対Necoという技術まで、あるいは馬鹿にされるかもしれないのだ――。



「いえ、その、……わかりませんが、その、……Necoは、インフラ機能なので……」



 はっきり、なるべく、……はっきりしゃべれ、僕。

 多少なりとも、社会人っぽさに近づくように――。



「……いくつか、やってみるべきことは、あります。管理者権限で、こう……その……ネットワークに、問い合わせたりとか……」




 ああ。嫌だ。嫌だ。――しゃべりたくない。

 こんなに多くのひとに見られながら、僕はなにかを述べたくなんかないのだ。

 あたたかさを装った相槌のうなずきも、感心したような視線も――すべては、僕に対する誤解なんだというのに。





 せめて、もうひとりくらい、Necoを専門とする人間がいるといいけれど。

 僕がいま僕自身のためにできることといえば、ただ虚しく、……そうであってほしいと切望することくらいだったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る