インタープリター

「……確認、しておきたいんですけど」


 中年の女性は、ふたたび大きくうなずいた。


「Necoが機能していないときになんか、あの、……だれだって出歩きたくはないでしょうけど……危なくて、……危なっかしいですもんね……。でも。もしもの場合は、やっぱり――」

「ええ、わかっておりますわ。……いざというときにはNecoなしでもだれかを公園の外にやらせましょう。広範囲でのNecoの故障の可能性が、ありますものね……。できれば、あまりだれにも大きな移動をせず解決したいものだけど」


 僕は、うなずいた。……Necoの機能しない状態というのは、ほんとうに非常事態だ。たとえ犯罪があってもわからない。人権に抵触することが起きてもわからない。情報はなにひとつ残らず、記録されない。……Necoがほんとうにいまこの国立公園で、……強い干渉によって機能を停止しているのであれば、それは――いまここの空間は全世界から切り離されたブラックボックスのなか、ということになる、――深夜よりも真っ暗だと感じるひとがいたってなにもおかしいことではない。





 足元を見ると、南美川さんが唇を引き結んではるか低い位置から僕を見上げていた。

 そんな距離感で、そんな離れて位置で、南美川さんは僕のなにかを気遣ってくれているかのような表情で、佇まいで、この状況においてただ僕を、僕だけを見てくれていた。



 僕は息をひとつ吸って、吐いた。――深呼吸というほどは、深いものではないけれど。



「……Wake up,Neco」



 つぶやいてみた。やはり、返事はない。



「Please,Neco」



 こちらは、管理者権限による問いかけだ。こちらも――返事は、ない。





 僕はうつむいて地面の濡れたところだけをじっと見た。そうすることで他人からの視線とかをなるべくシャットアウトしようと思って。

 なにが起きてるかは、わからない。けれどもなにかが起きていることだけは、間違いがない。――南美川化と、南美川真。あのひとたちが、かかわっていることは……もう間違いないのだから。

 底抜けに明るく、それゆえに不気味な虹のメッセージの空。応答しないネコ。そして、いじられてつくり変えられていく国立公園――いまも地面のぬかるんだところから極小の米粒みたいな色とりどりのチューリップが無数に顔を出してきた、……このまま歌い出しでもしないでくれよと切に思いながら、僕は、目を閉じた。



 ……まず考えられるのは、ネコ耳の故障だ。ネコ耳の故障というのは若干専門的なNeco用語だが、意味はごくシンプルで、つまりはインフラ機能として社会に張り巡らされている超精密相互反応解釈音声デバイス、通称インタープリターのことである。音声を拾い、音声を返すという、ごくベーシックなツールのことだ。

 もっとも、実際には単なるオールディなスピーカーとマイク機能に留まらず、インタープリットするという機能――つまり人間の言語をNeco言語に瞬時に変換し、応答したNeco言語を人間の言葉に瞬時に変換する、という機能も搭載されている。AIとの共存社会をつくっていくには、必需品なのだ。


 インタープリターはほんとうに精密につくられている。人間の指ではどう頑張ってもつまめないほど小さく薄い完璧な比率の正方形の板に、それらの機能がぎっしりと搭載されている。目で見ることさえ困難だ。あらゆるレーザー刺激も通り抜ける。粒子調査器に突っ込んでも、その正体を現すことはない。

 物理的に、さわれない。ツールを使っても、探査できない。それはもちろん、――インタープリターへの不正な干渉を防ぐ目的で、そのように設計されているのだ。


 一部のインタープリター職人だけがインタープリターに直接さわることができる。インタープリターの薄い板を物理的につくりあげ、解釈機能を搭載し、人間のだれにも素手で掴まれてしまわないよう、一日単位やそれ以上の速度で進化していくナノテクノロジーへの適応を怠らず、どんな最新技術にも追いつかれないため日々改良を繰り返す。

 彼らは、Necoの聴覚機能と発語機能を管理することのできる数少ないプロフェッショナルだから、社会貢献度もとんでもなく高い。ネコの喉を鳴らす者などと表現されることもある。なんだか平和すぎるような表現だが、ネコというもののこの社会においての絶大性を思えば、インタープリター職人たちもあながち嫌でもないらしい。



 僕は当然、単なる一介の対Necoプログラマーだから、インタープリターにさわることはできない。もし、いまここに、インタープリター職人がいたらまた別なのだが……そうではないなら、――Necoの耳や喉を直接直してやれる人間は、いま、ここにはだれもいない。

 そして、インタープリター職人という数の非常に少ない人間が、いまここにいる可能性は――きわめて低いとも、考える。




 ……しかし、まず真っ先に考えるべきなのは、やはりそれなのだ。

 インタープリターの不具合、あるいは故障、あるいは不正な干渉、いや、……不正な干渉があったことは、僕はよくよく知っているのだが。いまここで僕を励ますように見上げてくれているこのひとの、実の弟と妹の手によって――。




 ……Necoの耳や喉が、やられている可能性があるのなら。




 僕は、小さく手を上げた。ああ。――集まる注目は、やはり嫌だ。

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